在宅緩和ケアチームに参加する鍼灸師

細田行政さんの1日

プロフィール写真

1997年に開業した宮城県名取市の岡部医院は、日本の在宅緩和ケアの先駆け的存在。9割の日本人が病院死という今日、まるで時代に逆らうように、「人は 住み慣れた家の中で死ぬべき」と主張してチームケアを展開している。大きな特徴の1つはこのチームに3人の鍼灸師が参加していること。そしてその1人に後 藤学園卒業生の細田行政さんがいる。細田さんの1日を追ってみた。


舌の状態を診て症状を把握する(舌診)

「こんにちは。岡部医院の細田です」
玄関先に響く声はどっしりと太いが、どこか優しい。そして温かい。
「はいはい、お待ちしてましたよ」
出迎える声も、どこかほっとしている。
細田行政さんが「岡部医院」の在宅緩和ケアチームに加わって3年目。今日も赤い車で、杜の都仙台を駆け回る。本日1人目の患者さん宅にやって来た。

少し笑った。パジャマの前を開くと、お腹が突き出ているのがわかる。腹水だ。うつ伏せになることができないので、横向きになった状態で背中に鍼が置かれていく。
「建築の仕事をしていたんだけど、こういう生活をしてみると思い知らされることがあるね。手すりがこんなにありがたいものだと思わなかったよ」「バリアフリーですね……」
会話が止まる。急に眠りに入ったようである。
好きな音楽と、鍼の心地よさが、ひとときの眠りを誘ったのかもしれない。


 


腹水に苦しむお腹にお灸を据える

鍼とお灸での治療中にA・Kさんはうとうととし始めた

A・K さんは好きな音楽を聴きながら「音楽が唯一の楽しみです」


1日に回る患者さんは、平均4件。これまでに延べ約1600人を治療してきた。鍼灸は保険診療で行われている。
「ほとんど末期がんの患者さんなので、治療を通してお付き合いできるのも平均すると2、3ヶ月です。
長くて半年、1回か2回の治療でお別れということもあります。学生時代の勉強は鍼灸の技術が中心でした。
緩和ケアに関する授業はなく、身近でがんの患者さんを看た経験もなかった。だからどのような鍼灸をしたらいいのかということ
以上に、死に向き合う患者さんとどう関わればいいか考え、確信を得ることなく悩む日々が続いています」
がん告知を受けていない患者さんが病気の治癒を期待して鍼灸を受ける場合もある。
病名は分からなくても、つらい闘病生活のなかで、多くの患者さんが鍼灸に求めるものはがんに伴うさまざまな症状の緩和である。
「岡部先生は、『現代医学にできるのはマイナスからゼロにすること。ゼロからプラスにできるのは治療ではなく鍼灸やリハビリの役割』と言います。患者さんに関わりながら鍼灸の役割を実感しています」鍼灸は次のような流れで開始される。
すでに訪問をしているケアチームの医師や看護師が筋肉性の疼痛、しゃっくり、しびれ、腹部膨満感など鍼灸適応の症状を確認すると、患者さんに「鍼灸をやってみませんか」と提案する。患者さんが関心を示せば鍼灸師に連絡が入り、ご自宅を訪問する。
料金等の説明に納得してもらえばその場で施術に移る。
「多くの患者さんは鍼灸を受けた経験がないために、身体にどういう変化が起こるのかわからないわけです。なかには全身状態の低下から効果が出にくい患者さんがいることも事実です。でも、『初めてやったけれど、なんだか気持ちがいい』と笑顔で感想を話す患者さんが少なくありません。
僕は『できれば半月から1ヶ月続けてみてください。それで鍼灸の効果を評価し、継続か中止か相談しましょう』と話します」この日2人目の患者さん宅に着いた。


N・K さんはしゃっくりで苦しんでいたが鍼灸治療で回復に向かっていた
N・Kさん、82歳。12年前に閉塞性動脈硬化症で手術を受け、3年前に脳梗塞で倒れた。
以来、寝たきり状態であり、認知症の症状もある。
しゃっくりがなかなか止まらず、また食べ物を誤嚥しやすく「プリンくらいしか食べられない状態」とのことだ。
主に胃い 瘻ろうで栄養を摂っている。
「具合はどうですか?」
反応はあるものの、眠気が強くほとんど会話にはならない。若いころは電力会社に勤めており、職場の野球チームにも加わっていたそうだ。「昔から鍼が大好き」だったそうで、週3回治療を受けている。


N・K さんの脈をとりながら状態を把握する(脈診)
「お腹にお灸をしますからね」
「ああ……」
知熱灸が置かれる。モグサの匂いに包まれる。
「父はすごい酒飲みで、タバコも吸った人なんですよ」と、看病している同居の娘さんが話す。
「しゃっくりが出続けると本人はつらいと言いますし、見ている私も大変つらいだろうと思いますので、鍼灸をしてもらうと安心していられます」


携帯電話を電子カルテの端末機として使用することで即座に医療情報が共有化される
細田さんは、患者さんのお宅でも携帯電話の画面をのぞくことがある。
「重要な確認や連絡は電話を使いますが、患者さんに関する日常的な情報や院内の連絡はメールでやり取りします。
メールは携帯にも転送されますので、いつでも見ることができるんですよ。医師も看護師もバラバラに患者さんのお宅を訪れますが、絶えず新しい情報が送信さ れるので、それを全職員が共有できるというわけです」直前の検査データはどうか、他職種の報告から何か気づいたことはないか、どんな薬が投与されている か、など、情報を把握し、次の治療やケアに結びつける。
3人目の患者さんを訪れた。
マンションの扉を開けると、奥から甲高い声で鳴きながら毛足の長い犬が駆け寄ってくる。
「やあいらっしゃい」
ソファに腰掛けたまま患者さんと夫人が出迎えた。


「お腹にお灸をしてもらうとお通じがいいんですよ」とH・K さん
H・Kさん、78歳。C型肝炎の末、肝硬変になり、肝細胞がんを発症している。元気なころは体重70キロを超えていた。退院直後は54キロしかなかったが、今は食欲が増え60キロになったという。鍼治療のため訪れるのは17回目だ。
「どうですか、具合は?」
「うん。ここ2、3日は調子がいいようだ」
ソファの背が倒され、ベッドが作られる。側臥位で背中に鍼が置かれていった。両足にかなりむくみが出ているのが見える。
ちょうど処置を終えたばかりの訪問看護師の内海純子さんが居合わせた。
犬を抱き上げ、「もうすっかり仲良しになったんですよ」と話す。夫人がお茶の仕度をしてくれた。


鍼灸の効果についてH・K さんは「身体の芯から軽くなる」と語る

「お医者様からはずっと『厳しい状態だ』と言われているんです」
H・Kさんは元国立大学学長で地質学者。25歳のときに大きな手術を受けており、このときの輸血でC型肝炎ウイルスに感染したものらしい。
これまで9回入退院を繰り返してきた。昨年肝性脳症を発症し、昏睡状態に陥った時期もある。
この4月に退院すると、体力がめっきり落ちていた。医師から「もうがんの治療も肝硬変の治療もしないほうがいい」と言われている。
そこで岡部医院に在宅ケアを依頼した。
 

 



H・K さんは「飼っている猫と犬がとても癒してくれる」という
「鍼はいいものだな。身体の芯から軽くなったよ」
鍼治療が終わったH・Kさんがこう言う。
「若いころは年がら年中船に乗って南太平洋の島々や海底を地質調査していたんですよ」研究生活の思い出を楽しそうに話し始めた。
話し出すとなかなか止まらない。
お茶をいただき、「それではお大事に」と腰を浮かせると、「もう帰るの? ゆっくりしていけばいいのに」となごり惜しそうだった。

最後の患者さんの訪問を終えると岡部医院に戻り、電子カルテに記録を入力して必要な連絡をメール送信する。その後カンファレンスがあれば参加し、担当患者さんの状態を整理する。
この日1日の移動距離は60キロを超えた。


岡部医院のカンファレンス風景

WHOは緩和ケアの目的を、「身体的、心理的、社会的、霊的苦痛の軽減」とした。が、細田さんは在宅緩和ケアには、これに加えて「患者さんに最後まで楽になることをしてあげたいというご家族の気持ちを支える」という役割があると言う。
この観点からすると、終末期の患者さんとの関わりには3つの段階があることが分かる。
まず「鍼灸適応症状の改善期」だ。患者さんの訴えに対応して、症状を緩和していく。
次に、「全身の気の流れの改善期」。
はっきりした症状の改善はもたらされなくとも、「鍼灸を受けると身体全体がなんだかすっきりする」「気持ちいい」と感じてもらえる。


細田さんの鍼灸在宅ケアはまだまだ続く
最後に「お見送り期」。状態の低下により患者さんの反応は無くなっているが、ご家族の希望で鍼灸を行う。ただし、この段階を迎えるにはプロセスが必要であ る。つらい症状の改善がなければ、患者さんが全身の心地よさを感じられるはずがない。そのことによって患者さんが笑顔になる姿を実感できなければ、家族は 最後に鍼灸を望まないからだ。
「もうひとつの医学」を広めるため、鍼灸師としての立場から岡部医師の掲げる「医療の文化運動」(特集13頁参照)を進めなければならないと感じている。

仙台の街には爽やかな秋の風が吹き始め、患者さんとそのご家族を優しく包んでいる。

 


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