化学物質過敏症を考える

「シックハウス」症候群とは何か

病名としてはまだ認められていないシックハウス、その実態に迫る
「新築病」とか「シックハウス」と呼ばれる病気が注目されている。
建築材料に使われる化学物質が、住む人に思わぬ障害をもたらすという。
いち早くこの「化学物質過敏症」の研究に取り組んできた
北里大学医学部眼科の難波龍人医師に、
この病気の正体と現代住宅の問題点をうかがいながら、その正体を考える。

プロフィール写真

難波龍人 (なんば たつと)(取材構成・林義人)
1981年大阪医科大学卒業、同眼科へ入局。83年北里大学眼科に移り、86年大阪医科大学を経て、89年再び北里大学に。90年同講師。91年米ダラスの臨床環境医科センターに留学ののち93年7月に現職に復帰。

マルチプルな症状が出現

新築の住居に入居した途端、めまいや頭痛、冷え、欝状態、無気力感などが現れるのが「シックハウス」の症候群です。私たちの学部は、日本で唯一本格的にこの病気について研究している機関だといえます。

眼科の領域で何故シックハウスという家屋の問題を含めた研究が行われているのか不思議に思われることでしょう。理由の1つは、目の動きとか瞳の反応といった検査で、あまり患者の負担をかけずに、わりと精密に自律神経のバランスが測れるからです。

実は、先頃退官された石川哲元医学部長が昔から環境問題に取り組んでおられて、瞳のピントを合わせている毛様体に有機リン系の物質が影響する一方、体の部分に作用するということをアメリカで研究しておられました。ちょうど石川先生が帰国された頃、DDTのような毒性の強い殺虫剤が使用禁止になったため、それより毒性の弱い有機リン系の農薬がどっと使われ始めたのです。

今でこそ有機リン系の殺虫剤には急性毒性や慢性毒性があって、身体に有害であることは誰でも知っていますが、当時の農林省は安全であると太鼓判を押していました。これに対して、石川先生は、有機リン系物資というのは弱毒性であっても体に無害ではないと主張し、当時の農林省の役人などと対決しました。さらに、10年くらい前から「化学物質過敏症」といった考え方が欧米で出てきたことから、そうした疾病が本当にあるのかどうかを確かめたいということで、関心を持って研究をし始めたのがきっかけです。


化学物質過敏症にはこれといった特徴的な症状というものはなく、頭のてっぺんから足先までに様々な身体の不調が現れ、一つや二つの病名では説明しにくい『マルチプル』といわれる多種の症状が出てきます。症状が化学物質過敏症によるものなのか、ある物質による直接の急性中毒系の刺激障害なのか、区別をするのが難しいわけです。

都会では化学物質と隣り合わせの生活だ

ただし、普通の中毒なら原因物質がある程度の量に達していれば、家族の誰にでも反応が出る。また、この場合は原因物質が数ミリグラム単位で人体に影 響が現れます。一方、化学物質過敏症による障害はppb(100万分の1)や、ppt(1兆分の1)という超微量単位で現れます。そして、化学物質過敏症 は非常に個人差が大きいのも特徴であり、家族の一人が不調になっても、他の人たちは何ともないというケースが少なくありません。

化学物質過敏症の場合、臭いのきつい新しい家に入ってから調子が悪くなるというふうに、エピソードがわりとはっきりしています。もっとも知らないうちに原因物質に接触している場合もありますが。

個人差が大きいとなると、いったいどんな人が化学物質過敏症にかかりやすいかが気にかかります。実は患者は女性が75%を占め、それも40代から 50代の中年層が中心になっていて、夫は何ともないけれど、妻だけ具合が悪いというケースが比較的多いのです。それは女性の方が家の中に長い間いるために、化学物質の影響を受けやすいのだという考え方もあるけれど、外に働きに出ている女性にも患者は多いので、いちがいに決めつけることはできません。むしろ女性のホルモンのバランスといったところの方に問題があって、『女性の方が敏感だから』と考えたほうがいいようです。

どんな病気も多少はそういう傾向がありますが、患者と血縁関係の人はかかりやすい傾向はあるようです。兄弟姉妹の一人に症状が現れた場合は、あとの人もなるというケースが割と多く見られます。

化学物質過敏症の個人差が大きいというところは、アレルギーに似ているともいえます。例えばスギ花粉症も、ある人は花粉に苦しむけれど、別の人は症状がまったく現れない。アレルギーはアレルギー源に対して、患者だけがすぐ過敏に反応するわけです。

化学物質過敏症ではないかと思われる人を集めて調査するとアレルギー系の病気を持っている人が多くみられます。因果関係もよくわかっていませんが、お互いに関係が深いことは確かです。

実は環境ホルモンと同じかもしれない

化学物質過敏症の原因物質としては、殺虫剤、シロアリ駆除剤、除草剤など有機リン系や、有機塩素系物質が多く、それに続きホルムアルデヒド、トルエンなどの有機系溶剤がリストアップされていますが、化学物質同士が複合した可能性もあるといわれています。

しかし、そういう物質だけが問題かというと必ずしもそうではなく、たまたま人間がそれらに接触しやすいからだけなのかもしれません。例えばある物質は別のある物質の細胞リセプターにくっつくことによってはじめて作用する可能性もあります。もう少し研究を続けていくことができれば本当に危ないものかどうかがわかってくると思います。

化学物質過敏症の原因物質と考えられるものに、じつは環境ホルモン物質としてあげられている物質とかなり重なるものがあるようです。ppbとかpptといった微量単位も、環境ホルモンが健康問題を起こしてくる量と重なって見えます。こうしたことから、私はひょっとしたら環境ホルモンも化学物質過敏症も同じ問題かもしれないと、個人的に考えています。

今、環境ホルモンでいちばん話題になっているのは、性ホルモンの影響に関してです。例えば貝や魚、ワニの雄の雌化ということで調査が進んでいるわけですが、それはおそらく見た目ですぐ変化がわかるので、統計もとりやすいことから研究が進んだのでしょう。しかし、研究者もいっていますが、環境の中の汚染物質には性ホルモンに対してだけではなく、たとえば甲状腺ホルモンとか成長ホルモンなど、他のホルモンに働くような物もあるのではないか。ただし、そちらの方は性ホルモンのように見た目にわかりにくいために、事実が隠れているのかもしれません。ですから、ある種の化学物質が、免疫とかアレルギーのシステムに働いてそれを敏感にしているという可能性もあります。あるいは、どこかで何らかのスイッチが切り換えられた後、身体が持っている機能が働き、症状を出している可能性もあります。

それでなければ、あんなに微量の原因物質が身体に働きかけてくるというのは説明がつきません。もちろん環境ホルモンの方も化学物質過敏症の方も、まだ全部が全部、因果関係やメカニズムがはっきりしたわけではなく、いっそうの研究が必要です。

「トータルで考える」治療法

アレルギーがそうであるように、化学物質過敏症の治療は、薬を投与したり手術で切り取るという、一般の疾病と同じような考え方では治すことはできません。なぜなら、もちろん患者の体質的な要素もありますが、大部分は環境中にある物質が起因しているからです。そこで、私たちの対応も、患者の生活環境を変えるためのアドバイスが中心になり、「これがあやしい」という原因物質がわかれば、とりあえずはできるだけそれに接触しないようにということになります。また、直接の原因物質でなくても、それに似通ったような物質とか、総量として悪さをしている可能性もあるので他の化学物質をむやみやたらにさわったり吸い込んだりしないようにしてもらいます。

日本家屋の安全性が見直される

一方、同じような条件が整っていても身体の状態がよければ発症しないかもしれないし、仮に発症しても軽くすむ可能性があるわけです。そこで健康状態 をベストに保つことが大切です。アレルギー症の場合と同じように、化学物質過敏症は自律神経のバランスを崩していると起こりやすくなるのがわかっていま す。バランスのよい食事と、睡眠をきちんととり、適度な運動をして、精神的なストレスを避けることが大事です。「病は気から」というのは昔からいい慣わさ れてきたことですが、精神的にリラックスできているだけでもかなり違います。

今の時代に化学物質を身の回りからゼロにするというのは難しい ことです。これは専門家がいっていることですが、「トータルで考える」ということが必要でしょう。その人の持っている抵抗力というのは、樽の大きさに例え ることができます。その樽の中にどんどん悪いものが貯まっていって、それが溢れたら症状が出てくるわけです。そこで、症状が出た場合は身体の状態をよりよ い状態に持っていって樽の容量を大きくし、悪いものを減らせば見かけ上は治った形になるわけですから、何も完ぺきに化学物質を排除できなくても、できる範 囲内で少なくすればよいと考えることも必要です。

予防法にもこの考え方が適用できます。例えば家を新築した場合など、完成してすぐの入居は控えるようにするとよいでしょう。調査によれば三ヵ月も経過すれば、ホルムアルデヒドなど残留性の高い物質でもかなり少なくなるとされています。日本の経済事情などを考えれば、家を建てて三ヵ月も放置しておくなどといったことはなかなか難しいところがありますが、あらかじめそうした期間を加味しながら予定を立てていけば、かなり違った結果になることと思います。

もちろん家の建築にはなるべく化学物質を使わないように考えます。同じような製品でも、化学物質が少なく、自然素材中心の物をできるだけ使うことが大切です。接着剤を使って合板に壁紙を張るような物より、できるだけ日本の風土に合った昔ながらの土壁、板壁がよいとされています。前もって計画しておけば金銭的にもそれほど高くつかないはずです。ただし、自然の物さえ使えば大丈夫なのかというとそうでもなくて、自然の化学物質に対してもアレルギーを持つ人がいる場合があるので、それも気をつけなければなりません。

設計の段階では、換気のほうも考えておく必要があります。換気さえよければ悪い物質は割と早く出ていってしまうし、カビが生えないので無理に防腐剤の入った接着剤を使わなくてもすみます。床下も換気がよければシロアリは発生しにくいので駆除剤を散布しなくていいわけです。現代の家は高気密、高断熱になっていて、トイレ、風呂、台所には換気扇がついていても、居間、寝室の換気は忘れがちです。

寝室についての調査があって、大人が高気密、高断熱で寝ると二酸化炭素が寝る前の七倍くらいになっていることがわかりました。ぐっすり眠ったのに朝起きた時具合が悪いというのは、二酸化炭素のためかもしれません。部屋全体の換気を考えることは、化学物質だけの問題ではなく、健康を守る上で重要な要素です。

そうした意味では昔ながらの日本住宅は、きわめてよく考えられているといえるでしょう。床も高くて通気がいいし、壁そのものが湿度を吸収したり吐き出したりして室内の湿度を調整する作用をしている。また、ヒノキには、大部分の人が吸うとリラックスできるようなヒノキオールという物質が含まれているなど、天然木には別の優れた機能もある。まさに日本の家には、「生活の知恵」が凝縮されているわけです。

化学物質過敏症は、おぼろげながら輪郭は見えてきているけれど、まだその実態がつかめたわけではありません。まだ厚生省も病名としては認めていない段階で、存在そのものに反対する人たちもいます。ただし、そうした病気とみられる患者さんが来院される以上、病気の定義とか解釈という学問的な解決を待っていられないという現状があります。できる範囲内でいろいろ対処していこうと、私たちは走り出しているわけです。

こんな症状が化学物質過敏症

[症例1]

9月に来院した60歳前の主婦は、「暖房で気分が悪くなる」と訴えた。いったん具合が悪くなると、まわりのあらゆる臭いに対して過敏になってしまう。化粧水も、夫のタバコの臭いも、トイレの芳香剤も、お風呂の入浴剤も、どれもこれも気持ちが悪くなってしまうのである。

彼女の一家は、3月に新築した家に引っ越し、当初は何の問題もなかったが、秋に冷え込むようになり初めて暖房のスイッチを入れた途端に症状が発生するようになったという。しかし、他の家族にはまったくそうした症状は現れていない。

この家の暖房装置は、太陽熱を利用して温めた空気を床下に吹き込んで暖めるという仕組みだった。当然、これが原因ではないかということになり、設置した業者を呼んで二回も分解して調べたという。しかし、もちろん機械は新品であり、とくに問題はないという結果になった。

そこで今度は、室内の空気の分析を頼んだ。すると、シロアリ駆除剤が検出できたのである。スイッチを入れると同時に床下に撒いてあった駆除剤が、温かい空気とともに室内に巻き上がっているということがわかったのである。こうしたことから、主婦はシロアリ駆除剤による化学物質過敏症ではないかということになった。床をいったん外して床下の土を全部取り替えると、もう症状は出なくなった。

[症例2]

40歳代の主婦は、新築の部屋に入った時から目がチカチカするなどの症状を覚え、気分が悪くなった。時間の経過とともに接着剤などの特有のきつい臭いはだいぶ抜けてきたのだが、症状はいつまでも回復しない。夫や子供も入居当時は多少調子が悪いと訴えていたというが、症状は消えていた。

原因物質をいろいろ検討するうち、ホルムアルデヒドではないかという疑いが強くなる。そこで、皮膚科でアレルギー反応を調べる「パッチテスト」を受けてもらった。すると、このテストによりいっそう調子が悪くなってしまったという。
原因物質が特定できたことから、これを除去すると、症状は消えていった。


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