医療のあり方を左右するおカネの流れを問う

より多くの人たちがより質の高い医療を受けられるための
おカネの流れを探る研究が医療経済学だ。
そのなかで社会保障により提供される医療と
市場原理に基づいて提供される医療を、
それぞれどのように取り入れ、生かしていくかが問われている。
また、コメディカルや代替医療の役割がいっそう高く評価されるようになってきた。
日本の医療経済学の第一人者である西村周三さんに、
研究の意義と課題を語っていただいた。

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西村周三 (にしむら しゅうぞう)
1968年京都大学経済学部卒。ハーバード大学研究院、横浜国立大学助教授を経て、87年より京都大学経済学部教授。システム論の立場から医療と費用の関連を研究し、臨床経済学など新分野の経済学構築をはかる。96年8月~97年3月イギリスCentre for HealthEconomics、The University of York客員教授をつとめる。著書に『医療と福祉の経済システム』(築摩書房)ほか多数がある。

いかに市場性を取り入れていくかが課題

後藤
最近医療制度改革の流れの中で「医療経済学」という言葉をよく耳にするようになりましたが、一般にはこの言葉は正しく理解されていないところがある ようです。そこで、医療経済学の概略を理解させていただくために、まず先生がこの分野を専門に研究されるようになったきっかけからお聞かせください。
西村
ひと口でいえば医療経済学は、医療や保健・福祉などの分野で、おカネがどう使われ、どのように流れていくのがいいのかを考える学問といえるでしょ う。私がこの分野の研究を始めた1972年当時は、医療費の不透明な流れなどから歯科も含めて医師批判が集中していた時代です。そこで一種の正義感に燃え て、医療分野でおカネがうまく使われているのか調べてみたいと思ったのがこの道へ進むきっかけでした。
ただし、その頃と最近ではずいぶん学問の目 的が違ってきたと思います。当時医療というのは命を守るものという考え方でしたが、現在日本は世界一の長寿国になったことでもあり、最近はQOLといった 面が注目されています。この面でも医療にどのようにおカネを使われるかということは、かなり違った考え方になっているわけです。
後藤
その中で、どのようなことが研究の大きなテーマになっているのですか。
西村
ヨーロッパや日本では医療は基本的には社会保障で提供されており、一方アメリカでは民間ベースでいろいろなお金が支払われるという市場原理に基づいて医療が提供されています。このような二つの仕組みのどちらに重点をおいてこれから伸ばしていくかということが一貫して医療経済学のいちばん大きなテーマでした。
もちろん命にかかわるようなことですから、おカネのある人だけが長生きできるというようなシステムは考えられません。そうした意味ではアメリカの状況はかなり悲惨なものがあり、そのような方に向かうというのは危惧されます。ただ、一方でQOLということからいえば、医療は普通に我々に楽しみを与えてくれる様々な商品と同じ性格を備えるようになっていて、市場という要素をどの程度高めていくかということも課題になるわけです。
後藤
医療経済学というと、もっぱら「医療費を安くあげるためにどうするかを考える学問」というふうに誤解している人がいるようです。しかし、先生は「医療の質の確保」が非常に重要だとおっしゃっています。そのために医療の中に競争原理というものを取り入れていこうということなのですね。
西村
そうです。日本では今まで国家が責任をもって医療を提供していくという仕組みの中で、過度に国家へ期待を高めすぎて、何もかも国に頼っていくという姿勢になっていました。質の確保という点に関しても、悪質な医療が提供されないように国家が管理・監視すべきだという考え方です。しかし、国民のニーズが多様化しているという状況下では、多様なサービス、多様な医療をそれぞれの個人が考えて求めるようになっています。国家だけでなく、非営利団体や、専門職の団体など、いろいろな人が医療の質の確保というものを一緒になって考えなければならないと思います。
後藤
国家に任せておくだけでは医療の質向上に限界があるということですね。
西村
そうです。アメリカでは医師の数とか医師の専門資格というものにほとんど国家は関与していません。あらゆるところを国家が関与するということになる といろいろなところに弊害が出てきます。たとえば日本のように膨大な赤字を出して国が傾きかけているという指摘があるということからも明らかです。国は基 本的に最低限のことをやろうとしますが、多様なニーズに合わせた質の確保ということは国に任せておいてはできるはずがありません。
たとえば電化製品の業界だったら、消費者団体をはじめいろいろな団体とコミュニケーションしあうなかで、いい質の製品を作ろうという競争がありました。そ れを医療の世界でどういうふうに作り出していくかが課題だと思います。日本では医療に限らずどの分野においてもいわゆるプロフェッショナルというものの活 動があまり活発ではありません。専門職同士で質を確保するためのモラルの基準を作り、さらにその質を向上させていくにはどうしたらいいか、そして国民みん なに見えるような透明性をもたせるにはどうしたらいいかということが課題となっています。そのことがその業界、その分野のパイを大きくしていくうえで非常 に重要ではないかと思います。

診療報酬でもQOLを評価

後藤
医療経済学の考え方では、専門の人たちによる職能団体が自らの質の向上、質の確保に役割をもつことになるわけですね。
西村
具体的にいいますと、たとえばQOLを測定するという考え方があります。以前なら、手術などの外科的治療と投薬などによる内科的治療を、どちらがい いのか比較検討するといった場合、「どちらが長生きできるか」という単一の尺度で測ってきました。ところが、いまや外科治療で少々長生きするということよ り、「治療を受けたためにQOLが非常に低くなるのであればその手術を採用しないほうがいいのではないか」という意見が出てきます。また、いくらいい治療 であってもそれに膨大なお金をつぎ込まなければならないなら、「国民全体としては他のところにつぎ込んだほうがもっと大きな幸せが得られる」という議論が 出てきます。
逆にQOLの比較により薬の経済的価値が決められるのではないかという考え方もあります。高価であっても画期的にQOLを高められるような薬なら価値があるし、QOLを高められない薬なら安い値段で売るべきだという議論が出てくるわけです。
後藤
医療経済学では単に安ければいいということではなく、そういう指標が大事にされるということですね。
西村
それは別にお医者さんの技術によってもたらされるものだけではありません。日本では同じ治療をやれば新米の医者でもベテランの医者でも同じ診療報酬しか得ることができません。それが矛盾だというなら、払う側の観点からいってどのくらいが妥当かということになります。「いくらベテランであってもこれだけしか払えない」というような声も入れなけばなりません。こういう要素を取り入れて指標計算をするわけです。
後藤 患者さんのQOLがどれくらい上がるかということも診療報酬に加味されるわけですね。
西村
そうです。具体的な例をあげれば、現在日本の医療費で大きなウェイトを占めているのが人工透析です。そこで人工透析と腎移植はどちらがいいかという議論になる。今人工透析は非常にお金がかかる割には寿命を伸ばしてもいないし、そんなにQOLを向上させているわけでもありません。一方、腎移植は死体腎でもできるので、それならもっと移植を推進するためにお金を使えば全体の幸福を引き上げるのではないかという考え方もある。あるいは入院透析と在宅透析ではどう違うかという比較もあります。

向上するコメディカルの評価

後藤
先生はいい医療制度というのは、医療の質の確保ということと患者さんの主体的満足度ということの両方を満たさなければ実現できないといわれていますが、この主体的満足感にかかわってくることがQOLというわけですね。ところで、先生は「コメディカルの人たちの技術面の評価を高くしたほうがいいのではないか」と提案されていますが、このこともかかわってくるわけですね。
西村
ええ、そのとおりです。我々の医療ニーズは大きく急性疾患から慢性疾患へと変わってきています。医療の中で医者の存在感は依然として大きいけれど、QOL全体を引き上げるという点では医者の寄与度はだんだん下がってきていると思います。一方では看護婦やPTがリハビリに参加するなど、コメディカルの人たちの寄与度がどんどん上がってきています。
そうした状況であるにもかかわらず、日本の保険の仕組みもそうですし、日本人全体の考え方も基本的には「お医者さんあっての医療」というのが根強く残っています。確かにたとえば心臓発作で倒れた時などは、お医者さんに頼らざるをえません。これに対して、痛みがなかなか引かないとか、疲れがどうもとれないというたぐいの訴えに対するケアに関してはコメディカルの役割は大きいわけです。ところが、今まで医療が医者中心の仕組みになっている関係で、医者の資質についてうるさくいってきたけれど、コメディカルはあまり問われませんでした。平均的には貢献してきたけれど、個人差があって資質の低い人も厳に存在しています。そこで、むしろ全体の評価をあげていくとともに、そのなかでのコメディカルの質の確保ということを重要な課題にしなければならないと思います。
後藤
それはやはりこれからコメディカルの専門職能団体の自助努力ということになりますね。ただ、そうなると現在の支払いの方式の中で、コメディカルがやりがいのある仕組みということが確保されなければならないのではないでしょうか。一方で医療費全体が上がってきているなかで、コメディカルだけ膨らむわけにはいかないという事情もありますね。
西村
今まで日本の医療報酬は、医者が何かやればそれに対して支払われる出来高払いでした。看護婦がそのなかで何かをしてもその出来高には支払われてはいなかったわけです。そこでそうしたコメディカルの人たちの仕事を評価するようにシステムを少しずつ変えていかなければなりません。同時に財政的に保険でいろいろなものをカバーするとしたら、実際には納税者とサービスを受ける人との間にはギャップが生じることになってしまいます。そのため、大きくは報酬を定額制あるいは包括払いにしようという流れが出きています。それがじつは医師に対しても適応され、たとえばたくさん手術したら報酬が多くなるというあり方を改めようということになってきているのです。
ですから、一方でコメディカルの再評価の必要性ということがあって、もう一方では保険の枠内では医療報酬を抑えていかざるをえないという2つのことをにらみながら、医療制度を変えていこうというのが課題です。
後藤
たとえばPTなどのコメディカルは出来高払いではなく、以前から施術したら保険点数が何点という評価包括式、定額式ですが、あれはやはり新しいジャンルだったからでしょうか。
西村
そうですね。昔は出来高払いでよかったのですが、だんだん財政事情が厳しくなってきたところへ、そうした作業療法士、理学療法士などの職種の重要性がクローズアップされるようになったわけです。ある意味ではタイミングが悪かったといえるかもしれませんね。

漢方・鍼灸にもっと保険適用を

後藤
アメリカの医療費はおそらく世界一高いのに、医療への満足度は世界一低いといわれますが、そうしたなかで代替医療がブームになっており、ハー バード大学やスタンフォード大学などの専門家からも高く評価されています。このことは医療経済学の立場からどのようにお考えでしょうか?
西村
ポイントとしては2つあると思います。1つは代替医療が費用に対する満足度が高いということです。お金をかければ満足度が高いのはあたりまえです が、問題はコストに対する満足度であり、それはアメリカでは間違いなく下がってきていると思います。満足度だけとってどちらがいいかということは今後の研 究課題ですが、この「コストに対する満足度」ということを考えれば、ほとんどの人は代替医療に軍配を上げるわけです。
もう一つ、私は漢方などを研 究してきましたが、そのことから代替医療は病気に対するアプローチの仕方が西洋医学とは基本的に違うことに気づきました。代替医療は、ホリスティック・メ ディスンといわれるように、全体を考える医療です。代替医療の指標はまさに満足度であり、西洋医学の指標は平均寿命が何年伸びたかということです。そこで QOLも指標化して「何パーセント上がってきたか」という方法を取り入れたりしながら、いろいろな医療の取捨選択がなされているわけですが、このことは簡 単そうに見えてじつはそう簡単なことではありません。代替医療を西洋医学の手法で検証したら「無効」という結果になったりすることがありますが、それなら 本当にだめなのかということが問われます。
たとえば漢方ではよく「虚弱」という言葉を使いますが、これは英語ではなかなか表現できない概念です。 すると、それを科学化して欧米人にわかるように指標化しなければなりません。代替医療は一義的には「満足度」といわれますが、ただそれだけではなく、別の 尺度から見ても効果はあるのだということをどうやって説明していくのか、ということが非常に大きな課題だと思います。
後藤
欧米の公衆衛生の専門家たちは、日本人が世界一長生きであるということの理由の一つとして、東洋医学が医療保険の仕組みに組み入れられていてその恩恵に浴しているからではないかというふうに誤解している人がかなり多くいます。しかし、実際には代替医療は保険の仕組みに入りづらかったわけですね。一方で東洋医学にはもともと「未病を治す」という予防医学の考え方がありましたが、このことについて医療経済学からはどう考えるのでしょうか?
西村
それはいま医療改革で話題になっており、支払い側の健保組合から医師会まであらゆるところが今後取り組むべき共通したテーマとしてとらえています。ただどこから取り組んだらいいのだろうか、ということをめぐってそれぞれの団体や厚生労働省が模索している段階です。
予防といっても治療に近いような予防もあるし、「タバコを吸わない」という本当に健康を守るという意味での予防もあります。ただ人間は、ある程度切実感がないと動きません。日本では病気になりやすいのは高齢者であり、若い人たちは病気になりにくいのに、医療保険は払うのは若い人で、恩恵を受けるのは高齢者という構造がはっきりしてきました。そうしたことを考えると、予防は病気になりかけている層をターゲットにするのがいいのではないかと考えられます。高齢化してだんだん故障が出てきたりすると、「予防しなければならない」という切実感を自覚し、予防の効果も認識しやすくなります。そこで「念のために」という部分を予防として保険の中に入れていこうという要素がこれから出てくるでしょう。
後藤
アメリカの代替医療の中で、鍼や東洋医学がもてはやされていますが、その中で何が注目されているかといえば結局予防医学です。たとえば「眠れない」というような、先生のおっしゃる病気になりかけの人たちに代替医療がいいということを彼らは本能的に知っているように思われます。ある意味で日本人はあまりに身近にありすぎて無自覚な部分がありますが、アメリカでは保険会社が完全にカバーしている。社会政策全体の中で、「ここは保険でカバーし、ここは自己負担しなければならない」という議論はやはり考えていくべきですね。
西村
保険でやると均質化はするけれど、突出して素晴らしいことをしても収入が多くなるわけではないので、どうしても敬遠されがちです。ですから一部には突出した素晴らしい治療法があるけれど、かなりの多数は保険でカバーしていく。という仕組みになるのがいちばんその分野が伸びていくやり方なのではないでしょうか。
そうした観点からいうと、漢方もそうですが、私は東洋医学の鍼灸分野をなんとかもう少し保険でカバーできるようにするのがいいのではないかと思います。たとえばドイツなどでも保険給付という形を取り入れており、それは世界の流れとなっています。
後藤
アメリカの例などをみると、正規の医療が受けられない貧しい人たちが代替医療を選んでいる状況から、知識階級の人たちがQOLを求めて医療資源として用いるようになっています。代替医療に対する期待も、少しレベルが高くなっているようですね。
西村
そのことにつけて、アメリカの医療との違いで面白いと思うことは、日本の知識階級の医療に対する知識の低さです。どこの国も教育水準の高い人たちがいろいろなことを知っているというのが普通ですが、日本のインテリは、たとえば「心筋梗塞で倒れた時、どんな治療法がありますか?」といったことを聞いてもほとんど答えられません。ところがアメリカでは、インテリ層はそうしたことをとても勉強していて医学雑誌も非常によく売れており、非常によく知っています。そうしたアメリカのインテリ階級から代替医療が注目されているということはちょっと日本も考えてみなければなりません。
後藤さんのおっしゃるように、日本人は東洋医学の中にどっぷりつかっているから気がつかないという面は確かにありますが、ともかく西洋医学も含めて医療には非常に受け身なのですね。私はその責任は知識階級にあると思うし、そうした人たちに頑張って考えてもらうことによって、日本の医療はさらによくなっていくのではないかと思います。
後藤
医療ニーズが多様化するなかで、日本固有の医療資源をどのように活用するか、また応用していくかが医療経済の面からも問われているのがよくわかりました。

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