患者の命に責任を持てる薬理を目指して

血清薬理学から見た医療の在り方

定説に大きな疑問を持ち、既成の発想にとらわれることなく、
血清薬理というまったく新しい魅力的な薬理学の方法を
切り開いた研究者がいる。
科学することとは何か、誰のために科学はあるのか。
その根本と発想を語ってもらった。

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田代眞一 (たしろ しんいち)
1947年京都市生まれ。富山大学薬学部(現富山医科薬科大学)薬学科卒業。昭和薬科大学教授。血清薬理学研究会会長。著書に『東洋医学に学ぶ健康づくり』(東山書房)『疾病の病態と薬物治療』(廣川書店)他がある。

患者のための薬理

田代眞一昭和薬科大学教授
後藤
ご専門は血清薬理ということですが、始められたきっかけは何ですか?
田代
ホルモンや糖尿病を研究をしていたのですが、病院に 研究員として勤務をしていた時に、富山の薬学出身だからでしょうか、漢方の質問をよく受けました。保険に漢方薬が入って使われ出した頃ですが、医師は漢方 薬のことはわからない。本で調べながら答えていたんですが、その内容に疑問を感じて始めたのです。
後藤
どういう疑問でしょうか。
田代
従来の新薬を創るための薬理は、薬草から有効成分を取り出して、効果を調べてきたのですが、実際の漢方薬には様々な成分が入っています。未知の成分もありますから、薬のどの成分が効いているかは一概に言えない、そんな疑問です。
後藤
成分同士が作用しあっている可能性もあるかもしれないということですか。
田代
ええ。たいていは生薬から取り出したある成分を動物に投与して、それで判明した薬効を説いている。それはそれで事実なのでしょうが、薬全体としてはどうなんだろうかと。生き物はバランスをとって生きているわけです。血圧を上げる成分と血圧を下げてくれる成分が体にはあるように、植物にだって逆の作用を持つ成分が共存しているのでしょう。体の仕組みのバランスの妙を考えた時に、漢方薬が効くのは1つの成分のおかげか、成分全部があって効いているのか、体全体と薬効の関係はどうなのか、そういったことがわからないわけです。判明した薬効の結果だけを集めても、患者の命に責任を持てるような薬理にはならないんじゃないかと思ったんです。
後藤
患者のための薬理をお考えになったということですね。
田代
ええ。現実に立脚することが科学ですから。
例えば植物の場合、有効成分のほとんどのものは糖がついている配糖体という化合物です。人間が働きを終えた成分や異物に糖をつけて水に溶けやすくして排泄に結びつけているように、植物も糖をつけて不要になった成分を始末しています。植物の有効成分は配糖体ですから、人間の体の水分に溶けますが、腸の細胞には油の膜があって異物の侵入を防いでいる。配糖体である有効成分も油の膜を越せないんですね。ところが、ここで腸の中の特定の菌が活躍します。漢方薬中の成分を食うマイナーな菌ですが。こういう菌は食生活などに反映して、種類も、働きにも個人差があります。それで同じ漢方薬でも人によって効き方が異なるんですね。個々人の患者の腸の中の菌が薬の効き目に大きな役割をしているということがわかるわけです。
後藤
それまで薬効はどんな方法で確かめられてきたんでしょうか。
田代
薬の成分を細胞にかけたりネズミに注射をしていたんですね。つまり従来知られている薬効は成分を注射した時に使える薬理で、口から飲む漢方薬の薬理ではない。
臨床でどう効くかを研究するよりも、薬学は新薬を開発することに重点を置いてきましたから、患者に接したり、責任を持つ薬学というより薬を創る薬学に偏っていたとも言えます。
後藤
注射での方法でしたら、これまでの薬理学で解明可能だけれども、口から入れるものについては従来のやり方では解明できないということですね。経口投与の薬については、体の中での作用を類推していたということでしょうか。
田代
そうですね。ある成分は注射では効かず、経口だと効いたりする。そういう結果だけは判明していましたが、効くプロセス、効き目の証明についてはなおざりでした。漢方薬のような複雑な系を研究したところで、論文一つできないということもありますが。
後藤
薬理学は薬を開発することで発達してきましたし、素人考えでは役に立つからいいと思いがちですが、その方法について疑問を持ち、血清薬理学ということをお考えになった……。
田代
人間に使って効果が出なければ新薬にならないのですから、開発の結果、効くものが効くような形で投与されていたということは評価できます。しかし漢方薬については、効き目をこれまでのような研究法で証明しようとしても、実は証明したことにならないのではないかと、そんなこと考えていました。
有効成分が菌によって代謝をされて別な成分になったとしても効果が出ている以上、その成分が血の中を運ばれていくからではないか。細胞とじかに相互作用しているのは血液中の成分ではないかと。単純化して言えば、血液は有効成分を含んでいる薬だと見なせるのではないかということですね。そこで、飲む前の血と飲んだ後の血に細胞を入れて、両者に差が出た時に、発揮された薬の効果がわかる、こんなことを考えるようになったんです。
血を使って薬の効果を見るという、まったく新しい漢方薬理学の方法論を提唱したところ、興味を持ってくださり、研究会も発足しました。血清を使うので現在は「血清薬理学」という名称ですが。

ファジーなものを解析する

患者の立場から薬理を考えることが大切という。
後藤
欧米でも漢方薬や自然療法に対する期待が高まっています。いいことでもあるのですが、一方では危惧も感じます。人間が多くのものを獲得してきたの は、科学する、事実を解明する意欲の結果でしょうが、科学的な方法を間違えると、自然療法や東洋医学の実態とは、かえってかけ離れたものになってしまうお それがあると思います。伝統医学や自然療法にはこれまでの方法論では解明できない仕組みがあるし、そこに光を当てる方法論がなぜ出てこないのかとも思って いました。人間の体は複雑ですから薬や療法の働きはわかりにくいのですが、効果の証明をしなくてもいいということにはならないとも感じてきました。
田代
科学は現実離れしたものは科学ではないとしてきました。逆に言えば科学がファジーなものを解析する力を持っていないことに問題があると思っています。今の科学は複雑な系の解明に追いついていない、未科学な面があるんですね。
漢方薬は現に存在していますし、病態に効いたか効かないかの評価はできますから、漢方薬は神秘のままでいいとは言えない。科学する努力をしないと、認知される医療にならないはずですね。
例えば糖尿病は国民病ですが、合併症が出てきてから医療機関に来る方が多い。早い時期に治療ができれば、数少ない薬ですむのですが、いろいろな合併症が出てきた場合は、新薬ですと、単1の成分ですから、多くの種類の薬を出すことになります。昔に比べ1つひとつの薬はいいものが増えましたが、混ぜて使うと――飲み合わせという言い方をしていますが、相互作用のトラブルが起こります。飲み合わせによる死者はずいぶん話題になりました。合併症が増える一方で薬は次から次へと開発される。使いこなせないまま組み合わせて使用する。壮大な人体実験をやっているとも言えるでしょう。
この状況で漢方の果たす役割は重要です。漢方も考え方としては、現代医学が新薬を組み合わせているのと同じように、一定の症状に対応した生薬を組み合わせてきたわけです。唯一違うのはそういった組み合わせで何千年使ってきましたから、有効なもの、安全なものが残ってきている。そう考えると、今のように合併症に何種類もの新薬を出して、きちんとした治療ができるのか、そういった薬物療法の在り方そのものが問われているのではないでしょうか。私は漢方は代替医療ではなくて基本になるべき医療ではないかとさえ思います。急性期などの病気は新薬が効果を発揮しますが、ベースには漢方みたいなものを置いた方がいいと。漢方薬が市民権を得ることがこれから必要だし、社会もそれを要求していると思いますね。高齢社会で、合併症は増えるばかりですから。

人間のために医療はある

田代
ところで医療薬学教育は、薬学の知識や技術を使って、患者さんや他の医療職の方々に貢献することが重要になります。患者のために違う領域のプロとしての薬剤師が何ができるかという考え方をした時に、医師とは違う援助ができるはずです。そうなって初めて、医師も薬剤師と協力しなければならない土壌ができるでしょう。そのためにも医療とは何かということを学ばないとダメだと思います。薬学も医学と融合できる、共通の教育が求められているのではないでしょうか。
後藤
共通教育をどう作り上げていくかというのを、様々な関連領域の中で、それぞれの独自性と共通性の問題を議論していく必要があるということですね。専門家は陥りやすいんですが、自分が大きなことをできる気がしてしまうんですね。人間の体の偉大さを忘れて、小さい所から関わっているだけなのに「オレが1番だ」と思うようになってしまう。医療教育の問題点がここに象徴されているのかもしれません。
田代
薬学の学生に医療の現場を体験させるシステムはないので、私はクラブをつくって現場へ行けるようにしています。看護学生さんと実習に一緒に回らせてもらって、看護とは何か、医師はどうやって診療をしているのか、短期間の体験ですが、貴重なものになると思います。
後藤
すばらしい試みですね。介護や医療の現場を体験したり、実習することは大事なことだと思います。そういう仕組みがあってこそ、患者のための医療になると思います。
高齢社会になり、たいへんなことになると言われています。国が考えた介護保険のシステムにも問題はありますが、医療関係者を含めた様々な職種の人が関われるようにしてあるということは、介護も医療の一部ですから、いいことなのかもしれません。人間のために医療はあるのですから、そのために何をしなくてはいけないかを考え直すために、とてもいい社会状況、機会を迎えていると思います。

自分が学んだものを解体してみる

後藤
これからの薬学に求められていることは何でしょうか。
田代
これまでの薬学は、モノとしての薬をどう創るかという創薬の側にほとんど意識がいっていたんですね。現代は新薬を工業的に開発しなければならない状況ですから、仕方のない面もあるのですが、臨床の現場に目が向いていなかった。そこに問題があるのではないでしょうか。
創薬は治療の片手間ではできない。そういう事情と化学の流れが相まって、薬学科が薬を造る部門として独立した経緯があります。薬学が成果を果たしたことは確かで、漢方薬についても、現代薬学を導入して成果を上げてきました。
一方で、臨床の現場や薬局で薬を管理し、服薬の指導をしたり、場合によっては医師や患者の相談にのる立場の薬剤師が、薬学を出ることを資格の条件にされたことにやはり問題があったと思います。薬学は薬を創る学問として発展してきていますから、薬剤師の本来の役割と乖離があるんですね。私は薬学教育というのは患者に責任を持てること、医師や患者に指導や援助ができることを学ぶ場だと思います。医療薬学ですね。これまでの薬物療法でいいのかどうか、あるいは新薬で治療ができているのか、医療の現場で本当に要求されている薬はどういうものか、そういうことを薬を創る側にも知ってもらわなければいけないと思います。
最近は人間の遺伝子や体の仕組みを構成する成分を利用して薬を創る世界が広がっています。逆に言えば生体をよく知っていないと薬は創れないし、安全性の解明はできないはずです。人体を知り、実際の病態を知らないと創薬はできないと思います。患者からスタートし、患者に戻る薬学というものを確立していく、それが薬学に求められることですが、それを実現する教育のやり方ができていません。
極論ですが、薬学も医療薬学と創薬の二本立てでもいいという考え方もあります。私は医療資格を全部一本化してしまったらとさえ思います。医師、薬剤師、検査技師、鍼灸師、看護士などの資格を一本化して、ある人は臨床薬理の薬剤師としての機能を果たす、ある人は医療を知って創薬に回る。患者の心のケアに責任を持ちたい人は医療心理の専門家として看護の中心になる。ただし、この場合は医療を担うための必要な基礎教育は共通化すべきだと思いますが。
後藤
面白い発想ですね。医師は別にして、私も似たようなことを考えていました。医師業務の診療補助という形で様々なメディカルな職種があるのですが、補助ではない部分が大きくなってきていますし。看護なら補助行為とは別に独立した看護行為があります。鍼灸などの東洋医学は診療補助行為とはちがった独立したものです。それぞれ特異性があり、専門分化しているので、互いの職種の内容がわからないんですね。相談が必要でも誰に相談していいのか、実は医療職の人こそわからないということがずいぶん見受けられます。共通の教育をする場が必要だと考えてきました。そこでは初めから特定の職種を目指さず、まず共通の教育を受け、修士の課程で専門を選ぶ。アメリカの大学の仕組みに近いと思いますが。それぞれの職種を理解できますから、患者に責任を持てると思います。
また、これから大切なことは、自分の領域にしがみつくための勉強ではなく、自分が学んだものをいったん解体してみる、学問として成立していたものを分解してみる。それぐらいの勇気を持たないと新しい世界が開けない。先生のお話から、そんなことを感じました。ありがとうございました。
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