心の診療日記 - 1

啐啄(ソツタク)同時ー患者の「心の琴線」に触れる

少女は難病に苦しみ続けていた。
ところが、彼女の「治りたい」心が、永田さんの「治したい」心と出会ってまもなく、痛みは消失したのである。
治療にはこうしたタイミングが大きな意味を持つ。
そして治療者がタイミングをとらえるためには、患者を受容するヒューマニズムが必要となる。

プロフィール写真

永田勝太郎 浜松医科大学保健管理センター(心療内科)

1948年、千葉県生まれ。福島県立医科大学卒業。医学博士。千葉大学第一内科、北九州市立小倉病院心療内科、東邦大学麻酔科などを経て、現在浜松医科大学保健管理センター講師(心療内科)。

1996年「ヒポクラテス賞」(第一回国際医療オリンピック)、1997年「シュバイツァー賞」(ポーランド医学会)を受賞する。

主な著書に「全人的医療の知恵」(海竜社)「バリント療法」(医歯薬出版)「新しい医療とは何か」(NHK出版)など多数。

診療室にて


16歳の高校2年生の女子である恵子ちゃん(仮名)が私どもの外来を訪れたのはある夏の日のことでした。主訴は右手の激痛とそのための右手(利き手)の萎 縮でした。この激痛のため全国の疼痛専門病院を転々としましたが、病状は進行性で、改善傾向が全く見られず、彼女の住んでいるF県の痛みの専門医より紹介 を受けて来院したのでした。既往歴、家族歴には特別に問題がありません。
発症は13歳のときで、バレーボールの突き指が発端でした。以後、激痛にさいなまれ、治療のために全国を転々としました。星状神経節ブロック(頸部の自律神経への神経ブロック療法)は200回以上したということです。それでもよくなりません。

このような激痛を訴える患者さんの中には、心臓の力が弱っている人が多いので、恵子ちゃんの血液循環状態(血行動態)を測定してみると、案の定、心係数(心拍出量を体表面積で除したもの)は臥位で2.1L/分、立位で1.6L/分しかありませんでした。それを補い、体力をつけるために、コエンザイムQ10、漢方方剤の当帰四逆加呉茱萸生姜湯、紅参末、さらに軽い抗うつ剤のスルピライドを少量用いました。また、彼女はシモヤケがよくできるという訴えもあり、この処方はそうした症状にも対応できる処方でした。しかし、この程度の薬剤では、この激痛、手の萎縮は改善しないだろうと思いました。このような症状は疼痛による激しい緊張が原因です。緊張を解くために、リラクセーションとして、温泉や水泳を勧めました(たまたま彼女の家の近所には温泉プールがありました)。
診察しながら、彼女の手の指を見て、びっくりしました。まるで、魔女の爪のように長く伸びています。
「なに、これ、ひどい爪だね」と私が言うと、「痛くて切れないんだもん」と答えます。
「そうだろうね、でも、このままじゃ危険だよ、切ってやろう」
「えーっ切るの、いやだー、痛いもん」 「大丈夫だよ、上手に切るから」となだめて、看護婦さんに爪切りを借り、爪を切りながら、恵子ちゃんに尋ねてみました。
「君は、将来、どうしたいの?」
「えーっ、考えたことない、ウーン」  
「じゃ、この次ぎ来るときまでに考えてきてね」
「ウーン」
爪を切っている間中、恵子ちゃんは首をすくめていましたが、切り終わった頃、汗をびっしょりかき、でもほっとしていました。爪はきれいに切れました。
二週後に再び、来院してきました。
「どう、考えてきた?」
「うん、検査技師になりたい」
「ああ、そう、そりゃいいね」

恵子ちゃんは長い彼女の闘病経験から自らの生きる意味を医療に求めたのでした。まさに、生きることの意味への気づきであり、検査技師になる可能性や自由性もあるということへの気づきです。意味は自律性に従った決定、すなわち、自己決定によって初めて重要なものとなります。
しかし、右手(利き手)が不自由では、検査技師は困難です。
「じゃ、そのためにはどうしたらいいんだろう」
気づきをより具体的、かつ体験的なものにしなくてはいけません。
「先生、私、体力つけなくちゃいけないと思う」
「そうだね、で毎日の生活の中でなにができると思う?」
「エート、水泳、温泉、自転車・・・」 
「なにかできること毎日、してみようか」
なんと驚いたことに、その2週間後にはあの激痛はどこかに消え失せ、恵子ちゃんはとても元気な高校生に戻っていました。

生きることと言葉の意味

こうした会話を通して、恵子ちゃんにとっての痛みの意味が変化してきました。
それまで彼女がもっていた「治してもらう痛み」から、「治らないと技師になれない痛み」へと変わってきたのでした。
すなわち、治らなくては自己実現できない痛みということに気づいてきたのでした。それが、痛みのセルフコントロールへ入っていけた原動力でした。
「自分で治す痛み」、そして「治ってもよい痛み」、「治らなくてはならない痛み」へと変わっていったのでした。
医師の方も、「どうにかして治したい」、「しかし、どうしたら治せるか」と必死に考えました。
それが、爪を切るという些細な出来事を通じ、恵子ちゃんにすれば「爪を切れない痛み」から「爪を切れる痛み」へと変わったことが、重要な体験になったのでした。
「爪を切れるんだ!」ということ(体験)は彼女にとって大きなハードルを乗り超えることとつながったのでした。


さらに、臨床検査技師になりたいという将来に希望をいだくようになって、治らなくては自己実現できない痛みということを理解し、それが彼女のライフスタイル(日常生活)を自律的な方向へと変えることとなり(行動変容)、その後間もなく、疼痛は軽快して行ったのでした。
恵子ちゃんのような激痛とそれに伴う筋萎縮を反射性交感神経性萎縮症(RSD)と言います。治しにくい疼痛性疾患の代表です。交通事故や医療過誤が原因のことが多く、よく訴訟になります。
そんな難治性の疾患が、恵子ちゃんの場合、なぜ短期間で改善したのでしょうか、その短期間での寛解(病状が軽減した状態)の理由について考察してみたいと思います。

啐啄同時

禅宗の言葉に啐啄という言葉があります。これは、機を得て師と弟子のはたらきが相応ずることであり、のがしてはならないよい時機のことです。そもそもは、「啐」は鶏卵が孵化しようとする時、殻の内で雛がなく声を言い、「啄」は母鶏が外から殻を噛むことを言います。そのタイミングが早くても遅くとも、雛はかえりません。


啐啄同時こそ、医療におけるコミュニケーションの極意ではないでしょうか。
「治りたい患者」と「治したい医師」のタイミングが合って初めて、治療は完成します。マイクル・バリント(英国の医師)はこれを「チューニング・イン」と言いました。「心の琴線」に触れるということでしょう。
治療でも学習でもしつけでも皆共通していると思いますが、その遂行に当たってのコツは、この啐啄にあります。

いくら知識を与えても、行動変容しなくては意味がありません。そのためにはどうしたらよいのでしょうか。
まず、知ることが大切です。知識を得ることです。続いて、それを感じること、それも体で感じること(体験)がないと知識は身に付きません。それも驚きをともなった体感(できれば至高体験が望ましい)が必要です。このような経過を経て初めて、知識は行動になります。自らやってみようと決定すること(自律性の発揚)があって初めて行動が起こります。
この一連の動きのためには啐啄が必要です。特にそのタイミングを感じることが重要です。よい教師、よき治療者はこのタイミングを逃すことがありません。
タイミングを完璧にするには、患者を受容するヒューマニズムが治療者の側に必要です。これは哲学とも言えます。どんな心得を持っているべきでしょうか。
以下にあげる言葉は、そうしたときに重要な心得です。絶えず、心に持っている必要があります。

「ヒトはその死の瞬間まで成長する生物である」
(キューブラー・ロス)
「どんなささやかなことでもいい、生きる意味を持った人だけが生き残れた」
(ヴィクター・E・フランクル)
「人間のすべての行動には味がある」
(スティーブ・エリクソン)
「決して、決して、決して、あきらめないこと」
(ウィンストン・チャーチル卿)

 


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