脳血管障害への鍼灸アプローチ

東京都大田区大森にある地域基幹病院、牧田総合病院は、1980年代後半から中医学を中心とする牧田中医クリニックを起ち上げ、学校法人後藤学園と協力して、天津中医薬大学第一付属病院の石学敏名誉院長が開発した※『醒脳開竅法』という鍼灸による脳血管傷害治療法を導入し、現代医学を補完するかたちで、脳血管障害予防や後遺症へのアプローチを17年間にわたって推し進めてきた。入院患者さんに対して鍼灸治療を行うにいたるまでにはさまざまな経緯があった。まずは、健康保険制度の中に鍼灸治療の混合診療などの問題が上げられるが、それよりもまして、医師、看護師、理学療法士、作業療法士など各医療スタッフの鍼灸に対する理解が不可欠だった。それらの困難を乗り越え、どのようにして牧田中医クリニックの鍼灸チームは牧田総合病院の臨床の場で活躍しているのかをルポした。

牧田中医クリニック

急性期への鍼治療を目差して

朝の鍼灸治療を受けた後リハビリに励むSさんは、競馬を楽しんでいるうちに倒れたという。また競馬場通いができるようになるまで回復したいと目標を持ち始めた牧田中医クリニックの植松秀彰部長は、鍼灸師の立場から「一口に病院の脳血管障害患者さんに鍼灸治療を導入と言ってもそこには、脳神経外科の医師や看護 師、リハビリテーション科の医師や理学療法士、作業療法士などが培ってきた西洋医学的医療システムが出来上がっているわけで、そこに鍼灸という概念の違う 医療チームが参加することは、他の医療チームとよほど深い信頼関係が構築されないと難しい」と言う。
当初、鍼灸を他の医療スタッフに理解してもらうために肩こり、腰痛や女性スタッフの生理痛の治療などを通じて、鍼灸を身近に感じてもらうように努力をするとともに、中医クリニックに通院する患者さんたちにも脳血管障害に関する鍼灸情報を提供する細やかさからスタートした。現在では牧田総合病院脳神経外科や、リハビリテーション科に入院している患者さんやその家族に脳血管障害に対して、回復期の鍼治療はもとより、急性期時における鍼灸の有用性を説明する機会が与えられ、患者さんが鍼灸治療を受けたいと希望すれば、急性期、回復期の病棟での鍼灸治療が脳神経外科部長の荒井好範医師のもとに行われている。まだ科学的根拠が見つかったというわけではないがと前置きし「リハビリ治療を行うとだいたい3ヵ月ぐらいで安定期にさしかかりますが、鍼灸治療を行っていると自然経過と比べその後の経過が良いように思われます」と荒井医師。

Sさんの拘縮した左手の間接に置針をし、合谷穴には補瀉刺激をおこなう
回復期に入ってSさんは車椅子で病棟からリハビリ訓練室まで通っているが、鍼灸治療が始まるとリハビリを休まなくなったという
昏迷状態を併せ持つHさんにも醒脳開竅法が施術されていて寝たきり状態の改善に効果を発揮している

朝「おはようの」声かけから鍼灸治療は始まる

回復期にはいると鍼灸治療、リハビリテーション、作業療法へと1日のスケジュールが組まれている(作業療法士と) 朝九時に牧田総合病院、脳神経外科の回復期病棟に鍼灸スタッフが入る。脳梗塞の手術後、左半身麻痺の後遺症があり回復病棟でリハビリ訓練と作業訓練 を受けている60歳代のSさんの耳元で「おはようございます、起きられていますか」と常に声かけをしながら手際よく、麻痺の残る顔にあるツボの印堂、四 白、人中。手の合谷、内関。足の委中、三陰交のツボに鍼を一本ずつ打ち、それぞれに鍼を押し進めたり、引き上げたりと微妙な鍼刺激を与える。『補瀉手技』 という手技で刺激量を調節しながら治療を行っていく。特に人中に打つ鍼の刺激量の目安は、眼にうっすらと涙が出てくるまで行い、また足の膝裏にある委中へ の刺激も足がビックンと跳ね上がるまで行う。
「Sさんの状態にはこのようなツボを選びましたが、醒脳開竅法では、患者さんの状態によってツボの選択をし、また鍼を刺す方向、深さ、手技の速度、時間、治療間隔をそれぞれ変化させます」と植松部長。
一方、リハビリテーション科の若杉一也科長は理学療法士の立場から鍼灸治療を見るに当たって、脳血管障害における後遺症の手足の硬直や萎えなどに対して優れた効果があるのではないかと考えている。
例えば手に拘縮が残り、手で握り拳を作った状態の患者さんに対して、鍼灸師が手の合谷というツボに鍼刺激を与えると、手の拘縮が柔軟になったり、逆に弛緩性麻痺などにも効果が見て取れる。「私たちがいつも感じることは、拘縮や弛緩性麻痺の後遺症に対して、機能回復訓練を行うのですが、拘縮を取り除くことが難しく、苦労をしています。またリハビリ治療時に起こる痛みに対してのコントロールにも着目しています。まだ鍼灸とリハビリテーションのしっかりとした組み立ては出来ていませんが一緒にやっていて、新しい可能性が出てきたと思います」若杉科長

牧田総合病院脳神経外科が年間担当する交通事故などの外傷患者は3000名で、脳卒中患者は200名くらいだが、高齢化社会に向かい脳卒中患者の比率が高くなると荒井部長は予想する
合谷穴に鍼刺激を1分ほど加え、指の拘縮がとれ始めたらさらに術者の手で指を伸ばすようにする
上唇と鼻の間にある人中穴に頭の方に45度斜めに鍼を刺し雀琢をおこない眼から涙が出るのを確認する

患者のQOLを高める鍼灸治療

Sさんの場合もそうだが脳血管障害になり、回復期に入ると身体の不自由さなどと相まって「社会復帰出来るだろうか」などと、思い煩い「どうせ治らないだろう」などと、ストレスが極めて強くなる時期で、チョットした身体的不調も大げさに考えがちになる。鍼灸は不定愁訴にも対応できることから、患者さんの不安感による不眠やストレスに対するアプローチも試みられている。
「そのことで患者さんのリハビリに対しての取り組みにも積極性というか、意欲を高めることができ、脳血管障害に直接関わるばかりではなくQOL(生活の質)の向上にとても役に立っていると思います」植松部長。
患者Sさんの奥さんも「鍼灸治療を受け入れてから当初落ち込んでいたお父さんの気持ちが明るくなり、リハビリ室のきれいな先生に会いに行くなどと、軽い冗談を言うようになりました」と付け加える。
このことにリハビリテーション専門医U医師は鍼灸治療に対して「まだ接した時間も短く、脳血管傷害に対しての直接な効果を実感するにはいたっていませんが、Sさんや他の患者さんのリハビリに対するモチベーションが上がっている点などは感じています。またある患者さんのシャックリが止まらなく困っていた時、鍼灸治療をやってみて効果があったことから、醒脳開竅法に基づく手技で嚥下障害の患者さんに行ったら大変良い結果が得られたなど徐々に鍼灸の臨床経験を得たりもしています。現在、鍼灸治療に対して感じることは鍼灸によって何か良い方へプラスアルファが働いているように思われます。これからの脳血管障害治療チームの中に、鍼灸が普通に組み込まれる時代がやって来るはずです。そのためにも、もっとクリニック内での科学的臨床統計が求められてきているのではないでしょうか」。

足の三陰交穴は「滋補肝腎」の作用がある。また人中穴は「脳」、内関穴は「こころ」からの作用があるといわれ、この三穴は醒脳開竅法の主穴とされている
牧田中医クリニックでは中医鍼灸の臨床研修制度があり研修鍼灸師を受け入れている
醒脳開竅法では主穴の他にも症状によって様々な取穴のバリエーションがある。Sさんの場合、中枢性顔面神経麻痺の後遺症があるため、写真右上から太陽穴、下関穴、口角にある地倉穴に加え後頭部の風池穴と手の合谷穴を組み合わせている
※醒脳開竅法

天津中医薬大学第一付属医院現名誉院長、石学敏氏が脳血管障害に対して開発した鍼灸による治療システム。1987年世界鍼灸聯合学会北京大会にて、鍼灸は脳血管傷害後遺症期に行うものという通説を覆し、急性期治療に道を開いたと発表。牧田中医クリニックには石学敏氏が直接指導した経緯がある。


TOP