中医診療日誌 - 7

ストレス性疾患
肝の気のめぐりを整え、臓器に現れた障害を克服

現代の病気の大半はストレスが関連しているといわれている。じつは中医学が最も得意とする分野の1つはこうした内因性の病気だ。心と身体は一体のものであると考える身体観や、問診を重視する診断学などは、とくにストレス性疾患の治療において力を発揮する。

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平馬直樹 (ひらまなおき)
1978年東京医科大学卒業後、北里研究所付属東洋医学総合研究所で研修。87年 より中国中医研究院広安門医院に留学。96年より平馬医院副院長、兼任で、後藤学 園附属入新井クリニック専門外来部長として漢方外来を担当。

心が恬淡としていれば邪は遠のく

現代はストレス社会といわれ、社会や企業内、学校、家庭には様々なストレスが溢れています。このように日常生活におけるストレスとの結びつきが深いと考えられる病気をストレス性疾患といいます。
中医学では病気の起こる主な原因を、「内因」「外因」「不内外因」という3つの方向から考えることは、これまでに何度か説明してきました。外因とは環境因子のことで、たとえばじめじめした土地に長く住んでいて関節が痛むようになったという場合は、湿という病邪に侵されたというふうに考えます。不内外因とは生活習慣のことで、食べ物、疲労、セックスなどが不適切であることが病気の原因になると考えるわけです。しかし、最も重視されるのが身体の中から起こってくる内因です。内因には生まれつきの体質虚弱といったことも含まれますが、もっと主要なものは心の働きの乱れ、精神情緒の変動ということがあげられます。
一方では、心が安定していると、環境因子や生活習慣などの要因で起こる病気に対する抵抗力が高まるという考え方も示されていました。2000年以上前の医書である『黄帝内経素問』の中に、「昔の人は心が恬淡としているので邪が体の中に深く入ってくることができない。今の人は心が憂患であるために肉体を苦しめ病気の原因を作っている」という記述があります。心が恬淡、すなわち静かで無欲でさっぱりした心であるように感情を保っていれば病気を予防できるという考え方が述べられているのです。
内因が病気を引き起こすのは、感情の激動とか緊張状態が持続することにより五臓六腑のバランスを乱したり、気血のめぐりに影響がおよんだ結果であるというふうに考えられます。そのなかでも面白いところは、特定の感情が特定の臓器に負担をかけたりその機能に障害を起こすという考え方です。たとえば怒りという感情は肝の気を乱し、思い悩むという感情は脾と胃に負担をかけ、恐怖という感情は腎臓を消耗させ、悲しみは肺の機能を低下させるというふうに考えます。
とくに感情や情緒の中枢機関と考えられているのはなんといっても肝です。肝は気のめぐりをコントロールする中枢として働きます。精神情緒の乱れは肝気のめぐりの失調をもたらし、その影響が他の五臓六腑に及んで全身の気のめぐりに失調が生じて身体の中に病気を生む原因になるというふうに考えます。1つはどんな感情が起こったかということでどんな臓器が障害されやすいかということがあり、もう1つはその人が五臓六腑のどこに弱点があるのかによって感情の乱れの影響がどこに及ぶかということがあるわけです。

投薬と併行したカウンセリングも不可欠


 一般的に考えても、激怒したり悲しみに暮れるなど、ストレスが溜まったとき、身体には症状が現れやすい部位があります。1つは消化器系で、食欲がな くなって食事ができなくなったり、胃がキリキリと痛んだり、便秘や下痢を繰り返したりするということが起こりがちです。それから心臓や胸に現れる場合で、 動悸がしたり胸苦しくなっていたたまれなくなるなどの症状が出てきます。さらに直接精神症状に現れる場合もあり、不眠になったり、鬱状態になったり、不安 神経症が出たり、頭痛・頭重に悩まされたりします。そうしたストレス性疾患は、もともとその人の体質の弱点である場所に、肝気の乱れによってそうした症状 が引き起こされると考えられるわけです。
ストレス性疾患は、治療にあたっても肝の気のめぐりを整え穏やかにして精神情緒を安定させていくことに主眼をおきます。漢方薬や鍼の治療でもそういうことができますが、一方では同時に、患者さんにそうした精神情緒の乱れがあることを理解し対処してもらうことが大切なポイントになります。本人も意志の力である程度感情を制御するということができるわけですから、自分で治療に参加することになるわけです。そのようにストレス性疾患については、患者さんのできることと医者のできることを、それぞれお互いに発揮し協力し合いながら治していくという姿勢が必要です。
もともと中医学では精神症状と身体症状は区別していません。イライラしやすいとか、めまいや耳鳴りがするというのはいずれも肝の気が上に上ってしまっている状態です。こうした精神症状があって、それにともなう身体症状があればそれを同時に治すという治療方針のノウハウが、数千年の経験の蓄積により培われています。そして、どういうふうな性格の人にどんな症状が現れやすいかということもある程度わかっているのです。たとえばクヨクヨしやすいタイプの人は胃腸が弱く、イライラしやすく陽気が上る肝陽上亢というタイプは高血圧になりやすい傾向があります。
こうしたことから、ストレス性疾患の患者さんに対して、医者は投薬と同時に、どこにストレスがきているか、そのストレスがどんな感情の乱れに基づいているのかということを中医学的な目で見抜いてアドバイスすることが必要です。たとえば肝陽上亢タイプの高血圧の患者さんに対しては、イライラ怒ることについて「あなたにとっては寿命を縮めているようなものだよ」とはっきりいってあげてストレスについて認識してもらいます。
その人の身体のバランス回復をはかるうえで、薬物を用いるだけでなく、緊張の持続や感情の乱れの持続があればそのことを上手に本人に気づかせて、自分でコントロールするようにし向けていくというカウンセリングも不可欠なのです。もともと中医学の診療はこうしたカウンセリングの機能をも併せ持っていたわけで、ストレス性疾患は最も得意とする分野の1つともいえます。

胃と肝の調和回復で十二指腸潰瘍を解消

42歳の男性会社員Aさんが来院したのは4年前のことです。Aさんは身長172センチ、体重63キロの中肉中背で、34歳の時から3回も十二指腸潰瘍を繰り返してきました。商社勤務でストレスを強く感じており、飲酒の機会も多く、持病が仕事のストレスに関連したものであるということをよく自覚しています。
Aさんは普段から制酸効果のあるH2受容体拮抗薬を服用していましたが、3週間ほど空腹時にみぞおちあたりに痛みを感じる状態が続いていました。そこで、病院を受診し、内視鏡検査を受けたところ、十二指腸球部というところに新しい潰瘍が見つかりました。
そのためH2受容体拮抗薬の量を増やすとともに抗潰瘍薬を服用しています。その結果、症状は軽くなったけれど完治しませんでした。また、それ以前にも薬を飲み続けていたわけですから、それでも再発したということに不安を抱いています。そこで西洋医学だけでは不十分と考え、中医学の治療を求めてクリニックへ来院しました。
訴えを聞くと、みぞおちの痛みは強くなったり弱くなったりを繰り返しています。また、みぞおちから両わき、背中にかけて張って苦しいという自覚症状もあるようです。さらに胸やけがする、口が苦い、食後に吐き気がするといった症状も覚えています。お酒は止めているとのことでしたが、飲む量が多いときは下痢をしやすくなるそうです。そして、ストレスを強く感じるとイライラしやすくなるとのことでした。
舌の色をみると、淡い紅色(淡紅)で苔は白く、とくに問題はうかがえませんでした。ただし、脈をみると弦といって気の滞り(気帯)があらわれています。


十二指腸も含めて消化器を司るのは脾と胃であり、Aさんには脾と胃の症状が前面に出ているのがわかります。さらに中医学では脾や胃に痛みが出るというの は、気や血がめぐらないということによって起こると考えており、気のめぐりをコントロールするセンターである肝にも問題があるのがわかりました。
そこで治療は、五臓の肝と六腑の胃のバランスを回復すること、さらに胃の気のめぐりを促進して痛みを止めることを考えました。肝の働きを整える「逍遥散(四逆散)」と、胃を温めて働きを高め、痛みを止める「安中散」を合わせた漢方薬を処方しています。
こうしてAさんは現代医学の薬も併用しながら漢方薬を飲み、回復をはかりました。同時に飲食も含めてしっかり体質改善する必要があったのですが、以前はよく飲んでいたお酒もすっかり控えて、規則正しい生活を心がけています。
数ヵ月で潰瘍は消えて、現代医学の治療は終わりましたが、Aさんはその後も漢方薬の服用を続けました。そして半年くらいのうちにAさんはすっかり元気になり、表情も明るくなっています。

生活指導に重点をおいた過敏性腸症候群の治療

Aさんの治療を続けている頃、大学を卒業して会社勤めを始めて2年目の23歳の男性Bさんが来院しました。彼は身長168センチ、体重53キロとやややせ型で、子供の頃から緊張感が強くなると下痢をするという持病に悩んできたそうです。とくに就職後、会社の仕事に不満があり、職場の人間関係にもなじめず、下痢も頻繁に起こるようになったとのことでした。いわゆる過敏性腸症候群の症例です。
Bさんは便通が出勤前というふうには決まっていなくて、「不安定、不規則で困る」と訴えました。下痢が続くことが多いのですが、ときには便秘に陥り、数日間排便がないこともあります。そして、精神的ストレスを受けると「また下痢するのではないか」と不安になって、電車に長い時間乗っていられず、途中駅でトイレに駆け込むということを繰り返していました。「会社に行きたくない」という思いが強いのですが、真面目な性格なので休暇を取ることもできません。
舌診や脈診の内容もほぼAさんと同じでした。肝の気のめぐりに滞りが生じ、肝と脾胃の調和に問題が生じているのがうかがわれます。
治療は、急性時に肝と脾の働きを調和し下痢を止める「痛寫要方」を飲んでもらうことにしました。そして、ふだんは肝の働きを整える「逍遥散(四逆散)」に「六君子湯」を合わせたものを処方しています。
一方、Bさんのような患者さんは不安感、緊張感が胃腸に非常に悪い作用をしています。ですから、それを上手に自分でコントロールしてもらわなければこの病気は治りません。そのことは本人も自覚していることですが、医者の口からはっきり指摘してどのように意識を持ってもらうかということが大切です。たとえば今後仕事に埋没するのか、仕事から逃げてしまうのか、それを上手に取り込む努力をするか、あるいはストレスを上手に発散させるかというふうにいろいろな選択肢がありますが、そうしたことについて医者が相談に乗ってあげることも場合によっては必要です。


Bさんは非常に真面目な人で、ご両親ともよく相談したうえで、会社を辞めたりするという選択にはいたりませんでした。一方、勤務している会社が福祉施設の しっかりした大きな会社であることから、週末は会社の仲間と一緒にスポーツをしたらどうかと勧めたところ、「テニスクラブに入ろう」と同意してくれまし た。若い人にとっては気のめぐりを整えるうえで、好きなスポーツをすることがいちばん効果的と考えられます。
過敏性腸症候群のようにストレスが胃 腸にくる人は、くよくよものを考えるタイプの人に多くみられますが、これは中医学の考え方と同じです。中医学では感情の種類によって障害する臓器が異なる と考えるわけですが、胃腸は思い悩むことによって障害されるとされています。そこで、くよくよせず失敗してもあっけらかんとしていられるような自己改造を はかっていくことが大切です。その点、マイペースででき、異性の友達ができる機会も増えるテニスは、スポーツの種目からいってもBさんには最適だと思いま す。
Bさんは半年くらいのうちにだんだん身体もしっかり元気になる一方、職場でも徐々に仕事を覚えたということもあって自信を持つようなってきま した。その後地方転勤が決まったと報告にきましたが、その時点で治療は終了しても大丈夫だろうと判断できるほどになっていたのです。以後連絡はありません が、テニスを楽しみながら元気に仕事を続けていることと思います。


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