桃園の誓いと桃の隠喩

『神農本草経』に、桃の種子「桃核仁」は瘀血や膿を取り去り、百鬼を殺すとある。
『三国志演義』の作者羅貫中は、漢室を蝕む魏の曹操を瘀血や膿にたとえ、漢室の再興を志す劉備を桃核仁に見立てたのであろうか。

岡田明彦

劉備の故郷大樹楼桑村へ行く途中に桃の花が咲いていた北京から60キロ南下すると、河北省タク州市に入る。ここが三国志の豪傑劉備、関羽、張飛の3人が桃園の結義を行ったところである。
時代は後漢末期「蒼天すでに死す、黄天まさに立つべし」と張角が率いる黄巾の乱の最中であった。漢室を守るべく義憤を感じた劉備、関羽、張飛の3人は折良く桃の花が咲き乱れている張飛の桃園で天地の神に祭壇を設けて「願わくば我ら3人、生まれてきた時は別々でも、死する時は同時でありますように」と願を掛け、義兄弟の契りを交わす。しかしこのくだりは正史にはない。
作者羅貫中は、神聖な誓いの場に、なぜ桃園を創作したのだろうか。
たまたま山東省で知り会った石工から、旅の安全にといって、桃の小枝で作られた青龍刀を模したお守りを貰ったことがある。なんのお守りかと訊ねると「桃の霊力は邪気を払い、悪鬼を殺す」とその石工は答えた。いまでも中国の人々に信じられている「桃の霊力」がこの問題を解き明かすキーワードかもしれない。
桃の霊力といえば、孫悟空が地母神である西王母の庭から不老不死の果実、幡桃を盗んで食らう話は有名である。

張飛が生まれた忠義店には、張飛が使用していた井戸が保存されている古代中国の疾病観では、病は瘟鬼(邪気)がもたらすものと考えられていた。瘟鬼を恐れ、祓うためにさまざまな巫術がとり行われた。なかでも桃は、その形態 から女性の性殖器がイメージされることから、生み出す力、すなわち生命の源のシンボルになった。生命を生み出す桃が対極にある疾病や死を打ち負かすと考え られた。
また、一つの説では漢代の王充が記した『論衡』に『山海経』の今は無い記述として「滄海にある度朔山には、三千里にも枝を這わしている桃 の大樹があり、その東北の枝の合間に鬼の出入りする鬼門がある。そこには神荼と鬱塁という門神がいて、人間に悪さをする鬼を退治する」というくだりがあ る。この門神は桃の化身とされることから、年画に描かれていて、春節になると家々の門に貼られ、外から来る瘟鬼を追い払っている。
羅貫中はこのことを知っていたに違いない。

蒙古族の元から、明に移行する漢民族のナショナリズムの台頭する世相に羅貫中はいた。明は漢民族の正統性を、漢や唐に習い、仁を説く儒教を採用した。それらの状況を後漢末期の状況とダブらせ、当時の疾病観で社会状況を読みとろうとしたのではないだろうか。
羅貫中の描く、『三国志演義』では、漢室(仁)に敵対するものは鬼とみなし、漢室の流れをくむ劉備を支える関羽と張飛を神荼と鬱塁の門神にたとえたかったのではなかろうか。描かれた門神を見れば見るほど関羽や張飛を彷彿させるものがある。
世界最古の薬学事典『神農本草経』によると桃の種子は「桃核仁」という名で生薬として出てくる。その効用は、身体の瘀血や膿を取り去り、百鬼を殺すとあり活血作用があるとされる。
漢室を蝕む魏の曹操を瘀血や膿にたとえ、漢室(仁)に厚く義に赴く劉備を、漢室を再興させる治療薬、桃核仁に隠喩したとみるのは少々うがちすぎだろうか。
羅貫中は、いにしえの漢民族の英雄を聖なる桃園に登場させることで、彼ら3人に桃の霊力を借り、新しい生命を吹き込もうとしたのではないだろうか。

劉備を祀っていた昭烈帝廊の山門
神荼と鬱塁の年画

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