東洋の音と音楽療法

中国古代の音色に癒しの原点を探る

音楽療法が医療現場でさかんになってきた。
どんな音楽がほんとうに必要とされるのか。
どんな音楽が心身を癒すのか。音楽の持つ力とはそもそも何か。
作曲家・演奏家として活躍する一方、古代東洋の数々の楽器を復元、
本誌に「よみがえったシルクロードの楽器」を連載中の劉宏軍さんに、
自然の音色と人間との関係を聞いてみた。

プロフィール写真

劉宏軍 (Lyu Hongjum)
中国遼寧省大連に生まれ。国立中国歌劇舞劇院管弦楽隊に入り、フルート首席奏者などを務める。1980年の来日以来、中国民族音楽の研究・演奏・作曲活動を行う。NHKテレビ「シルクロード遥かなる調べ」、映画「ラストエンペラー」の作曲・演奏を坂本龍一とともに担当。また、アジア諸国、太平洋諸島の民族音楽の調査・研究・復元に情熱を傾けている。

東洋と西洋の音楽の融合を目指す

劉宏軍さん
後藤
劉さんは音楽活動をする一方、積極的に古代楽器の復元にも携わっていらっしゃいますが、復元しようとしたきっかけは何ですか? 復元してどうお感じになりましたか?
音楽との出会いはフルートが最初ですが、作曲や編曲もずっと手がけてきました。ある意味ですべての楽器と音色は作曲家の道具ですし、いい道具がないといい音楽が作れないと思っています。
ですから、正倉院にある楽器を見た時に、その音色が気になったんですね。それに正倉院には、中国から伝わってきた楽器も多い。もちろん美術品としてもすばらしいのですが、音楽家としてはそれだけでは満足できないわけです。
復元した笛の音がよみがえった時はうれしかったですね。
後藤
復元するといっても大変な苦労があるでしょう?
実際の復元作業は困難を極めるものでした。縦笛や横笛はもちろん、打楽器も弦楽器も、材料を捜すところから始めました。
そして中国の皇龍工芸研究所の職人の人たちが13年かかって正確に精緻に最初の笛類を復元してくれたのです。
後藤
劉さんはオーケストラでフルートを吹いていらっしゃいましたね。正倉院に所蔵されている楽器の音を耳にしてどうでしたか。西洋の音色、音楽と比べてどういう印象をお持ちになりましたか。
西洋と東洋とは音色からして、かなり違うと思いました。古くからの東洋の音に出会ったという感動がありましたし、音楽の世界が広がりました。
復元した楽器で作曲したのですが、それを聴いた友人は「格調のある音」という言いかたをしましたが、たしかに特徴のある音色だと思います。
後藤
私は劉さんの曲を聴いた時に、たいへんに心が安らぐ感じがしました。
でも、それは東洋人が東洋の音楽を聴いたからかなと最初は思ったのですが、そういうことからくる安らぎとちょっと違うような気がしてきました。
西洋音楽の経験も素養もある劉さんの中で、西洋の音楽と東洋の音楽とがうまく調和しているから、ある種の安らぎを感じたのだと思います。
現在の私たちには、東洋的なものの考え方と西洋流の生活様式とが混ざっていますから、何事も極端に東洋的すぎるとかえって落ち着かなかったりするのかもしれませんね。
西洋と東洋の調和がとれた音楽は、今の時代、あるいはこれからの時代に合ったものと言えるかもしれません。知人のカリフォルニア州立大学の先生も、劉さんの演奏を聴く機会があって、東洋と西洋が融合しているという感想を持ったようです。

自然のままに表現し、自然に聴く。

音階は東洋の音楽でも地域によって特徴があります。中国大陸では五音階を使った音楽が多かったようですし、時代によっては交易の関係でペルシャ風の七音階音楽が盛んだった。
朝鮮半島は五音階でも七音階でもない、独特の音楽をもっています。ベトナムとインドは、波のような曲線のような音の表現が見られます。日本は二種類の音階、五音階と七音階です。
西洋の音楽や東洋の特徴のあるいろいろな国の音楽を聴きながら、自分の音楽を創ることを目指しています。そうすることで結果的に融合するかもしれません。 しかし、音楽というものは、人に強制してに聴かせるものではない、と私は考えています。
創る人が自然のままに表現し、しかも聴く人が構えずに自然に聴く。それが音楽にとって大切なことではないでしょうか。音楽は人を気持ちよくさせなければならないと思いますね。心にプラスになるようなものが残ればいいと、私は思います。

理論化できる音楽、できない音楽

後藤
東洋の音楽と西洋の音楽では、学習の仕方や勉強の方法は違いますか?
西洋の音楽には理論とテクニックの勉強が必要で、東洋の音楽にはニュアンスを伝える表現力がもっと必要になるのではないでしょうか。
西洋の音楽は思想や哲学と密着している面が多くて、たいへん理論的に創られているわけです。ところが、東洋の音楽は歌や楽器でも音の表現として、今まで理論化できていない部分がかなりある。多様的、多様性の微妙なところが記号化できていないんですね。
記号化されないのは、東洋の音楽が理論から生まれたものではなくて、自然などの生活環境によって生まれたからだと思います。心を表現するものがそれぞれの民 族の音楽になっているとも言えます。 ですから、融合はできても、理論面のみから東洋の音楽を解釈することはしてはいけないと思います。
後藤
西洋の場合は理論的だから、音階を教えれば子供でもなんとかなりますね。しかし、東洋の場合はもっと身体的なものから出発する教え方が強いと思います。 日本では、たとえば三味線でも最初から符を通して習うのではなくて、弟子になって日常の生活の中から、体で覚えていく。つまり理論でなくて体で覚えていくことが多かったようです。
中国でも音楽の世界は、日本の家元制と似ているものが昔はありました。テキストに基づかないで、師匠の行動を通して次世代につなげていく仕組みですね。
現代ではかなり理論教育に移行しましたが、それでも理論だけでは伝わらない部分が多いと感じています。

音楽には人の心身を癒す力がある

後藤
ところで、ストレスの増える一方の社会環境の中で、ストレスリダクションのために音楽を利用するということが多くなっています。
ストレスを解消するために、音楽を聴く人も増えていて、クラシックの有名な静かな曲や、鳥の声や川、波の音など自然の音を編集したものもあります。眠りを誘う効果を狙ったり、さまざまなことが考えられているし、音楽が脳波にもたらす研究もさかんですね。
わざわざ脳波を測定しながら、既成の音楽ではなくて、そのためだけに作った音楽も出てきているようです。
劉さんの曲はその3つが混ざったような印象があります。先程、創る人が自然のままに表現し、聴く人が自然に聴く。心にプラスになるものを目指しているとおっしゃいましたが、音楽には確かに力はあると思います。
音楽にはとても不思議な面もあります。絵の場合と異なって、感情が感覚的に影響されてしまったりすることもあります。
絵を眺める時は、人は比較的、冷静ですよね。ところが音楽を聴いている場合は、感情の深い面まで影響されているようです。
後藤
音楽の方がズバッと感情に訴えてくる力があるんでしょう。
いい音楽は心の中に夢の世界のようなものを残すと思います。
その意味では、音楽療法の曲は玉石混合ですね、聴くとひどいものもありますし。いいものに出会って、たとえば自然の音を扱ったものの音楽を聴くとホッとします。鳥の鳴き声、風や波の音とか、自然の音を聴くと気持ちがよくなる。
ピアノの音でもしっかり演奏されている音楽は、音の果てしないような感覚が表現されていて、聴くと心が安らぎます。電気的な処理をした人工的音楽でもいいものもあるかもしれませんが、どういった音楽がいいのかは、人によって異なると思います。その時の個人の感情とか性格に影響されるし、生活の悩みやストレスも、それぞれ違いますから。

音楽の力は個人によって現れ方が違う

右・笙(匏の音) 左・螺鈿紫檀五弦琵琶(糸の音)
後藤
ストレスリダクションのための音楽は一人一人違うし、その人自身の生活環境や精神状態によっても当然異なってくるはずですね。
失恋で悩んでいる時に悲しい曲よりも、むしろ愛情が溢れ出ているような温かい音楽を聴かせる方が気持ちが癒される例もあるようですし、事実かどうか確か めようがないけれど、私のCDを聴いて病気が直ったという人の手紙をもらったこともあります。音楽は生理的な面と感情的な面の両方に、影響するのかもしれ ませんね。
ですから、その人の生理や身体的な事柄、感情に合った音色を組み合わせたり、選択したりする、そういうことから音楽療法は出発した方が、手段として楽ではないかと思ってます。
左上・瓷鼓(革の音) 右上・方響(金の音) 下・金銀平文琴(糸の音)
後藤
そういう発想が必要だと思います。欧米ではかなり早くから、音楽療法をひとつの治療の手段として使ってきましたが、ようやく日本でも学会で音楽療法士を認定する制度がつくられました。
国家資格ではないし、まだ認定試験は確か2回実施されただけですが、医療現場では、音楽療法を病気の人の治療や、ストレスを解消して病気を防ぐために使ったりしています。その他にもリハビリテーションの時の動機づけや意欲向上にも使われるようです。
劉 さんがおっしゃったように音楽の持っている力は、個人によって現れ方がかなり違うと思います。そういうことを考えると、音楽の持つ力自体が病気を治すので はなくて、やはり人間の身体が病気を治すのではないかと思うんです。ですから、人間の身体が病気に戦うために、一番いい快適な状態を作るために、音楽の力 がいるという気がします。

自然から音を引き出す

復元された古代楽器での演奏会「天平楽府」
後藤
ちょっと危惧しているのは、今のうちの学生と音楽の話していると、音の種類が少ないことです。メロディーも単調なものが多いですね。
あるTV局が不快な音についての調査をしたんですが、その結果は思いがけないものでした。私たちくらいの年代だと、飛行機や自動車の音、携帯電話の呼出し音などがものすごくいやです。ところが若い世代が選んだ不快な音は、鈴虫の鳴き声、木々のそよぐ音、川の音です。
音色に対する感覚が変わって、なにか人工の方が心地好くなってきてしまっているというのは、かなり変だと思います。ところで、中国の古代思想に「八音の音」というのがありますよね。その八音とは天然の音ですか。
「八音の音」は紀元前3千年ぐらいからあります。自然界のものから音の種類を決めたわけです。八音はすばらしい発想だと思います。
「金」「石」「木」「土」「糸」「竹」「匏(ばお)」「革」の八つの音に基づいて、周の時代初頭から春秋戦国時代にかけて楽器が創りだされました。金は青銅を使った音で「編鐘(へんしょう)」や、鉄板を使った音で「方響(ほうしょう)」などの楽器があります。石は石を使った音で「編磬」などの楽器。木は木の音、楽器では「しゅく」「ぎょ」「拍板」などです。土はずばり「土笛」などですね。糸は「琴」や「阮咸(げんかん)」「琵琶」「筝(そう)」「瑟(ひつ)」などの弦楽器で、竹は笛類などの管楽器。匏は「笙(しょう)・う」、革の音は「太鼓」です。八つの音が楽器に置き換えられたんですね。
それぞれの楽器の音的表現はとても微妙で演奏の仕方でさまざまに変化します。そのあたりが西洋のものと異なっていて、魅力的なところです。
たとえば土笛は、大地の香りが溢れてるような音楽を、微妙な息遣いで表現できます。そのために、人は丸い穏やかな土笛の音を聴くと、とても心が落ち着くようです。
後藤
自然の音を再現するのではなくて、自然にあるもの中から音を引き出すということですね。
自然の素材で八つの音をピックアップして、さまざまな音楽を表現する。不快な音が快となってしまう現代の感覚とは対極の発想だと思います。
後藤
面白い考え方ですね。演奏する人間も自然の一部になってしまうということですか。
そうです。「匏」はもともと瓢箪に竹の管を差し込んだ楽器で、身近な自然にあったものです。雅楽の笙と同じものですね。弦楽器の弦は蚕からとれた絹や羊の腸を使います。ですから、八音の楽器は自然なものです。
それを自然の一部である人間が、弦楽器の場合は擦るのではなくて、はじきますから、音色は透明でやさしく、深みが出るのです。それに比べて、今のスチール弦は明るくて強いし音もすごいけれども、何か自然とかなりずれてるところも感じます。
音楽療法でも、この八音の楽器の音色を組み合わせて活用できたらと思います。後藤 そうですね。患者さんにとっても音楽療法は大切なものですが、医療に携わる側も自分自身も含めて、生活の中での音楽とのつき合いを大切にしていった方がいい。話をうかがっていて、自然の中から音を引きだすということが音楽の原点だと思いました。そういう音楽を聴いてみていったい何を感じるか、もう一度、自然の音に耳を傾けることが大切でしょうね。

TOP