中医診療日誌 - 16

脳卒中後遺症
リハビリテーションに鍼灸治療を
取り入れ機能回復を促進

中医学では脳卒中は気が昇りすぎる肝陽上亢(かんようじょうこう)や、余分な水分が溜まる痰濁(たんだく)などの病態の延長にあると考えられ、予防も含めた早期対策の知恵が蓄積されている。現代中国における医療の中には、脳卒中の急性期から、天津中医学院第一附属医院の石学敏教授が開発した「醒脳開竅法(せいのうかいきょうほう)」と呼ばれる鍼治療が、漢方薬との組み合わせで採用され、治療実績が認められている。平馬先生が日本での実践例を紹介する。

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平馬直樹 (ひらまなおき)
1978年東京医科大学卒業後、北里研究所付属東洋医学総合研究所で研修。87年 より中国中医研究院広安門医院に留学。96年より平馬医院副院長、兼任で、後藤学 園附属入新井クリニック専門外来部長として漢方外来を担当。

リスクとなる肝陽上亢や痰濁

脳卒中(脳血管障害)はがん、心疾患についで日本人死亡原因の第3位で、年間13万人くらいの方が亡くなっています。しかし、患者数からいえば、がんにかかっている人が127万人なのに対して、脳卒中はそれよりも多い147万人となっているのです。
脳卒中は、脳血管が詰まる脳梗塞(虚血性脳血管障害)と脳血管が破れる脳出血(出血性脳血管障害)の2つに分けられます。どちらの病気にしろ、発作が起こると脳組織が大きなダメージを受けて重い脳神経系の障害が残ることが少なくありません。
一般に脳卒中の発作というと、身体の片側の手足が麻痺して、寝たきりになるというイメージがあると思います。また、言葉が不自由になったり、食べ物が飲み込めない、しびれ感が続くなど、数々の障害が現れます。
中医学では古くから脳卒中を「中風」と呼び、命に関わる重要な病気の代表として治療の対象としてきた長い経験の蓄積があります。この病気をもたらす病態の1つとして、身体の陰陽のバランスが崩れて、気が昇る肝陽上亢というタイプが考えられてきました。また、身体の中に痰と呼ばれる余分な水分が溜まった痰濁と呼ばれるタイプも、脳卒中の発作を招きやすいとされる状態です。
痰は現代医学でいえば、過剰で病的なコレステロールのようなものであり、痰や痰濁を取り除く漢方の処方は、脳卒中を予防する効果があると考えられます。さらに、現代医学的な画像診断などと並行しながら漢方を利用し、血圧をコントロールしたり、動脈硬化の進行を防ぐなどの管理をすれば、脳卒中の予防に有用です。

リハビリでは鍼との組み合わせがより有効


脳卒中の発作が起こった場合は、やはりより早期に治療をすることが、決定的に重要です。もっとも早期治療がうまくいって、命に関わることがなくても後遺症 が残ることはあります。そこで次の段階ではリハビリテーションが大切な問題となり、ここで機能回復が促される場合があるわけです。
その中で、最近、リハビリテーションに鍼治療を取り入れると回復が促進されるという報告を内外でよく目にするようになりました。なかでも中国・天津中医学院第一附属医 院の石学敏先生が体系付けられた『醒脳開竅法』と呼ばれる特殊な鍼治療は、現代中国では最もよく知られる脳卒中の治療法となっています。私自身症例数は少 ないものの、この十数年の間に醒脳開竅法を手助けする形で漢方治療を行うことを試みており、一定の効果を実感しています。
醒脳開竅法は脳卒中の急性期に発生する意識障害にも有効とされています。中国では脳卒中発作後の早期段階で、現代医学的な管理と併せて鍼と漢方を取り入れることが少なくありません。脳卒中は発病から半年以上たつと、回復は非常に困難になってしまうので、本来は、鍼や漢方の治療の介入も、できるだけ早期からの方が有効なのです。
ところが、日本の医療現場には中国のように、脳卒中の急性期から鍼や漢方が参加できる環境は望めません。ですから、日本の私たちが脳卒中の診療に関わるのは、安定期に入ってからということになります。この段階では、医療的な介入をしても、患者さん本人が「回復した」と感じることができるような効果はあまり期待できないかもしれませんが、それでも鍼や漢方薬の役立つ面は小さくないと考えています。
その1つは、血圧を安定させたり、コレステロールや糖尿病をコントロールすることによる再発の予防です。こうした管理の中心になるのは現代医学ですが、これに鍼や漢方薬を加えることにより、より安定した状態を得られることが少なくありません。
もう1つは、患者さんのつらい後遺症を大きく改善することは難しいにしても、機能回復の後押しをする役割が期待できます。すなわち様々な患者さんの自然回復能力を高めることができるのではないかという点です。
さらにもう一つは、生活の質に貢献できる面もあるということです。脳卒中の後遺症として、麻痺だけではなく、冷えや痛み、しびれなど様々な症状がありますが、それらの緩和が期待できるのです。あるいは、ある程度時間が経過しても回復が思わしくない患者さんは、気持ちが滅入ってうつ状態になることがありますが、中医学の気を調整する治療により、食欲や元気が出るということに結びつけられます。

脳梗塞発作後、補陽還五湯(ほようかんごとう)で気力回復

68歳の男性会社役員Aさんは、もともと高コレステロール血症の上、タバコを1日20本以上吸うヘビースモーカーです。ある日会社の会議中に急にろれつが回らなくなり、意識がぼやけて倒れて、救急車で大学病院に運ばれました。MRI検査の結果、脳梗塞と診断されています。
Aさんは意識が戻った段階で、右半身の麻痺があり、言葉が不自由で、左眼の視力低下が認められました。入院下での管理と治療により、症状は1週間ほどで安定し、視力も回復しています。が、言葉はいくらかしゃべりにくい状態が続きました。最初はものが飲み込めずに点滴栄養でしたが、3週間目くらいに口から食事をとれるようになりました。4週間目でだいぶ回復したことがうかがわれましたが、右半身の麻痺が残っていたため、リハビリ専門の病院へ転院しています。
転院した段階では、右足はどうにか動かせる程度で、歩行はとても無理な状態でした。移動には車椅子が欠かせません。
それでも、約半年の入院中、リハビリによってAさんの右半身の機能は徐々に回復し、杖歩行ができるまでになりました。ただし、ころびやすいという問題が残っています。また、右手はあまり回復せず、指がわずかに動く程度だったのです。


発作から8ヶ月経過し、リハビリ病院を退院してからAさんは醒脳開竅法の鍼治療を受けるようになりました。それでも、右半身の冷え、しびれ、ふらつき、抑うつ気分などはなかなかうまく改善しません。
そのため1ヶ月経過してから漢方薬の併用も希望し、当クリニックを外来受診しました。そこで気を補って血のめぐりを回復させる目的で、補陽還五湯という処方をしています。
半年後にAさんは、歩行機能がかなり回復し、杖が要らないほどになりました。右手はまだ字を書くことができず、箸も使えませんが、左手でスプーンを使いながら自分で食事をすることが可能になっています。また、言葉は違和感なくしゃべれるようになりました。
そ の後Aさんは、家族に付き添いで面倒をかけるとして鍼治療を終了し、治療は漢方薬が中心になっています。会社は病気のためを退職しましたが、漢方薬の気を 補う作用のためか、気持ちを明るく保つことができ、様々な趣味の世界に打ち込みながら老後を楽しんでいるとのことです。

天麻鈎藤飲(てんまこうとういん)と鍼治療の併用で職場復帰

若いころから会社経営に当たってきた52歳の男性実業家Bさんは、高血圧と高脂血症をもっていました。
ときどき思い出したように医師の診療を受けますが、多忙のために治療は中断しがちだったのです。
あるとき、仕事中に吐き気を伴うひどい頭痛を覚えました。そのうち手足の自由が効かなくなって、社員が車で近くの病院に運んでCT検査を受けると「脳動脈瘤の破裂による脳出血」と診断されたのです。ただちに脳外科のある病院へ転送されました。
発作の2日後に、Bさんは手術を受けています。この治療は、脳の中に溢れ出た血液を取り除くこと、脳の正常な細胞にダメージを与える脳の内圧を下げることを目的としたものです。さいわい血管にクリップを施すことで、出血個所の動脈瘤に血液が届かないよう処置できました。
しかし、術後Bさんには左半身の麻痺、舌のしびれ、言葉がうまく話せないなどの障害が見られました。さらに左半身がひりひりするような知覚異常と左肩の痛みも残っています。言葉の障害には、筋肉の運動麻痺で声を出すことができない構音(発音)障害と、脳の機能で言葉が出ない失語症の両方が重なっていました。


Bさんは発作から2ヶ月後に退院し、醒脳開竅法の鍼治療を開始するとともに、リハビリのために自宅から通院するようになりました。2ヶ月経過して左足の機 能が徐々に回復を見せた頃、後藤学園附属はりきゅう治療室の紹介で漢方薬治療を始めるために、当クリニックに来院しています。
Bさんは発病をきっ かけに、現代医学の降圧剤や高脂血症の治療薬、てんかん予防薬などの薬剤はきちんと飲んでいましたが、依然として血圧が不安定になりがちでした。中医学の 目で見ると陰陽のバランスが崩れた肝腎陰虚(かんじんいんきょ)という状態です。そこでそのおおもとのところを治療するために天麻鈎藤飲(てんまこうとう いん)という薬方を中心にして、痛みの緩和やしびれを取るために血の巡りをうながす薬を混ぜて処方しました。
こうして漢方薬と鍼治療を並行して1年以上治療を続けた結果、足は多少ひきずるものの自力でどこにでも行けるほどに回復しています。階段も手すりを使わずに昇り降りできるようになりました。 左手のほうは力がしっかり入らずボタンをはめるなどの細かい動きはできないものの、本来の効き手である右手は使えるため、日常生活にはほとんど支障があり ません。職場では携帯電話で部下にどんどん指示を出すなど、仕事ももとのようにこなすことができるようになりました。


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