蜀の名将姜維の胆は鶏卵ほどの大きさだった

中国の古代人は肝と胆は切っても切れない関係として、そこに気持ちや真心という感情が発生するところと考えた。

岡田明彦

四川省雅安市から山陜を流れる清衣江を見ながら廬山県に向かう三国志の足跡を訪ねて四川省を旅したとき、蘆山県に蜀の名将姜維(きょうい)を祀る姜侯祠があるというので訪ねた。姜維は天水の出身で、最初は魏の武将であったが孔明の策で蜀に帰順した。母親思いで知られ、諸葛孔明に自分の後継者を得たとまでいわせたという。
孔明亡き後も蜀をよく守っていたが、敵との戦いの最中に、急に胸の痛みに襲われ最期を悟り、「我が計破れたり、これ天命なり」といって自ら首をはねて自害した。姜維の心臓は狭心症に冒されていたのかもしれない。59歳の時だった。ところが姜維に恨みを持っていた魏の兵たちに遺体を切り刻まれてしまい、その時身体から現れ出た姜維の胆は、「鶏卵ほどの大きさだった」と演義には書かれている。ところが姜維の胆には後日談があった。

龍尾山に姜維の胆を埋葬したと伝えられている姜侯祠で出会った工芸家の唐さんによると「斗胆到廬陽」といって、その胆は姜維の腹心の部下2人がそっと持ち出し成都から廬山県まで落ち延び、県城の東北にある龍尾山に埋葬したというのである。訪ねていくとそこには確かに姜維の胆の墓があった。
なぜ胆がこんなに大切にされているのだろうか、また大きかったと記録されたのだろうか。中国に「肝胆相照らす」という言葉がある。「包み隠さず心の底までうち明けて交わる」という意味だ。中医学の陰陽五行学説では、この五臓の肝と五腑の胆はともに「木」の分類に分けられていて表裏一体の関係にあることがわか る。中国の古代人は肝と胆は切っても切れない関係として、そこに気持ちや真心という感情が発生するところと考えた。また肝が太いとか、肝が据わるなどと使 うが、これは、度胸や勇気があり、滅多なことでは動じない大胆なことをいう。
このことからも姜維と諸葛孔明との交わりの親密さや、姜維の武将としての剛胆さを胆は隠喩していると考えられないだろうか。

漢姜候祠と書かれた碑坊
姜維の像を制作している唐さん
姜維廟の楼閣
 
廟の中には姜維と「肝胆相照らす」仲の諸葛孔明の像が祀られていた
廬山県の三峡で飛仙鎮という美しい
名前に惹かれて立ち寄ると
100歳のお婆さんと出会った

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