「生きる意味」を追求させる心理治療と癒し

欧米では「ロゴセラピー」と呼ばれるカウンセリング療法が注目されている。
ナチスの収容所体験を持つV・E・フランクル博士が開発したこのセラピーは、
過去の分析に終始するこれまでの心理学に対し、
対象者に「生きる意味」を追求させようとする。
日本人として初めて「ロゴセラピスト」の称号を得た勝田茅生さんに、
医療分野でのロゴセラピーの可能性をうかがった。

プロフィール写真

勝田茅生 (かつた かやお)
1970年上智大学哲学科修士課程を卒業し、四年間年ミュンヘン大学へ留学。ドイツで結婚し2人の子を育てる一方、76年アルベルト・グライナー児童音楽教育論を学び、音楽教育者の資格を取る。97年ロゴセラピーと出会い、ミュンヘンの研修所でエリーザベト・ルーカス博士の指導のもとで研修を受け、ロゴセラピストに。ドイツ在住。

フランクルの三度の「ノック」

公演する勝田さん
後藤
勝田さんはどのようにロゴセラピーと出会われたのですか?
勝田
私は長い間ずっと病気知らずだったのですが、1996年に腸閉塞を起こして入院し手術を受けました。その時真っ先に駆けつけた友人が持ってきてくれ たのがロゴセラピーを開発したフランクルの本だったのです。もちろんフランクルの名は知っていましたが、直接触れるのはこれが初めてでした。その年の夏、 療養に出かけたのですが、療養所で知り合った高齢の男性が、「2、3日前、フランクルが亡くなった」と言ったのです。さらに仕事のために出席した講習会で たまたま昼食で同じテーブルについた男性に、「どんな仕事をしているのか」と聞いたら「高校教師のほかにロゴセラピストをしている。フランクルのロゴセラ ピーの教育を受けて本当によかった」と話すのです。
このようにフランクルは3回続けて私のドアを叩いたわけで、「これには何かわけがあるに違いない」と考え、すぐ資料を取り寄せました。
後藤
どこで、ロゴセラピーの研修を受けられたのですか?
勝田
エリーザベト・ルーカス博士が率いているミュンヘン郊外の南ドイツロゴセラピスト研究所です。フランクルはこのルーカス博士を、自分の考えをいちばん正統的に理解してくれているとして後継者と認めていたのです。私はさいわいにして偶然にもそういう方のもとで学ぶことができました。
後藤
ロゴセラピストのライセンスを得るコースはどのようになっているのでしょうか?
勝田
大学で心理学を学んだことが研修を受ける条件です。普通は心理学士の卒業証書を持っていないと入れないのですが、私の場合は哲学を勉強した経歴と、長いこと教育分野で仕事をしていたという実績で入れてもらいました。
このロゴセラピーの研修制度は15年近く続いているのですが、半年ごとに入学者を受け入れており、1つの教室が修了するには全部で4年かかります。最初の2年は毎月1度、土曜と日曜にかけて朝から晩までの講義が行われます。半年で1単位になっていてそれを「セメスタ」というのですが、四教室あるので4セメスタがいつも並行して進められています。セメスタの終わりごとに試験があり、講義を理解していない人は落第するわけです。後半の2年は個々の症例を持って集まり、グループでディスカッションをします。そして、この4年を終えると「ロゴセラピスト」という称号が与えられるわけです。私の教室は30人ですが、教室により人数は異なります。

東洋思想と共通する「無私」の考え方

医学教育の在り方について語り合う
後藤
フランクルは日本ではドイツ強制収容所の体験記録である『夜と霧』の著者として知られていますが、やはりロゴセラピーには収容所体験が大きな要素を占めているわけですね?
勝田
彼は非常に頭脳明晰な人で、すでにもう高校生くらいから心理学に関心を持ち始め、フロイトとアドラーという二人の偉大な心理学者に学びました。 1940年、精神科医としてウィーンの市立病院で働いている時、念願のアメリカ渡航の機会を得たのですが、ナチのユダヤ人迫害が激化し、彼の父親がたまた まナチスの襲撃に遭った教会で見つけた石のタイルに、モーゼの十戒の「汝の両親を敬え」という戒律の一部が書かれていたことから渡米を断念します。「自分 の両親をおいていくことはできない」と思ったからなのです。彼は、人生で大きな決断をしなければならない時に、「不安にかられて決断するか、もっと次元の 高い精神(ロゴス)の次元で決断するか」の二つがあると考えた結果、「親を救うことによって自分の不安のほうを救うことができた」という体験をするわけで す。
フランクルは1942年に強制収容所に入れられます。門の入り口でナチスの将校に「お前はどちらに行く」かと迫られた際、別の方を選んだ人た ちが虐殺されたのに対し、フランクルはあやうく生き延びることができました。そうした極限状態の中で彼はさまざまな発見をします。たとえば収容されている 人の間でいろいろな病気がはやったりしていますが、体力のありそうな人でも案外簡単に死んでしまうといったような例を目撃しました。
こうしたこと からフランクルは、どういう人が生き残り、どういう人が死んでいくのだろうかという疑問を持ちました。その結果、「生きることに意味を見出す人」が強いの ではないか、と考えたのです。さらに、強制労働をさせられ、ろくに食べ物ももらえず、理由もないのに暴行を加えられるという状況でも、生きるということに 何らかの価値があると考えられるのは、どういうことなのだろうかと思いました。ここから、自分が生きているということ自体が何か使命を持っている、生きて いるというより「何かに生かされている」という部分があるのではないかという考え方にたどりついたのです。
後藤
何か東洋の「無私」の思想に似たものを感じますね?
勝田
確かにそういう面があるようです。そういう考えになってくると、「今の瞬間私ができることは何なのか」という思考になるわけです。ノイローゼの人というのは「私は人から何をしてもらえるのだろう」とか、「私は人の目にどう映っているのだろう」というふうに「私」中心です。ところが、フランクルの精神次元の人格的生き方の中では、「私」が一歩退いて、「世界は私に何を期待しているのか」、「私は人類のために何をすることができるのだろうか」ということを鋭く洞察する能力を重視します。そうした力を得るためには私たちは、瞬間々々精神を集中して張り詰めて生きていかなければなりません。そうしないと私たちは、自分だけを守るための方向に自然に流されてしまうわけですから。これが根本的なロゴセラピーの態度です。
たとえば病室で痛みを覚えながら寝ていると、自分自身のことが気の毒に思えて、他人のことは目に入りにくいものです。ところが、ふと隣のベッドを見るとやはり病気で寝ている人がいて、その人は自分よりもっとひどい症状で痛みもつらいだろうということに気づきます。すると、自分が痛いのを我慢して起き上がりベルを押して看護婦さんを呼んであげようとする。そういうふうに自分を超越できるものを、ロゴセラピーは目覚めさせる役割があります。
後藤
フランクルがロゴセラピーというものを実践してきたということはあまり日本では紹介されていないですね。浜松医科大学の永田勝太郎先生などがこうした方法を積極的に医療分野に取り入れようとされているし、勝田先生もドイツと日本の架け橋になると言われているわけですが、外国で行われている療法が日本人に合わないということもしばしば見られますね。そうした面でうまくいくのでしょうか?
勝田
私は何年か前から座禅を始めたのですが、ロゴセラピーと非常によく似たところがあるのではないかという感じがしました。フランクルの日本への紹介者の一人である山田邦男先生も東洋的な思想に近いということをおっしゃっています。座禅というのは、何か悩みがあったり情緒的不安定になった人の場合、それを頭で分析的に考察するのではなくむしろそれを超越したところで本来の自己を見るという考え方をします。それはフランクルの心理学の方法と同じなのです。たとえば自分が病気になったり、不幸な目に合ったりすると、だいたい人間は殻に閉じこもった状態になってしまいます。「自分は不幸だ」とか、「可愛そうだ」というふうに、悲劇の主人公になってしまうわけです。そうではなくて、そうした自分の今おかれている事情というものをありのまま受け入れ、心を開くと新しい課題が見えてくるという考え方ですが、これは座禅ととても共通しています。
後藤
「部分ではなく全体を見なければならない」という考え方も、東洋的な考え方と結びついていますね。欧米でのロゴセラピーの普及度はいかがでしょうか?
勝田
ロゴセラピーがいちばん普及しているのはアメリカです。フランクルは自分の考えている療法をアメリカに行って伝えたいという希望があったらしく、それが受け入れられているものと思います。
ドイツではロゴセラピーの普及はちょっと遅れているのです。フランクルはナチスのユダヤ人強制収容所に入れられていた人なので、ドイツ人の意識の中にわだかまりがあるのではないかという気がします。でも彼の死後、ロゴセラピーを学ぶ人がどんどん増えているのも、分析的心理学の行き詰まりから何か新しい治療の可能性を求めている証拠だと思います。

まずすべてを受け入れる姿勢から

後藤
ロゴセラピーはカウンセリングを受ける人に対して、自分の心の窓を外に向かって開いて、周囲に対して「気づき」を持ってもらうということですね?
勝田
そうです。極端な例ですが、金属バットで母親を殴って殺した少年がいました。彼も「いじめにあって悔しい」というふうに、自分の不快感だけに固執し ていたわけです。分析心理学も、「彼のお母さんはシングルマザーで小さい時から働きに出ていたので、彼のことをちっともかまってくれなかった。愛情に飢え ていたから殺人に走ったのだ」という説明をするわけです。これに対してロゴセラピーでは、お母さんがどんな気持ちで少年を家に置いて働きに出かけて行って いたか、どんなに苦労して育ててくれたかを理解させます。自分がいつも被害者であったのではなく、お母さんは多くのことを自分に与えてくれたという関係を 再発見しなければなりません。自分から抜け出て、自分を超越して、自分が十分与えられてきたことに気づいてもらうのがロゴセラピーです。
後藤
すなわち、まずきちんと話を聞いてあげて、相手をまるごと受け入れるということですね。そこから先に意識を転換させるためには、どんな作業をされるのですか?
勝田
金属バットの少年にカウンセリングをするとすれば、まず彼がどういう不満を持っていて、どういう心の痛みがあるかということを十分聞いてあげることが大切です。最初に信頼関係を作り上げることにより、「この人に対しては何を話してもいい」という気持ちが出てくるでしょう。
そういうふうにある程度「場」ができたら、今度は彼が見ていたことに、他の方向からスポットライトを当てて見せます。彼がお母さんを恨んでいるのだとしたら、お母さんは夫と別れて経済的に苦しく、孤独で心の痛みが強かった、あるいは子供を一人にしておくのに非常に心の痛みを覚えていたといったふうに、母親の立場から考えていくわけです。
もう一つは、次の未来へ向かうために何を生きることの意味にしたらいいかということですが、これはカウンセラーが自分の価値観を提示するのではなくて、その人自身の中にあるものを引き出すということです。人はそれぞれ何かを持って生まれてきて、それを自分では忘れていることが多いのです。カウンセラーはクライアント(相談者)が話している時、注意深く耳を傾け、その人が今まで気づかなかった能力や関心を引き出そうと努めます。すると自分で全然予想もしなかったものが見えてくる。これをフランクルは「ソクラテスの話法」といっています。
金属バットの少年は近所の人たちからとても親切で愛想がよかったといわれていますが、そのように違う面、優れた面を見つけてそれをどのように使ったらいいかということをなるべく具体的に考えていきます。
後藤
カウンセリングでそうしたことに気づきを与えられるのは、やはり個々の人のタイプを見るわけですか?
勝田
タイプを見ていると間違ってしまうことがあります。たとえば自分が全然受け入れられないようなタイプの人でも、非常に優れたものを持っているのだということがわかるということがあります。ですから、タイプというより、その人がどういうふうに生きてきたか、という方に注目するわけです。
後藤
クライアントを人間として全般的に捕らえるということですね。今の医療関係者がそこから学ぶべきものがあるな、と思います。「何かしてあげる」という意識ではなくて、医療者と患者で同じ場を一緒に歩んでいくという考え方ですね。ケアというのはそういうことではないかという気がしますね。
勝田
カウンセラーが「こうやったらどうでしょう」とアドバイスしても劣等感の強い人は、「私はそんなに優れた人間ではない」ということになりがちです。そうではなくて、人間はみんなそれぞれ非常に大きな力を持って生まれているのだから、ケアをする人もケアをされる人も価値は同じなんだと考えなければならないと思います。それが医療ケアにおいてもカウンセリングにおいても基本的な態度になります。人間を心とか精神を含めて価値ある存在として見る必要があるし、そういう態度がなくなると人間を物体として見ることになってしまいますね。

立ち直りをうながす「気づき」

後藤
ロゴセラピストとしてどんなお仕事を目指しておられますか?
勝田
研修が修了したあと、ルーカス博士から「日本人ではあなたが初めてですよ」と聞かされて、私は「日本への架け橋」になりたいと思いました。そういう 意味でいちばん最初に始めたのがドイツ在住の日本人のためのカウンセリングです。外国で生活していると、日本では考えられないようないろいろな悩みがある はずですから、これらの人たちに何か役に立てばと思いました。
後藤
ロゴセラピーが効果をあげた例を教えてください。
勝田
ドイツに赴任している日本人ビジネスマンの奥さんから「うつに悩んでいる」という相談の電話があって、カウンセリングをしました。まったくドイツ語がしゃべれず、5歳の子供を抱えているのですが、人と会うのがいやで郵便受けに手紙を取りにいくのも、買い物にいくのもつらいと訴えるのです。子供は小さいので外に出たがるのに、終日家にいてビデオを見て過ごしたりしています。そして、子供がぐずると、厳しく叱ったり時には殴ったりするとのことでした。
子供を殴る人は、子供のときに暴力で教育を受けた人が多いのでそのことを聞くと、案の定彼女もお父さんから暴力を受けていることがわかりました。ただ、分析心理学なら父と娘との関係を詳しく見るところですが、ロゴセラピーはあまり過去にはこだわりません。問題は彼女が外に出られないことだからです。
私は結局彼女が自分のことに一杯で、子供のことを忘れてしまっていることに気づきました。そこで子供のことを聞いてみました。もしかすると、子供の頃の彼女と同じようなみじめで気持ちでいるかもしれません。そこで「あなたのその時のことをよく思い出して欲しい」と言いました。
2週間ほどして彼女から電話があり「子供を幼稚園に連れていった」というのです。どうしてそういう気持ちになったのかと聞くと、「自分を見ているような気がして涙がぼろぼろ出てきた」と話しました。そして、「子供をほかの子たちと一緒にさせてあげたい」と思ったそうです。「よくやったね」と一緒に喜びました。
このケースがうまくいったのは、彼女が意識を子供のほうに移すことに成功したからだと思います。ひどくなるとこういうタイプの人はどんどん自分の殻に閉じこもり抜け出せなくなり「あり地獄」のノイローゼ状態になる。ですから早いうちに意識を他の方向に移してあげることが大切です。次のステップは彼女がドイツ語を覚えて幼稚園で溶け込めるようになることだと思います。
後藤
作家の灰谷健次郎さんは、不安を持つ今の少年少女達に向けて「人には様々な生き方があるし、すべての人に生きている意義があるんだよ、無駄な人なんてこの世に一人もいない、他人が何と言おうと、今のままの君で良いんだよ」という話をしています。そういう安心感が得られないような学校や家庭、そして大人に問題があるといっています。意識を他の方向に向けてあげるということからすると、とてもロゴセラピー的だと思います。ロゴセラピーというと何かとても強靭な意志が必要なような印象がありますが、そんなことはありませんね。医療人は、ぜひ学習してほしいと思います。

TOP