中医学とメンタルケア/中医診療日誌--26

【在宅医療と伝統医学】認知症は腎の衰退のプロセス

在宅医療と伝統医学 第4回『認知症の周辺症状に対する漢方の効果』  今回は61歳でアルツハイマー病を発症し、人との交流が困難になっていた患者さんに抑肝散加陳皮半夏(よっかんさんかちんぴはんげ)という処方を用いると、小旅行が可能になるなど周辺症状が大きく改善しました。

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北田志郎(きただしろう)

1991年東北大学医学部卒業。 その後,東京都立豊島病院臨床研修医(内科系・東洋医学専攻)を経て、 1993年東京都立広尾病院神経科 1995年東芝林間病院神経科 1997年精神医学研究所附属東京武蔵野病院 2000年天津市立中医薬研究院附属医院脾胃科に留学、その後、後藤学園附属クリニック医師として勤務 2003年より千葉県で地域医療を特徴としているあおぞら診療所で勤務。最近はとくに精神医学・中医学と地域医療と関連する研究に力を入れている。帰国した残留孤児達の心身の健康をサポートするボランティア活動などにも、積極的に携わる。

抑肝散の類方が認知症周辺症状を改善

 私たちが日頃訪問診療を行っている方の中には、主病名が認知症という方が少なくありません。我が国の認知症患者数は近年250万人を越えたといわれます。認知症は「物忘れ」ばかりでなく、初期には社会人としての能力、中期には家庭人としての能力、そして後期には生き物として自分の命を守る能力が、それぞれ衰えていき、これは認知症に共通した症状として「中核症状」と呼ばれています。
 一方、徘徊、性的逸脱、介護拒否、不潔行為、食や睡眠の障害などの行動症状や、また不安燥、不穏、脱抑制、幻覚、妄想などの心理症状を「周辺症状」と言い、かつては「問題行動」とも呼ばれていました。そして近年は「認知症の心理行動徴候」を意味する英語の略語であるBPSD (Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia)と呼ぶようになっています。この呼び方は、「問題行動というのは医療者・介護者からの一方的な見方であり、当事者の方にとっては必死に病苦を生きているありようなのだ」という考え方がこめられているからです。
 本連載の23回目でご紹介した「抑肝散」は16世紀の小児医学書『保嬰撮要』(ほえいさつよう)に登場する処方ですが、近年はBPSDの改善効果で注目されるようになりました。今回は、同薬の類法である「抑肝散加陳皮半夏」が目覚ましい効果を示した例をご紹介します。

無口で几帳面な性格が一変

 Dさんはもともと無口で、あまり人との付き合いのない方でした。しかし家庭的な町工場で技能工として真面目に働き、会社の上司の薦めで結婚、子宝にも恵まれ、一戸建ての住宅を購入しています。家族との小旅行が何よりの楽しみという、平凡ながら幸せな毎日を過ごしておられました。
Dさんに異変が訪れたのは、61歳の秋、この工場に嘱託として再雇用されたばかりのことでした。少し前から家族は、几帳面だったDさんが時間にルーズになり、言動につじつまの合わないところが出てきていたことに気づいていたそうです。
 そんななか奥さんはDさんを病院に連れて行く決意をします。それは職場からの1本の電話きっかけでした。「長年やり慣れているはずの作業工程を飛ばしてしまい、呆然としていることが多くなった」と告げられたのです。
 Dさんは総合病院を受診し、診察と検査の結果「アルツハイマー病」と診断されました。すでにかなり進行していて、担当医から「おそらくは1年以上前から発症していたのだろう」と告げられました。アルツハイマー病の進行を遅らせる効果が期待される「塩酸ドネペジル(商品名:アリセプト)」が処方されたものの、ほどなく仕事を続けることができなくなっています。
 Dさんは担当治医の「社会との接点を保つことが大事」とのアドバイスに従い、通所介護(デイサービス)に通うことになりました。一方で、家族の介護負担を軽減するためホームヘルパーが派遣されるようになります。ところが、もともと人付き合いの得意でないDさんにとって、知らない人と過ごすことは苦痛でしかありません。デイサービスに出かけても走って逃げ帰り、ヘルパーが家に入るとその間落ち着かずに立ったり座ったりを繰り返す有様でした。結局奥さんがパートを辞め、独立していた娘さんも自宅に戻って家族による介護が始まったのです。
 こうした環境に入ってもDさんは徐々に落ち着きがなくなっていきます。会話もほとんど成り立たなくなり、「自分のものを盗った」などと家族を責めるようになり、声を荒げることも増えていきました。娘さんが出勤のため家を出ると、これについて行こうとして家から飛び出してしまういったこともしばしば起こります。暴力を振るうことはなかったようですが、もともと穏やかな性だっただけにご家族は大きなショックを受けていたようです。

 担当医から精神安定剤が追加されましたが事態は悪化する一方でした。そのうち通院そのものが奥さんの負担となってきたのです。
 Dさんは待合室ではおとなしく座っていられず、奥さんが必死になだめなければなりません。しかしいったん診察室に入ると態度はうって変って静かになり、小声でつぶやいたりするだけで、医師に大きな問題を感じさせないのです。そのため診察も数分で終わってしまいます。「これでは先生にも家族の苦労は何も伝わらない」と困り果てていたところ、知人から当院の存在を聞いたそうです。こうして私が初めてDさんのご自宅に伺ったのは、Dさんがアルツハイマー病の診断を受け1年半経った春のことでした。

往診から半年で小旅行が可能に

 居間に上がってスツールに座っていたDさんに挨拶すると、Dさんは立ち上がって横を向きす。とても険しく、警戒心に満ちた表情です。奥さんがなだめるように声をかけても、もうDさんは立ったり座ったりそわそわし始めて、近寄ることすらはばかられました。初回往診はDさんに指一本触れることができなかったのです。
 このようにDさんに心を開いてもらうだけでも、最初は大変でした。2回目の訪問の際は奥さが親族やDさんのかつての同僚を招いてパーティーを催すなど、ご家族もいろいろ工夫されていす。おかげで3回目の訪問時には、Dさんの私への抵抗がぐっと減っていたのがうかがわれました。
 ようやく診察をさせてもらうことができたのは4回目の往診時です。脈の所見は細滑弦。舌色は淡紅で舌尖部は絳、苔白薄。色白な方ですが顔面は紅潮。手指振戦あり。お腹はまだ触ることができません。
 Dさんに抑肝散加陳皮半夏エキスという漢方を処方したのは6回目の往診の時でした。その2週間後に7回目の往診をすると、Dさんは私への警戒の構えは残っているものの、血圧測定を求めると、拒否することはありませんでした。奥さんからは「極めて穏やかに過ごしている」とうかがうことができました。
 その後奥さんと相談の上塩酸ドネペジルを休止したところ、Dさんの情緒はさらに安定し、診察の終わりには「ありがとう」と声をかけていただくまでになりました。娘さんを追って外に飛び出すこともなくなり、残っていた精神安定剤もじょじょに中止に持っていくことができました。
 Dさんの変化は穏やかになったことにとどまりませんでした。「必ず家族と一緒」という条件であれば、自転車に乗って近所に出かけることができるようになったのです。そして往診開始後半年の時点で、ご家族はDさんと電車に乗り、久しぶりの小旅行にも行くことができるようになっていました。

認知症は「腎」が衰退していくプロセス

 抑肝散は2005年に東北大学医学部加齢研究所において盟友の岩崎鋼氏が同剤のレビィ小体型認知症への効果を英論文で発表したことをきっかけに大ブレークした漢方薬です。現在では認知症診療に携わる医師で抑肝散を処方したことがない人を探す方が難しいのではないかと思われるほど広く用いられています。
 なぜ高齢の方に本来小児向けとされる処方が、こんなに適合したのでしょうか。
 図は仙頭正四郎氏『標準東洋医学』(金原出版2006)から引用したものですが、

  ここで示されるように「腎」は現代医学における腎臓より遥かに広い機能を担っています。
 まず、「先天の本」として「成長・発育・生殖を主(つかさど)る」とされ、これは現代的にえば遺伝子に相当するような機能です。また、「精を蔵し、骨を主り、髄を生じる」とされます。「髄」には「脳髄」の意味もあり、現代医学でいう脳機能の一部も担っていることになります。さらに「腎」は現代医学の腎臓の働きにほぼ相当する「水液」を主るほか、髪、生殖器、耳の働きをも担っています。
 この「腎」の量が少ないという意味において、乳幼児と高齢者は同質な存在といえます。ただし乳幼児の場合、腎は高い能力を秘めながら発現を待つ段階なのに対し、高齢者の腎の絶対量は減少の一途をたどっているところです。そして腎が尽きた時がすなわち臨終期ということになります。 こうした見方からすれば、認知症の中核症状の進行は、腎の衰えとともに、大人から幼児に、そして乳児へと還っていく過程である、ととらえることが可能となるのです。中核症状が、持っていたものが失われていく過程、すなわち「虚」のプロセスであるとすると、BPSDの多くはなくてもよい余分なものが現れる「実」の症状とみなすことができます。現代医学においても中核症状「陰性症状」、BPSDを「陽性症状」と呼ぶことがありますが、この表現はとても東洋医学的なものといえるでしょう。
 もっとも「実」とはいえども、これは素体の「虚」をベースとするもので、残り少ない力を誤った方向へ向けてしまう、「かりそめの機能亢進」であると言うことができます。実際BPSDの出現する 時期は、せいぜい認知症の中期ぐらいまでとなっています。抑肝散がぴったりする中医学的弁証は気血両虚をベースとした「肝陽化風(肝陽が亢逆しすぎて制御できず、動風が起こる)」であり、乳幼児のみならず高齢者にも向いた処方ということになるわけです。
 ある中医によると、「抑肝散をBPSDに用いようという発想は中国では出てきにくい」ということでした。どうして日本において抑肝散が幅広く適応するかは、日本人のメンタリティや文化的側面から説明できるかもしれません。ある年代までの日本人は、感情を顕わにせず、自己を取り巻く雰囲気を察して黙々と状況に従うことが美徳とされてきたのではないかと思います。こうした国民性があるため、長い間心の奥に密かに溜め込まれてきた「怒り(肝気)」を認知症という病いを得ることで抑えきれなくなるのではないか、というのは仮想に走りすぎていますでしょうか?
 なお、Dさんに抑肝散ではなく二陳湯を加えた抑肝散加陳皮半夏を用いたのは、診察の中でDさんが「内向的な方だったのではないか」と感じたことが主な理由です。肝気を穏やかに鎮めBPSDを緩和するとともに、「理気化痰(気の流れを良くし、痰を除く)」により不活発さの解消をも目指しました。好きだった家族旅行にまた出かけられるようになったことで、目的は達せられたのではないかと思います。
 それでもDさんの認知症中核症状は容赦なく進んでいきます。訪問診療に何ができ、そして漢方治療がどれだけの役割を果たすことができるのか、報告は次回に続きます。


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