考古医学が明らかにした赤壁の勝敗

孫権・劉備連合軍は地の利を生かした戦法と知略をもって
劣る兵力をカバーしようとする。
そこに目に見えないなにかが味方した。

岡田明彦

戦勝祝いの席で周瑜が一気に書き上げたという赤壁の2文字中国の諺に「南船北馬」というのがある。
南の交通手段は船が主で、北の交通手段は馬を主とするという意味である。このことが三国志史上最も有名な赤壁の戦いを左右した。
曹操の軍勢80万のほとんどは、北方の出身で勇猛な騎馬軍団であり、船旅には不慣れであった。それに引きかえ、迎え撃つ呉の孫権、劉備連合軍は5万弱の軍勢ながら、南船といわれる地の利を生かした屈強な水軍を擁していたのである。
現在の考古医学の研究では、赤壁の戦いの当時、曹操軍に住血吸虫による伝染病が発生し、全軍にアッという間に蔓延したという指摘がある。さまざまな伝染病が分かったのは顕微鏡の発明以来のことだから当時の医学知識では疾病を解明できたわけではない。

曹操軍の屍が多数埋まっている白骨塌演義ではその辺りの情況を、呉の元にいた知者鳳雛先生こと鳳統の医学知識に置き換えて船酔いとしている。
鳳雛は素知らぬ顔をして、敵方の曹操の陣 を訪れ「ここには良い医者がいるか」と訊ねる。なぜかと聞く曹操に「見回したところ病人が多く、中原の人たちは船には不慣れで、船酔いのため、病を引き起 こすのだ」といい、「船と船を鉄の環で繋ぎ、その上に板を敷き詰めれば、どんな波風にも船は揺るがず、その上を人はもちろん、馬をも駆けさせることがで き、病人を出すことも無くなる」と一つの計を授ける。これが有名な「連環の計」である。

しかし、知謀の人といわれる曹操が、鳳統の策略に簡単に引っかかるほど、将兵に疾病が蔓延していたことがうかがえ、敵ばかりではなく、疾病とも戦わなければならない曹操の苦悩が思われるのである。
一方諸葛孔明は、赤壁の小高い山に拝風台を作り祈願して、東の風を呼び起こさせる。
ころはよしと、数珠繋ぎで身動きのとれなくなったった敵船団めがけて、黄蓋の火攻めが行われ、勝利を得ることができたと語られている。

長江の流れを湛える赤壁古戦場跡
孔明とともに並び称される鳳雛先生こと鳳統を祀る鳳雛庵
曹操軍が陣を張った所
孔明が風を祈願した拝風台

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