五丈原に散った諸葛孔明の旧病とは

亡き劉備の意志を継ぎ、諸葛孔明は劣勢な兵糧や兵員にもかかわらず五丈原に陣を張り、魏の司馬懿(しばい)と対峙すること100日余りに孔明は持久戦は不利と見て司馬懿を挑発するが、孔明の力に疑心暗鬼に陥った司馬懿はなかなか挑発に乗ってこない。そこで呉の陸遜(りくそん)と連携して攻めようとするが、密使が魏に捕まり計画がばれてしまう。『三国志演義』ではこのことを知った孔明は「あぁ~」と声を発するとその場に気を失い、しばらくして我に返り「胸の内が乱れ、旧病が再発した、我が命も長くはないな」と周りの者に告げた。いったい孔明の旧病とは何を指すのだろう。

岡田明彦

陜西省岐山県五丈原。孔明ここでは亡くなり「死せる孔明、生ける仲達を走らす」の故事が生まれた演義104回の文面では、孔明は「昏睡と吐血、人事不省」という言葉を何度も繰り返している場面がでてくる。また「秋風は顔より通って寒気を覚え涙を流し、歎息した」とか「病膏肓(やまいこうこう)に入り、命は旦夕にせまり」「その夜、星を占うと自分の星が微かな光しか放たないのを見て驚いて色を失い寿命の終わりを悟った」などの精神状態の緊迫を現している場景もある。また疾病というよりは寿命と闘おうとして「歩こうの方術」を行い、運命や寿命を主る北斗星に延命を祈願するなど、孔明の人間くささも出ている。

また『三国志』正史では、司馬懿は戦いを誘ってくる孔明の使者に対して孔明の日常生活状況への探りを入れている箇所がある。使者はそれに対して「孔明は朝早くから夜遅まで働きづめで、食事は日に数升しか摂らず、刑罰が棒叩き20回以上の裁判は1人でこなしている」と答える。

八卦衣をまとった諸葛孔明像を祀る五丈原武候祠それを聞いた司馬懿が「孔明はもうすぐ死ぬ」といったのは、中医学の「飲食と労逸(ろういつ)」という、人間が生存していく上で、バランス良く飲食、労 働、休息を摂ることが基本条件で、それが崩れると旧病の再発や死に至ることを知っていたからではないだろうか。
また、これらの文面から孔明の再発した病状を判断すると、『黄帝内経素問本病論』でいう「愁憂恐懼則傷心」という状態に陥っていたと考えられる。中医学では憂いや恐れといった精神的要素が原因で 『心』を害することがあると説明している。症状はというと顔色が悪く、脈が細くなり、吐血、胸痺、心悸などを起し、不眠、多夢、昏睡、人事不省に至る。孔 明の旧病とは心臓に起因したものだったのではないだろうか。

孔明が亡くなったのは54歳の秋だった。孔明の死は現代人にも通じる日々の心労がストレスとな り、再発した過労死とも思える。

孔明の亡骸が埋葬された勉県定軍山にある武功墓
武候祠参道途中にある諸葛泉より流れる水で洗濯をする
正殿の横にレンガ作りの祠があり、孔明の妻黄月英の像が祀られてある
八卦亭

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