放射線治療の経験から得た全人的な見方とケアの心で緩和医療に取り組む

死ぬことを考えなくなった日本人は、QOLの高いがん治療に目を向けず
医師の勧めるままに外科手術を受けることが少なくない。
またがん末期にあってもモルヒネへの偏見から解放されず、
自ら苦痛にさらされる選択をする場合がある。
がんの放射線治療と緩和医療に取り組む中川恵一さんに、
キュア(治療)に傾きがちな日本のがん医療の盲点と、
ケアを育てていく必要性についてうかがった。

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中川 恵一 (なかがわ けいいち)
東京大学医学部附属病院放射線科准教授、緩和ケア診療部部長(兼務)1985 年、東京大学医学部卒業、同放射線科入局。1989 年、スイス、ポーラシェーラー研究所客員研究員。1993 年、東京大学医学部附属病院医員。1997 年、同大学院医学系研究科生体物理医学専攻放射線講座講師。2002 年、同講座助教授。2003 年より緩和ケア診療部部長兼務。著書に『緩和医療のすすめ』(共著)、『放射線治療とEBM』など。「ひとにやさしい放射線治療」がモットー。

放射線治療は緩和ケアになじむ

後藤
中川さんはどうして放射線医学を専攻されたのか、そしてそこから緩和ケアの仕事に取り組まれることになったのかということからお聞かせください。
中川
私が研修医だったころ、放射線診断学に興味を持っていました。現在の研修医はスーパーローテーションといって、いろいろな専門分野を学ぶことになっていますが、私たちの時代は最初に決めた方向へそのままずっと進むようなしくみになっていたのです。しかし、そもそも高校を卒業して6年間の医学教育で自分の進路を決めなければならないというしくみには無理があります。放射線診断学というのはエックス線画像を読影して病気を発見する分野であり、そのあとの治療は他の診療科に任せなければならないのだと考えると、この分野に物足りなさを覚えるようになっていました。ところが、放射線科に入局してすぐに私が配属されたのは、たまたま診断学ではなく、もう1つの放射線治療学の部署でした。この分野はほとんどすべてのがんを扱います。たとえば胃がんの専門家だったら普通は一生胃ばかり診ることになりますが、放射線治療は、脳も、消化器も、呼吸器も、生殖器も、骨、皮膚もほとんどすべての臓器を診ることになるわけです。いわば人間全体を診るわけで、非常に魅力的な分野だと感じました。さらに放射線治療のいいところは、治療の部分とケアの部分の両方を併せ持っているというところです。ケアの部分では、がんが全身転移を来たして完治が見込めなくなった患者さんに対しても、転移巣を放射線治療することによって痛みをやわらげたり、麻痺を改善するなど、症状を緩和して患者さんのQOLを上げることができます。そうしたことから今度は緩和ケアそのものにも取り組むことになったわけです。
後藤
放射線治療はケアの面を併せ持つキュアということになりますね。たとえば子宮頸がんの治療などは日本では手術が中心になっていますが、欧米では放射線治療が推奨されています。これは日本の医療者の放射線治療に対する認知がまだ低いということでしょうか。
中川
現在がんの治療で有効と認められているのは、手術、放射線、抗がん剤の3大療法だけで、免疫療法などもまだはっきり有効性が分かっているわけではありません。さらに3大療法のなかでも、がんを完治させる効果が期待できるのは手術と放射線しかなく、この2つはお互いにライバルとなっています。ところが日本ではもっぱら手術のほうがさかんに行われているわけです。これはなぜかというと、日本では一般の人たちにも、行政にも、医療者にも、「がんは手術」という概念が染み付いているからだと思います。私の生まれた1960年当時の日本は、がん死の3分の2は胃がんでした。「がん=胃がん」といったイメージがあったわけです。胃がんというのは非常に特殊ながんで、3大療法のなかできわだって手術が有効です。そもそも胃は全摘することができる唯一の内臓であり、その部位も手術しやすい場所にあります。その胃がんががんの代表なので、結局手術ががん治療の代表ということにされてきたわけです。もちろん現在も胃がんの治療に関しては、手術できるものは手術をするというのがベストの選択であることは間違いありません。ところが、日本ではがんの欧米化が進んでいて、乳がん、大腸がん、前立腺がんの3つは増えているものの、胃がん、子宮頸がん、肝臓がんの3つは減っているのです。胃がんの場合はヘリコバクターピロリ(ピロリ菌)、子宮頸がんはヒトパピローマウイルス、肝臓がんはB・C型肝炎ウイルスがそれぞれ原因となる感染症型のがんであり、生活の衛生環境が改善するとともに減少してきました。このように現実に胃がんは確かに少なくなっているのだけれど、「がんは手術」という概念と制度だけは強く残っています。日本のがん治療では、手術がいまだに金科玉条になっているというわけです。なにしろ日本には外科医が10万人いますが、放射線治療の専門医は500人しかいません。

原爆が作った放射線への誤解

後藤
日本は唯一の原爆被曝国として、放射線治療に対するアレルギーがあるともいわれていますね。
中川
放射線治療へのアレルギーは、「放射線を使うと副作用があるのではないか」という不安から生まれているものだと思います。欧米では子宮頸がんの治療は放射線治療が中心ですが、手術と比べればリンパ浮腫などの後遺症はずっと少ないのです。男性の前立腺がんの治療も、手術のほうが男性機能を失うなどのリスクが高くなります。原爆から来る放射線のイメージも同じようなところがあるのかもしれません。原爆で亡くなった人がどれくらいの放射線量を被曝していたかというと4グレイ以上といわれますが、この線量は1000分の1度の温度上昇をもたらす熱量に過ぎないのです。原爆症というとケロイドややけどを連想しますが、あれは原爆という爆弾が爆発して熱風が吹いたために起こった熱傷であり、放射線とはなんの関係もありません。ところが原爆症の映像を見て「放射線は怖い」というふうに誤解して、結果的に医療消費者である患者さんが損をしています。突き詰めると世界有数のがん大国でありながら、国民はがんへの知識が不足しているのです。たとえば子宮頸がんには放射線化学療法という選択があり、乳がんの乳房温存法では放射線照射を行うということは、まだまだ知られていません。患者さんは自分から医師に「放射線治療を」とは要求しません。逆に医師から「手術をします」と言われれば、「お願いします」とお任せすることに慣れているわけです。
後藤
治療することには目を向けても、QOLはあまり考えないということもあるでしょうね。
中川
そうですね。この背景に何があるかを考えてみると、日本人には「死なない」という感覚があるからではないかと思います。今の日本には徴兵も戦争もないので、日常死に結びつくものというとがんくらいしかありません。なのに、死を認めないし、意識しないということになると、がん医療のことが頭に入って来ないのではないでしょうか。たとえばクルマを購入する時、いろいろな会社のいろいろな車種を検討するでしょう。「がんといえば手術」と考えるのは、「クルマといえばT社しかない」と決め付けて、ほかの優秀な車種には目を向けないことのようなものです。がんを完治するためには手術と放射線の2つしかなく、それほど難しい話ではないのに、日本人はそのことについては頭に入って来ません。「死なないつもりの自分にはがんなど関係がない」「がんなんて縁起でもない」という考え方をするからでしょう。

がんは人間にとって自然なもの

後藤
がんはとても身近な病気になっているのに、「自分だけは関係がない」と思い込んでいる人が多いわけですね。
中川
がんは日本人の2人に1人がかかる病気になっています。結局は1種の老化にからむ病気なのです。がん細胞は1日5000個くらいできますが、それらはほとんどすべて免疫細胞に殺されます。がんにとって非常に分の悪い戦いをしているわけです。ところが年とともに免疫細胞の力が衰えて生き残るがん細胞の数が増えてきます。打率の低いバッターも、長いイニングを戦ううちに投手がバテて来るのでどこかでヒットを打てるようになるというわけです。しかし、2人に1人ががんにかかるというのは、逆にいうとそれくらい日本人が長寿になったということにもなります。
後藤
日本は長寿国で老人が多くなって、大変だ大変だといわれていますが、高齢化社会は平和で、経済的に豊かな社会という証拠でもあるわけですね。死というものは誰にも来る自然なものなのだから、平和で長生きできる国にとって、ある意味、がんも自然なものともいえるのですかね。
中川
そうですね。がんというのは、あまりにも人間が長寿にならないように用意されたしくみかもしれません。人間はある程度のところまで生きて、ある程度仕事をしたところで次の世代に引き渡していくというのが幸せな姿といえるでしょう。
後藤
そういう考え方をすればがんに対する意識も、ただ怖いとかいやだとかいうこととは違ってくるわけですね。緩和ケアの仕事では、それをどんなふうに具現されているでしょうか。
中川
緩和ケア診療部の主な仕事は、緩和ケアチームの専門スタッフが病棟にうかがって主治医やナースと連携しながらがんの患者さんの症状を癒すということです。以前東大病院には、4床だけホスピス的な専用の病床がありました。これがなくなったのは経営的な問題もあったけれど、東大病院のような特定機能病院は患者さんを「治す」という役割が重視されたからです。その中で治療をあきらめて緩和ケア病床にいくとなると、まさにキュアとケアが真っ向から対立したものになります。そこで一般病棟の患者さんに対して、早期には治療の関わる部分を中心にし、だんだん緩和ケアチームが関わる部分を増やしていくというように、徐々にキュアからケアに切り替わるようにしたわけです。

医療の原点はケアの心だった

後藤
中川さんは緩和ケアに漢方薬も導入されているそうですね。漢方にどういう役割を求めておられますか。
中川
漢方は非常にケア的な薬です。西洋医学の薬は「なぜこの薬は効くのか」「この人がどうして治っていくのか」というメカニズムを重視します。これに対して漢方薬はメカニズムなどにはこだわらず、要するにその人の「証」と呼ばれるような体質に合ったもの、その人が楽になるものであるということが大切なわけです。モルヒネなどもそういうところがあって、その人の最適量というのはそれぞれ大きく異なります。抗がん剤などは通常は体表面積あたりの用量が決まっていますが、モルヒネの場合10ミリグラムで効く人もいれば1グラム使わないと効かない人もいるのでそれに対応して処方するわけです。
後藤
なるほど、薬にもキュア的なものとケア的なものがあるのですか。医療にはその両方が大切ですね。
中川
「治癒」という言葉には「治す」ということと、「癒す」ということの2つの意味が込められています。病気は「治して」「癒して」はじめて治癒するわけで、キュアとケアが必要だというのが中国人の知恵だったのです。一方、西洋医学の出発点は修道院です。そこで修道女たちが貧しい人たちや行き倒れの人を手当てしていました。それは医療知識があって行っているわけではなく、まさにケアでした。そこからたかだか200年くらいしか歴史はありませんが、手術や放射線などのキュアがかぶさる形で現代医療が形作られてきたわけです。このように東洋でも西洋でも、医療の原点には癒すという部分がありました。ところが、現在の日本には死なない感覚があって、生きるということしか頭にないために、もっぱら治療に偏った医療が行われます。キュアとケアのバランスが崩れているわけです。

癒しは延命にもつながる

後藤
最近、統合医療という言葉をよく聞きます。西洋医学とそのほかの伝統医学や代替医療といったものを統合した医療というふうにいわれています。
中川さんのおっしゃる「治す」と「癒す」のバランスがとれた緩和ケアの考え方も、まさに統合医療といえますね。具体的に「癒す」の部分の中身を教えてください。
中川
癒しはなんといっても症状を取るということが第1です。死ぬということが差し迫ったつらさには身体的苦痛、精神的苦痛、社会的苦痛、霊的苦痛があるといわれますが、大半を占めるのは身体的苦痛です。痛みのケアができていないことから、亡くなる人の7割か8割が身体的痛みを覚えることになります。3人に1人ががんで亡くなるわけですから、そこからいえば4人に1人の人ががん疼痛に苦しみながら亡くなるわけです。日本人のがん治療には心のケアがないといわれますが、そうした痛みは身体の痛みが取れたあとの問題だからです。昔こんな無作為化比較試験が行われたことがあります。すい臓がん末期の患者さんを対象にして2群に分けて、当人たちに知らせずに一方は神経叢にアルコールを、もう一方は塩水を投与する試験を行いました。これ自身は現代なら非難されるべき非人道的な試験ですが、結果はアルコールを投与した方、つまり痛みをとった方が長生きしています。癒しということは結局延命につながることが明らかになったわけです。日本でなぜ「治し」と「癒し」のバランスが崩れているのかというと、社会のなかにもっぱら「治し」を望んでいる部分があるからです。治して長生きすることを求めて、痛み止めを使わないということが起こっています。モルヒネ以外のものも含めていろいろな麻薬の使用量は欧米諸国の一割程度しかなく、それだけ我慢するわけです。
後藤
痛みを我慢するほうが長生きできると信じているわけですね。
中川
そうなのです。患者さんがモルヒネを拒否する理由として、「習慣性ができる」「命が縮まる」「最後の手段だから」などのことがよく挙げられます。しかし、末期の人が「最後の手段にしたい」というのはどういうことでしょうか。それは死なないと思っているからです。私が最後を看取った中小企業の経営者がおられました。「会社のことがあるので、あとどのくらいの寿命かどうしても知りたい」と聞かれたので、「3ヶ月くらい」と答えました。激痛があるので経口の麻薬を勧めたのですが、彼は「命が短くなるから」といって拒否するのです。3ヶ月ということを頭では聞いているのに、心に伝わらなかったということになるでしょう。結局死に対するリアリティがないので、痛み止めの必要性が理解ができないということになります。

ケアの心を育てる医学教育再生を

後藤
日本でキュアとケアのバランスが取れていないというのは、医師の仕事がきわだってキュアであり、癒しの部分は医師の仕事になっていないという点がありますね。それでありながらも、医療現場では医師の力がケアを受け持つコメディカルに対して圧倒的に強いわけですね。
中川
そうです。私はナースの地位が向上しない限り日本のがん治療はよくならないと思っています。アメリカの医療ドラマの『ER』などを見れば分かりますが、向こうでは医師とナースが対等の立場で同じチームの中で働いています。これに対して日本のナースの立場はどうかといえば、『おたんこナース』という医療マンガが端的に示しているわけです。どんな病院も医師とナースがいますが、医師は「人間は死なない」ということを前提にしながら治療に当たっているし、ナースもいつのまにか医師寄りになってケアより治療に傾いてしまうわけです。十分なケアがなされないと寿命が縮まるというデータからいえば、これは場合によっては短命化につながるでしょう。
後藤
看護師にも、がん治療などに関連した専門看護師や認定看護師の制度ができていますが、こうした専門職の任務もキュアよりケアの部分が大きいはずです。日本人にはお医者さんからはしっかりした専門性の高いキュアを受けたいと同時に、専門性の高いケアの部分はやはり看護師などのコメディカルに頼みたいというところもあるのではないでしょうか。それぞれ磨くべき専門性が違うわけですから、医師に期待すべきは、ケアに力を入れるということではなく、ケアの重みを分かってもらうということではないでしょうか。
中川
がんがだんだん進んでいけば、キュアの部分よりもケアの部分が増えていきますが、そのときはナースが前面に立つことになります。じつは緩和ケアチームの主力はナースなのです。医者は責任さえとればいいわけで、あまりでしゃばらずに、ナースに自由に動いてもらえるように、むしろ引くことが重要です。
後藤
がん対策推進基本計画においても、すべてのがん診療医は5年以内に緩和ケアの研修を受けるような方針も打ち出されたということですね。
中川
医師にも癒すことの重要性を知ってほしいという意図ですね。たとえば東大医学部についていえば、6年間の医学教育の中で緩和ケアに関する講義はたった2回しかありません。ずっと臓器別に病気と治療をメカニズム的に習い、それを全部足したのが医学だと思われているのです。これでは人間をまるごと診るような目などできません。
後藤
その医学教育の話ですが、欧米で行われているように4年の大学教育のあと4年間の専門医学教育を行うしくみ(専門職大学院、メディカル・スクール)にしようという構想検討委員会が、東京都で始まりましたね。人間をまるごと診る医師を育てようということですね。
中川
現在の医学教育制度では、18歳で医師を志す決意をしなければならないことになりますが、本来そんなことができるわけがありません。現実には高校で少々勉強ができれば医学部に進学するというふうになってしまっているのです。その結果、やはり医療に適さないような医師もできるし、社会の人材が医学に偏りすぎるという面も出てくるわけです。一方で医師を育成するにはお金がかかるのに、日本は医療にお金をかける配慮がなく、医学教育の予算は先進国で最下位です。医師教育をまじめにやってしっかり医師を育てるために、医療にお金をかけるということが社会に受け入れられるかどうかが問われています。
後藤
私はコメディカルの教育を30年間やってきましたが、やはり同じように18歳では一生医療の道を進もうと決断するには早すぎると思います。現実にうちの学校などは四年制の大学を卒業した人が半数以上を占めているのです。その中で18歳の学生は年長の同級生を見ながらぐっと成長するというところもあります。こうした経験から、やはりコメディカルも専門職大学院で教育する制度が必要なのかなと思っています。
中川
それを支えるにはやはりお金が必要になります。日本人はもう少し医療・健康に応分の負担をすることが必要です。診察費、入院費、薬代などを合わせた日本の国民医療費は約30兆円ですが、これは対GDP(国内総生産)比約8%で、先進国の中では最低レベルです。ところが、この金額を「高い」と感じる人が6割以上を占めるといいます。日本では医療に対する不満も小さくありませんが、これではお金を払わずに料理をまずいといっているようなものです。
後藤
そうした医療への不満も、結局ケアよりキュアに偏重しすぎた日本の医療という面から出てきている部分があるわけですね。ところで、消費者としてはそうした環境の中で、どのようにがんの医療を受けていけばいいでしょうか。
中川
根本的な話ですが、人間は死ぬということをがんになる前に知っておくこと。がんになる前に死ぬかもしれないし、がんが治って死ぬかもしれません。寿命は限りあるものであり、銀行の預金残高みたいなものです。お金を残そうなどと考えると、痛みを我慢しなければならないことになるわけで、きちっと使っていくことを考えたほうがいいと思います。死ぬということを知らなければ、人生の目標ががん治療であり、腫瘍マーカーを下げることが生きがいというむなしいことになる。結局自分に与えられた時間をどう使うかという発想がないと、満足度の高い医療は受けられません。緩和ケアは死ぬことを受け入れるための癒しの場です。

 


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