「独立心」ということ

障害者に開かれた社会と日本的甘えの克服

8歳で失明。
そして視覚障害者のためのリハビリテーションを学ぶために
行ったアメリカで学んだものは甘さを許さない独立心だった。
しかしそのアメリカは同時に、障害者を受け入れる開かれた国でもあった。

プロフィール写真

星山知之(ほしやま ともゆき)
1961年生まれ。小学校2年のとき視神経萎縮のため失明。86年筑波大学盲学校理療科教育養成科卒業。88年アメリカのウェスタン・ミシガン大学大学院ブラインド・リハビリテーション学部マスター・オブ・アート修得。帰国後、89年から新潟県立高田盲学校、92年から神奈川県立平塚盲学校で理療科を教える。

障害者にもチャンスのある社会

星山知之さん
後藤
星山さんの視力障害は先天的なものなんですか。
星山
いいえ。8歳の時に視神経萎縮という病気になりまして、両目を失明しました。
後藤
覚えてらっしゃいますか。その頃のこと。
星山
子どもでしたから目が悪くなっていくのはよくわかりませんでしたが、ある日、本を読もうと思ったら字が見えないんです。それで初めて親に言って、親が心配したということを覚えています。
後藤
なぜアメリカで勉強しようと思ったんですか。
星山
もともと音楽が好きで、英語の歌が好きでした。だからアメリカには漠然とした興味がありました。ちょうどアメリカから鍼灸の先生が何人か大学にいら していて、あちらの様子を聞くととても自由だし、なにか自分にむいた勉強があるような気がしまして。そしたら紹介くださる方がいましてアメリカで勉強する ことができました。
後藤
ブラインド・リハビリテーションの体勢を日本でも造り上げていかなければいけないとお考えになったのはアメリカに行ってからですか。
星山
そうです。
後藤学園長
後藤
リハビリテーションというと思い浮かべるのは医学的なものですけど、もともとの概念では社会的、職業的、あるいは教育的リハビリテーションが 非常に 大事だと言われています。ところがどうしても医学的なものが先行していて、またその中でも扱えないとなると、福祉の中で手当をするようになっている。視覚 障害者の社会的、職業的、あるいは教育的リハビリテーションを星山さんはお受けになったわけですが、アメリカと日本の状況の違いはどうですか。
星山
日本では視覚障害者イコールあんま・鍼灸の職業というかなり固定的な観念があります。ところがアメリカに行って感じたのは、その障害者にやる気があればドアが開いている、チャンスがあるということです。これが大きな違いだと思いました。
後藤
たとえばどんな職業がありましたか。
星山
笑い話ですけども、ドライバー以外だったらどんなことでもできるんじゃないですか。私がお会いした方でも、弁護士もいるしケースワーカーも、ありとあらゆる職業の方がおられます。
後藤
つまり視覚障害者の方に特別な職業をつくるのではなく、社会にあるものをやる気があれば選ぶことができる。それを選ぶための職業的、社会的リハビリテーションを大学の中では教育するわけですね。また、それを手助けするためのスペシャリストを教育するわけですね。
星山
私が行きましたのは指導員の養成課程です。
大きく2つの分野がありまして、1つはオリエンテーション・モビリティー、空間認知と移動ということです。目が見えなくなって1番困るのは、部屋の様子がわからない。あるいは1人でどこかに行けないということです。これらができないと職業にはつながらないと思います。
もう一つはリハビリテーション・ティーチャーと言いまして、日常生活動作の様々なことができるノウハウを教えるという分野があります。目隠しをしてどういうことが不便なのか、どうすればいいのかということを学生にレポートをさせたりとか。
後藤
なるほど。模擬体験実習ですね。

個に応じたプログラム

後藤
星山さんのように視覚障害のある方でスペシャリストになろうと来ておられる方もだいぶいるんですか。
星山
大学院は人数が少ないので、1学年10人くらいで、そのうち3人くらいは視覚障害者の方がいると思います。
後藤
アメリカの学生はどういう人たちが来るんですか。
星山
いろいろな大学を卒業した人たちです。それに仕事をリタイアしてコースに入ってくる方も多いですね。年齢はかなり高い方までいらっしゃいます。前歴は問いません。特殊教育の分野から上がってくる方も多いです。外国から来ている方もいます。
後藤
大学院のコースはアメリカの中にいくつかありますか。
星山
20ほどあると思います。
後藤
そうですか。日本では全くないですよね。そのへんが遅れてるところですね。神戸の震災のときでも障害を持っている方、お年寄りの方の誘導がクローズ アップされましたね。その後プログラムが具体的にどんなふうに組まれたか聞かないですが、大学院では地震や火事など災害にあったときの訓練がありました か。
星山
直接、レクチャーでそういうのはなかったですね。
後藤
それでは職業ということを意識した訓練がメインですか。
星山
そうですね。
後藤
そこでは盲導犬の扱い方もするんですか。そして職業としての訓練士になっていくんですか。
星山
盲導犬のスペシャリストはさらに訓練が長くあるんだと思います。盲導犬を使うときは、地図が頭に入っていないといけないんです。右、左と、長さ、時間という空間認識が。
後藤
そうすると視覚障害者として勉強に来られた方も、今度は視覚障害者の指導員として就職をするわけですね。
星山
リハビリテーションセンター・フォー・ザ・ブラインドというのが小さな町に一つずつぐらいありまして、ここに勤めることになります。全盲の方が全盲の方に指導するというわけです。
後藤
先ほど空間認知と移動というのがありましたが、日本でもお受けになっていますよね。違いはどんなことがありますか。
星山
日本のはアメリカで開発されたものなので、基本的には同じなんだと思うのですが、理論的だと思います。私は日本では習う立場として、アメリカでは教える立場として勉強をしました。アメリカでは、クライアント(視覚障害者)がどの程度まで単独歩行が可能なのか、どこまでしなければいけないのかの評価を 厳密にするのが特徴だと思います。そのための評価表もたくさんありますし、細かい評価をします。
後藤
1人ひとりの機能分析をして、それぞれのプログラムをたてて訓練するということですね。
星山
そうですね。
後藤
それは医療だけでなく教育なんかでも非常に個を大切にする。そういう発想がアメリカの医療や教育、社会の原点にありますね。日本はともすると集団として扱うと言われますね。

障害者自身の曖昧さを矯正

後藤
アメリカで生活していて困ったことってなんですか。

視覚障害者のための点字のパソコン
星山
不自由だったことはあまりないです。
日本にいる時と比べて自由な気持ちになれた。それは周りの目をほとんど感じなかった。一番収穫だったことだと思うんですが、自分がブラインドだということ が引け目にならない、そんな空気がアメリカにはありました。たとえば読んでほしいものがあって頼むと、読める時間があればオーケーだし、だめなら他の人を 捜してくれる。日本的曖昧さがないのでできるできないが自分にもよく解ったんですね。
一方で、障害者自身の日本人特有の曖昧さを矯正されたと思うんです。相手がどうであろうと自分自身の甘えがあったと思うんです。これがアメリカに行って通 用しなかった。日本では集団で同じように行動して、たとえば見えないからいいやとあきらめていると、隣の人が出てきて助けてくれる。アメリカでは隣の人は 見ていないから助けてくれない。援助依頼は自分の口でしっかり言わないと返ってこないんですね。
健常者の人の行為が違うんではなくて、むしろ障害者がうまく言わないとだめです。
だから、ワーク・ウィズ、いっしょになってやるんですね。それが大事なんですね、たくましさですね、インデペンデンス、独立というのが。
後藤
これは誤解してる部分があったかもしれませんね。そういう意味では、日本人ってやさしいんですよね、お節介なんですけど。どうしたらいいかわからないからしらんぷりしてるとか。
実は昨年の1月にアメリカに行く前にけがをしまして、1週間車椅子だったんです。その時ものすごく感じました。建物の中に段差がないとか、必ずスロープが ついているとか。アメリカでは社会的なハードな面とかが障害を持っている人にやさしく造らなくてはいけないように、法律で決められてますよね。
日本では点字ブロックとか、駅での点字での行き先表示とかがありますが、もっとこういうのがあればいいというものはありませんか。
星山
点字ブロックはとてもいいものなんですが、アメリカにはいっさいそういうものがないんです。なぜですかって聞いたら、「そういうものがあるとその上しか歩けないでしょう」と言われました。
ある設備が整っていますと、いいこともありますが、その反面障害者にとって、甘えと言っては語弊がありますけど、そこでしか生きられないということでは困る。むしろないけれども多様さを求めることがいいと。
後藤
アメリカに2年おられたんですよね。障害のない人でもアメリカに行って勉強してくるというのはたいへんなことだと思うんですが。
星山
本当はたいへんだったんです。勉強もやめようと思うこともあって「やめます。帰ります」と教授に言いに行きますと「もう1日待つから、やってらっ しゃい」と、ベター・レイト・ザン・ネバーということわざがあって、遅くても何もやらないよりはいいと。 そうすると、苦しいけどやれるわけで、達成する 喜びが沸いてくるんです。教授はもう1日あったらやってこれるということを、把握しておられるんです。これがリハビリテーションだと思ったんです。実は自 分の甘さをたたき直されたんだと思うんです。

日本にもブラインド・リハビリテーションを

後藤
初めてお会いしたのは帰国されたばかりのころでしたね。あのときブラインド・リハビリテーションのことを話されていましたよね。そういうものを日本でつくってみたいという気持ちはお持ちでしょうか。
星山
はい、ありますね。似たような施設はあるんです。大阪の日本ライトハウスでは歩行訓練士を養成してますし、埼玉県所沢市に身体障害者リハビリテーション学園というのがありまして、おそらくブラインド・リハビリテーションに近いような学科があります。
後藤
今、日本ではPT、OTが足りないといって学校をつくってますよね。4年生大学もできてきたんですけど。もちろん高齢者のケアとか、重要な課題としてあるんですが、このような教育的リハビリテーションは文部省も係わってこなくてはいけないかもしれませんね。
星山
ただ、高齢者対策には今いろんなプランがありますね。あの中に白内障や糖尿病で目の悪い人がいっぱいいると思うんですが、ほっとかれているんです。でもこういう人たちにいろんな用意をすれば、もっと余生をエンジョイできると思うんです。そういう発想がほしいなという気がします。
後藤
なるほど視覚障害というのは、他の障害でもそうですけど、誰でもなる可能性というのはあるわけですね。もっと考えなくてはいけないんですね。
星山
年をとれば新聞の字だって読めなくなりますからね。そういうことにどう配慮するのか。新聞の字を大きくするのか。読んでくれるラジオを作るのか。そういうことだと思うんです。
後藤
これからの夢を聞かせてください。
星山
1つには仲間であり、後輩である生徒たちに、夢というか、やる気というかそれを持ってもらいたい。自分のやってきたことを宣伝するつもりはないけれ ど、自分がアメリカで矯正されたことっていうのは、彼らも気がついてほしい。それが、社会に出て健常者の中でやっていくにはどうしても必要だし、そういう ことを解ってもらいたい。そのために仕事をしていたいというのが当面の夢ですね。
後藤
今日は非常にいいお話をおうかがいしました。ともすると、不便なんだろうなという、身障者への見方というのは、健常者のおごりなんだという気がしま す。そこは日本の豊かな社会の中で、一人ひとりを対象にするような医療であったり、教育であったり、福祉であるという観点を持つ必要があるし、さらに障害 者自身が変わらなければいけないということですね。ありがとうございました。これからもがんばってください。

TOP