「バイオエシックス」にみる生・病・老・死 最終回

死 揺れ動くいのちの終わり

新しい時代の死の問題をどう考えるか
医療技術の進歩とともに「脳死」という概念が登場し、
じょじょに社会的認知を受けるようになってきたが、
それはいのちのあり方が揺れ動くことでもある。
しかしそれはまた、我々が自分らしいいのちの最後を選択できる時代が
やってきたことの証なのだ。

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木村利人 (きむら・りひと)
1934年東京生まれ。早稲田大学第一法学部卒業。同大学大学院法学研究科博士課程修了後、サイゴン大学、ジュネーブ大学大学院教授、ハーバード大学研究員等を経て、ジョージタウン大学医学部客員教授、早稲田大学教授。著書に『バイオエシックスとは何か』等多数がある。

臓器移植法案成立への道程

いつかは誰でもいのちの終わりを迎える。そのことはつねに人々の人生観や日常行動の背景にある。なのに、私たちは死をまともに考えることを避けがちである。

現在、死に関する最も大きな問題は、いのちの終わり方が以前とは違った時代に突入したということであろう。すなわち、これまでは自然に心臓が止まったところでいのちの終わりとされてきた。ところが、1960年代後半から、心臓が止まらなくても脳の機能が停止した段階でいのちが終わるという、脳を基準として考えた新しい死の定義が生まれている。

現在は生命維持装置という機械で肺や心臓が無理に動かされ、しかも脳はまったく機能していないという「脳死」の状態が起こりうる。通常の脳死の基準は、瞳孔が開き、脳幹を含むすべての脳の機能が元に戻らず、神経が反応を示さないという状態が六時間以上続いた場合とされている。そこで、果たして脳死状態で人間の尊厳を保つことができるのかどうかという問題が生じ、むしろそこでいのちを終わらせることが尊厳を守ることになるのではないかといわれるようになった。

さらに、このような脳死状態にある体から臓器を取り出して移植するということから、脳死問題がクローズアップされるようになった。脳死という死の新しい定義が生まれたことにより、脳死状態での臓器の提供をあらかじめ文章その他で認めていれば、その人に臓器の提供を求めることができるということになってきたのである。

ところが、日本では1968年に札幌医科大学で、和田寿郎教授(当時)によって行われた国内初の心臓移植手術が、非常に不幸な事態を招くことになった。心臓を提供した青年は、水に溺れたが一生懸命手当すれば蘇生したかもしれない状態だったともいわれ、プロセスや死の判定等、何もかも不透明な事件だった。

こうしたことから医療不信が一挙に起こって、以後30年間日本では心臓移植が行われていない。臓器提供の希望があっても、移植手術が行われにくい移植を必要とする患者にとって非常に残念な状況が続いてきたのである。

この間に世界は大きく変わり、人間は脳死状態というものに陥るのだという一般の理解が進んできた。そして、脳死状態に陥ったら現在の医療水準では回復する見込みはないのだから、臓器を提供しようという、無償の愛の行為を広げる運動が始まっている。

そこで日本では世界とのギャップをなんとか埋め、国レベルで対応しようという考え方から、臓器移植法案が生まれ、1997年4月衆議院を比較的多数の賛成のもとに通過し、10月16日参議院で修正可決され施行された。この法案のもとは「中山案」と呼ばれるもので、「脳死体からの臓器提供を法的に許容する」ということと「脳死は死である」という二つの具体的内容が含まれている。世界の趨勢に沿った内容といえるものである。

いのちの揺れ動く時代

新しい科学技術の展開の中で、人間はいのちをも操作できるようになり、そのためにいのちは不安定に揺れ動くようになった。例えばいのちの始めには、胎児診断で正常と判断されれば分娩、そうでなければ中絶というふうに不安定になっている。いのちの終わりでも脳死状態であっても、家族は死んだとは認めたくないという具合に、いのちが揺れ動く。現段階では、脳死を認める人と絶対認めない人がいる中で、脳死を死とする法案を出すというのは行き過ぎだという論調が多い。


バイオエシックスの立場からは、長年の蓄積を背景に、一般の人たちが脳死は死であるということを受け入れられるにはどうすればいいかを考えている。また、 一般の人たちが脳死を受け入れられない場合には、その人たちを暖かく包むことのできる情報、ともかく脳の状態を基準にした脳死という概念を導入することが 必要だと考える。しかし、脳死という概念を、本人の家族として、親として、どうしても認められないといった状況にあるならば、「自己の良心に基づいて脳死 を拒否する」という条項を中に入れることを認めるということにする。それでも、どうしても受け入れられないという場合には、その人自身の限界まで生きるこ とをサポートしなければならない。

例えば、アメリカ・ニュージャージー州では、1990年代に、「脳死または心臓死をもって死とする」という法律を作った。その法律は基本的には脳死を受け入れるようにしているが、ユダヤ教の主流を占めるオーソドックスと呼ばれる人たちなどを配慮して、自己の宗教的な良心に基づいて脳死を拒否できるという条項を入れている。

また、日本の場合は、現段階では脳死と診断されたあとでも治療した場合は保険が適用されるが、スウェーデンなどでは脳死後は、保険医療が認められないことになっている。すなわち、脳死を拒否した時点から家族が経費を負担しなければならないが、脳死を選択する余地は残されているのである。いのちの揺れ動いている時代には、このように選択の余地を与えて脳死条項について幅を持たせるという方法が大切だと思う。

自分らしい最後が選べる時代が到来


移植に関連してもう一つ注目すべきことは、いのちの終わりをみんなで支えていくという運動が、やはり1960年代の終わり頃から起きてきたということであ る。それまでは、死に行く人々は医療から見放されて、社会の関心外におかれがちだった。アメリカのパーファーという心理学者が、死を前にした人々にインタ ビューして、『Meanninng of Death』という本を書いている。この本は死に行く人々がいかに孤独であり、場合によっては家族からさえも見放されているという現実を指摘し、たいへん なショックを与えた。

こうしたことから、いのちの終わりの時を充実させて過ごしたいという運動が、病院から見放された末期の人々の間で起こってきた。死に行く人々は無理矢理生きさせられるよりも、むしろ痛みを抑えながら、自分たちの価値観、希望の中で最後の時を過ごしたいと望むようになったのである。イギリスでは、末期にある患者の価値観、希望を尊重して、在宅を中心にした安らかな死を迎えるためのケアが1960年代の後半から始まった。これをホスピスケアという。

ホスピスというと、日本では特定の終末医療の施設の中に、末期がんなどの患者を収容する施設と考えられがちだが、これは大きな間違いである。イギリスでのホスピスとは、患者がいちばん欲する場所で、最後の時を充実して生き、安らかにいのちを終えるためのケアのシステムのことをいう。

したがって、本来のホスピスケアの機構は、医療にとらわれないで、もっぱら末期のケアのための訓練を受けたボランティアと、看護婦による痛み止めを中心にしたシステムとして機能している。こうした意味で、ホスピスはみんなでいのちを支え合い、末期を豊かに過ごすためのケアのシステムとして定着した。

私はアーリントンにあるホスピス・オブ・ノーザンバージニアという組織にボランティアの委員の一人として参加している。その中でホスピスはいかにあるべきかという考え方をまとめる作業をするうち、アメリカの人たちは、じつにいろいろな価値観を持っている人たちの集合体であることに改めて気づいた。

アメリカには多様な民族が同居しているし、死の迎え方もそれぞれの文化、宗教によって大きく変わってくる。こうしたことに対応したきめこまかいケアができるようにしておかないと、ホスピスケアの専門家としてやっていけないということがわかってきた。

そこで、ホスピス・オブ・ノーザンバージニアでは、ホスピスケアを文化の問題と考え、積極的にスタッフのトレーニングを行うことになった。アメリカやヨーロッパ諸国では、再教育のシステムがあって、医者も看護婦も、新しい医学や看護、病院の研究、情報に即したコースで単位を蓄積していかないと、ライセンスが継続できないというシステムになっている。

1960年代後半からの価値観の転換の中で、医療にはいろいろな意味で選択肢のあることがますます明らかになってきた。例えば乳がんの治療にも、ハルステッド手術といわれる拡大手術もあれば、一部摘出手術もあるし、乳房温存法、放射線療法、化学療法、レーザー照射、免疫療法と選択の幅がある。そして、患者の自己決定を尊重する時代に我々は生きており、患者こそそれを選択する中心にいる。

とくに死をめぐっては、患者が人生の最後の時を自分の価値観に沿った生き方を選ぶことができるようになった。治療しない生き方、痛み止めを中心にした生き方、あるいは全財産を持って世界一周したり、好きなことを勉強し続けるなど、いろいろな生き方がある。死ぬ時も自分らしい死に方ができ、選べる時代になってきた。その価値観の転換をバイオエシックスが1960年代後半から作ってきたといえる。

グローバルに考えなければならない死の問題

人間のいのちの終わりというのは、本人にとっても家族にとっても一大事件である。そうした時、この世を去る人を孤独に追い込むことなく、暖かくユーモアをもって支えていくということが重要になってくるだろう。誰もがたった一人で死んでいくのだけれど、いのちがつながっているからこそ、他の人たちへの共感をもって、豊かないのちの終わりを迎えられるのである。

このようにいのちを支え合う新しい時代にあっても、やはり自分は自分なりの決断をして、今の段階で死ぬことができるはずだと主張する人が出てきた。すなわち安楽死の新しい展開がある。


これまで人々は病気になれば医者にかかってきた。医者から十分な情報を受けて、価値観を尊重しながら治療してきたのである。
ところが、安楽死の問題は今までの医療概念に大変な問題を引き起こした。つまり、これまで病気を治していのちを救ってくれるものであった医者が、できれば安らかに死なせてくれる存在であって欲しいと考えるようになってきたのである。

一方、健康にならない患者もいるのだから、医者の使命は患者を安らかに死なせることだという考え方さえも出てきた。もちろんこれは医療側にあってはまだきわめて少数意見である。ただし、死にたいという患者は、その価値観の成就のために、安楽死、尊厳死、自殺介助という問題に医師を関与させようという動きが出ている。

安楽死にはいろいろな条件があげられているが、1962年の名古屋高裁の判例では、違法性を問われない安楽死について、次の六つの要件が示されている。

(1)不治の病で死期が目前
(2) 苦痛が甚だしい
(3) 死苦の緩和が目的
(4) 意思を表明出来る場合は本人の真剣な嘱託または承諾
(5) 医師の手で行う
(6) 方法が倫理的に妥当

一方、1991年に起こった東海大学の「安楽死」事件でも、この要件がおおむね踏襲されたが、ここで問題になったのは、安楽死にも積極的安楽死と消極的安楽死があるということだった。積極的安楽死は薬物投与でいのちを終わらせることである。名古屋高裁では本人の同意があることを前提にしているが、東海大学の事件では患者が昏睡状態に陥っていて同意がなかった。家族の懇願要請があっても、本人の意志がないのに安楽死させることは、現行刑法上完全な殺人罪として責任を問われることになる。

消極的安楽死は、薬物などを使って積極的に殺すわけではない。医師が患者の状態を見るに見かねて水分の補給をしないとか、生命維持装置を止めていのちを自然に終わらせる方法である。尊厳死は本人の意思に基づいた消極的安楽死をいうケースが多い。

このように世界的にいのちの終わりの問題を、「死の権利」の問題として考えていく時代が訪れている。そこで、自分がどういういのちの終わり方をしたいかということをあらかじめ文書によって明確にしておこうという考え方が出てきた。昏睡状態に陥ったり、意識をなくしたりした時に、担当している医師が「どうしたらいいかわからない」という混乱に陥るのを予防するために事前の指示をしておこうというわけである。

私自身は尊厳死、すなわち自発的意思に基づく消極的いのちの終わりには賛成できるが、仮に医師側が薬を与えていのちを終わらせるようになると、非常に問題が大きいと思う。医療専門家についての概念が大きく変わり、この医者にかかると殺されるという考え方が出てくるかもしれないという危険性があると思うからである。

世の中には今も豊かないのちを生きていけない様々な人たちがいる。食べるものも食べられない人が大半なのだから、死について選択するなどというのは贅沢な話かもしれない。そうした意味で新しい時代の死の問題を、日本の中だけではなくグローバルに考えていくことが必要となっている。いのちが揺れ動く時代のなかで、自分自身の死の問題を見つめ直していくということを、バイオエシックスは大きなテーマとしていかなければならない。


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