中医診療日誌 - 17

下肢の衰え
漢方による痛みの緩和と体力上昇で
患者さんのQOLを高める

高齢者の転倒骨折事故の多発が医療の大きな問題となっている。背景となる下肢の疾患として代表的な変形性股関節症や変形性膝関節症に対して、整形外科領域では十分な痛みへのケアがなされない場合がある。一方、中医学はこれらの疾患に対して全身の体力向上や体質改善から、骨・関節・筋肉の強化、症状の緩和に至るまで、多彩なアプローチ手段を持っており、患者満足度の高い治療に結びつけられる可能性がある。

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平馬直樹 (ひらまなおき)
1978年東京医科大学卒業後、北里研究所付属東洋医学総合研究所で研修。87年 より中国中医研究院広安門医院に留学。96年より平馬医院副院長、兼任で、後藤学 園附属入新井クリニック専門外来部長として漢方外来を担当。

変形性股関節症と変形性膝関節症

日本の老人介護問題の中で大きな課題の1つは、寝たきり老人を少なくしようということです。いうまでもなく寝たきりを招く最大の原因疾患は脳卒中であり、寝たきりの患者さんの中では脳卒中後遺症が数としても圧倒的に多くを占めています。
これに対して軽視できないのは、お年寄りが転倒骨折事故を起こし、それをきっかけに寝たきりになってしまうケースです。高齢者が増えている現在、こうした老人介護における大きな課題に対して、中医学は予防あるいは治療の面で、漢方や鍼あるいはその組み合わせなどで貢献できるのではないかと思います。
年をとると転倒しやすくなるのは、骨や関節、筋肉の老化が始まるからです。骨がもろくなってくれば骨粗しょう症のような病態を招くし、筋肉が硬くなると手足や腰が伸びにくくなります。また、四肢に力が伝わりにくくなり、反射神経が低下するなど運動機能自体も低下するために、日常の動作も緩慢になり、平衡感覚も鈍くなってよろめきやすくなるのが普通です。その結果、とても転びやすくなり、転ぶときもとっさに手でかばうことができずに顔面や頭をひどく打ったりするというケースも少なくありません。
このように加齢のために足腰が弱って転びやすくなることに対して、リハビリなどで筋肉や骨を強化する方法も用いられていますが、なかなか思うような効果を上げられないのが実情です。これに対して中医学は、筋肉に力をつけてあげることによって転びにくくするよう支援できる場合もあります。さらによくあるケースとしては、血圧が不安定な人、一時的脳貧血でふらついたりめまい感のある人、あるいは脳梗塞の後遺症のある人などに対して、中医学はそれらの症状を緩和することによって転倒予防に結びつけることが考えられるわけです。
また、年配の方の転倒の原因として、痛みがあるために足にしっかり力が入らないために転びやすくなるというケースもよく見られます。この足に痛みをもたらす疾患として代表的なのが、変形性股関節症や変形性膝関節症です。
これらの疾患は中年過ぎくらいの年齢では男性のほうが多いのですが、年齢とともに女性の割合が増えてきて、高齢者では女性が男性の2倍くらいの割合になります。女性の場合、股関節や膝の軟骨が磨り減ってくる年齢はかなり早いことが知られており、女性ホルモンの状態が骨や関節の栄養に関係するのではないかと考えられるようになりました。
整形外科の領域では変形性股関節症や変形性膝関節症に対して、もっぱら手術が勧められがちですが、基本的な体力の養成や痛みのコントロールに目が行き届かない例がよくあります。また、非ステロイド系の抗炎症剤がよく用いられますが、しばしば副作用により胃腸障害が起こって服薬が続かない場合もあり、また骨自体を傷めてしまう可能性も指摘されるようになりました。
軟骨が磨り減ったり、骨自体が変形しているものに対して、それを元に戻すことは不可能ですが、中医学は痛みを緩和したり体力を向上させて患者さんのQOL(生活の質)を高めるという面で貢献できます。
2つの症例を紹介しましょう。

人工関節置換術への移行を支援


71歳のOさんという女性の例です。
Oさんはおよそ10年前に左足の付け根が痛み始めて、整形外科を受診したところ、「左側の変形性股関節症」との診断を受け、湿布と鎮痛剤だけで“だましだ まし”やってきました。ところが、ここ2、3年はずっと痛みが持続して左足を引きずって歩くようになり、それをかばうために右足の筋肉や膝関節も痛むよう になったのです。そのため外出時も杖を使って歩かなければならず、だんだん外へ出る気力を失って家に閉じこもりがちになってきました。その家の中でも しょっちゅう転んでしまいます。整形外科では人工関節を用いた「人工骨頭置換術」を勧めていましたが、年齢のこともあってなかなか踏み切れないまま、リハ ビリのみのために通院しているという状況だったのです。
Oさんは最近、当学園の附属はりきゅう治療室で治療を受け始め、同治療室の紹介で漢方診療も同時に行おうということになって当クリニックを受診しました。こうした患者さんのケースでは、骨や軟骨の老化は五臓六腑の腎の衰えによるものととらえ、これを強化するという方針をとります。全身を診察すると、確かに老化により腎の機能が衰えているという所見が他にもいろいろうかがえました。また、痛みや筋肉のもこわばりに対しては、血の巡りをよくすることが必要とみます。こうした考え方から牛車腎気丸(ごしゃじんきがん)に疎経活血湯(そけいかっけつとう)という2剤をもとにした処方を行うことにしました。
鍼治療と漢方治療の併用を始めてまもなく、Oさんは下肢全体が温かく感じられるようになり、筋肉の痛みがまず軽減してきて「楽になった」と話しています。股関節の痛みはしばらく変わらないようでしたが、整形外科のリハビリの理学療法士からは「歩行時の姿勢が良くなってきたね」と言われるようになりました。
治療開始から六ヶ月後、Oさんは股関節の「痛みは3分の1くらいは減った」と語っており、自覚症状として痛みは少し和らいだ程度だったようです。ただ、「気づいてみると転ぶことがなくなった」とも言っています。杖で外出するようになり、バス旅行にも出かけました。
さらに治療を続けて1年後、Oさんは左股間節の痛みは「最初の半分になった」と話しています。まだ左足はちょっと引きずるものの、毎日のように外出するようになりました。また「遠くに行きたい」という意欲も盛んになって、たびたび旅行にも出かけています。その中で「手術を受けよう」と考えるようになり、他の整形外科でセカンドオピニオンを受けたところ「いい効果が得られるはず」との説明を受け、ついに手術に踏み切りました。
術後、Oさんはさらに痛みから解放されて、同じように杖は必要とするものの、「かなり楽に歩ける」という実感を持てるようになっています。また体力強化や体調の安定を希望して漢方治療を継続しました。最終的には整形外科の手術をするわけですが、それまでに転ばず歩行が楽になって外出できるようになったことが「手術してみよう」という意欲を引き出し、それが漢方の貢献できた部分ではないかと思います。

胃腸のパワーアップで食欲も歩行も改善


次も女性で、もうちょっと高齢の84歳のFさんのケースです。
Fさんの場合は特別な病気というよりも、加齢で足腰が衰えて歩行に障害が現れました。72歳のとき軽い脳梗塞で入院した経験がありますが、とくにその後遺 症もなくおおむね健康に過ごしていたのです。高血圧のため10年以上前から降圧剤を飲んでいましたが、それほど大きな変動もなく特別重篤な病気があるとい うわけでもありません。
このFさんは「下半身に力が入らず、立ち上がるときよろける」、「外出するとき、手を引いてもらってゆっくり歩行しなければならない」などの訴えで、「なんとかならないか」と受診されました。問診をすると、そのほかに「食べ物がおいしく感じられず、あまりたくさん食べられない」とか「眠りが浅い」という訴えもあります。Fさんは、他の治療を求めず漢方のみの診療を希望されました。
Fさんについては年齢的にも腎や肝を強化して手足の筋肉を鍛えるというよりも、食欲が低下しているということも考えて、胃腸の働きをパワーアップすることが重要と考えられます。そのため、「補剤」と呼ばれる補中益湯(ほちゅうえきとう)を処方しました。
服薬からまもなくFさんは「食欲が出て、歩行が楽になった」と話しておられます。そして4週後の診察では、「5、6歳ほど若返ったような感じです」と言っていました。夜中にトイレに起きるときにあったふらつきも少なくなったとのことです。
Fさんはその後も数ヶ月間、治療と服薬を続け「食べられるようになった」と喜んでいます。完全な解決というわけにはいきませんが、それまで家の中で頻繁に転んだりよろけたりしていたのがずいぶんしっかり歩けるようになりました。

より満足度の高い下肢痛緩和のために


 このように、私たちは漢方を用いて衰えたり痛みのある下肢の症状の回復をお手伝いできるということをよく経験します。漢方には患者さんのタイプや訴えに対応できる、数多くの選択肢があるのです。
一般に変形性膝関節痛に対する漢方薬というと、すぐに防已黄耆湯(ぼういおうぎとう)という処方があげられますが、この薬は肥満で膝関節に関節液が溜まる 状態を予防したり治療するうえでは非常に有効な処方といえます。この薬は骨や筋肉を丈夫にする作用はちょっと足りないので、関節液が溜まらなくなったとこ ろで腎や肝を強化する方法に切り替えることが必要です。
また、関節液があまり溜まっていないような関節痛や筋肉痛などには、薏苡仁湯(よくいにんとう)や麻杏薏甘湯(まきょうよくかんとう)という薬がよく使われます。ただし、これらの薬は麻黄(まおう)という生薬成分が入っていて、胃腸障害を起こしたり、高齢者は不眠が出るなど、使い方が難しいところがあるので、専門家の処方に従うべきです。
老化のために腎や肝の衰えから下肢に障害が現れている場合には、よく六味丸や八味丸という処方が用いられます。また、これに加えて骨を強くする牛漆(ごしつ)という生薬が入った牛車腎気丸という処方を組み合わせることも少なくありません。ちなみに牛車腎気丸は男性の前立腺肥大に伴う頻尿を抑える作用もある薬であり、夜中にトイレに起きる機会を減らすので間接的に転倒を予防することに結びつきます。
筋肉が痛い場合によく用いられるのが芍薬甘草湯(しゃくやくかんぞうとう)という薬で、即効性が知られています。逆に長期的に用いる薬ではなく、痛みの発作が出たとき、ふだん使っている薬と合わせて使っても効果的です。
より満足度の高い下肢痛の緩和のために、漢方薬への期待が大きくなっています。


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