生と性を考える

思春期とどう向かい合うか

思春期の子どもが、
2度と中絶のようなことを繰り返さないようにするには、どうすればよいか…。
真摯な問いかけを続けてきた産婦人科医からのメッセージ。
妊娠中絶が多発するなど、思春期の少女たちの性行動が
大人たちを戸惑わせている。
神戸市の産婦人科クリニック院長である上田基医師は、
この度『思春期の性といのち』という書を上梓した。
この本を通じて、同医師に思春期の子どもを理解し、
それと向かい合うためのポイントを指摘してもらった。

プロフィール写真

上田基 (うえだ・もとい) 神戸・マムクリニック院長
1975年日本医科大学卒業。兵庫医科大学産科・婦人科に入局。83年より現職。著書に『十代の四季――産婦人科からみた思春期の性』、『思春期の性と命』のほか、監修に『これだけは知っておきたい性教育のQ&A』(いずれもミネルヴァ書房)などがある。


 
思春期がいつ頃なのかという解釈はいろいろありますが、大きくは七~八歳くらいから一八歳を思春期とする場合と、13歳~17歳くらいの中高校生の時期を 思春期とする場合とに分けられるようです。私の経験からいえば前者を初期、中期、後期と分ける考え方のほうが実情に適しているように思います。そこでこの 思春期に関して、私自身が医師としての立場から見て考えていることと、それについて周囲の人たちの、特に大人たちについて考えていることを述べていきたい と思います。

思春期は親以外の人との出合いの時

「あんた、そやけどこの間カバンの中に、コンドーム入ってたやないの。
あれは何やねん」
「お母ちゃん、そんな他人のカバンの中勝手に見んといて欲しいわ」
・・・・・中略・・・・・・・・
子どもは親の所有物ではない。一人の人間としての人格を少しずつ備えながら大きくなっていく。・・・・

『思春期の性といのち』より

思春期はいうまでもなく、少年期から成年期に至る時期なのですが、肉体的精神的に大きな変化を遂げる時期であり、大変不安定な時期といえます。私は産婦人科医という職業に就いているために、そうした様々な不安定な状態に出合うことが多くなりました。もちろん私のような立場でなくても、最近特に思春期の生命に関わる事件を見聞きすることが増えていると思います。「世の中が変わった」とか、「社会悪だ」と指摘する声がありますが、それはあくまでも評論家のいうことです。実際に私たちは日々の生活で直面することなのですから、簡単に評論をして済ませることはできません。
どうして思春期の問題が起きるかというと、肉体的にはほとんど成人かそれ以上の体力を持っているのに対して、精神的には他人の立場や自分の立場を考えるとか、今の自分の感情の状態を分析できないという未熟さによるものだと思います。
私の臨床でも、生命に関する思春期の子どもたちの問題は、やはり同じ背景から起こっていると考えられるわけです。

私の関わる思春期の問題は、性に関するものが中心です。ただ、これにも身体の発育や変化に対する無知から来るほほえましいものと、妊娠など生命に関わる深刻なものがあります。
私の病院では、ほとんど毎日新しい生命が誕生します。私はこの新しい子どもたちと新しい両親を見ていると、その家庭で何年か後、十何年か後に驚くような事件が起こるかもしれないなどと想像することはできません。それほど、生まれてくる子どもたちにとって、その両親は太陽であり、神でもあるのです。


また、新しい親たちにとって新しい子どもは、何物にも代えられない宝物なのです。ほとんど例外なく相思相愛の関係が存在します。
ところが、それから何年か月日を経るにつれて、少しずつズレが生じてくるわけです。子どもにとって両親は少なくとも神ではなくなってきます。保育園や幼稚 園や学校でいろいろな友達ができ、先輩や先生ができるので、親以外の人にどんどん関心が移っていきます。そうした子どもの進歩に、親たちは付いていけない ことが多くなってきます。
これは子どもの価値基準と親の価値基準がズレてくることだといえるでしょう。もちろんこれはある程度は仕方のないことだと思います。むしろ、一度思春期を 経験した人間と、これから経験する人間の差は、出てきて当然なのかもしれません。同じものを見て、同じものを聞いても、そこから受ける感情は当然人によっ て違いがあるのです。ただ、新生児期や幼児期のうちは、ほとんどが親から伝えられ、それを真似ることから学ぶということが始まるのですから、親との差がで きようがないともいえます。
これに対して、親とは違った大人と接したり、今まで遊んだことのない同世代の仲間との生活が始まれば、それは毎日毎日が新鮮な驚きの連続ということになり、どんどんとそちらにひかれていくでしょう。思春期になれば、もっと親の心から離れていくことになります。
私たちが思春期の子どもたちに、「最も相談できる人は誰か」と質問したところ、圧倒的多数の答えは「友人」でした。これも当然のことかもしれません。そうした中に、異性との出合いもあるわけです。

命を大切にし、人間としての行動を

「一番最初の妊娠は、できれば出産した方がいいんですがね」
ややあって娘は口を開いた。
「できれば私もそうしたいのですが、ところでここの保証人という欄は何でしょうか」
ハナから私の話を無視している。私は彼女の質問に答える。
「相手が未成年の場合、あなたも未成年ですし、成人の保証人が要るのですが」
「それは親でなければ、いけないのでしょうか」
「必ずしも、そうではありません」
「私は、できれば親には知らせたくないんです。できれば相手にも…」

『思春期の性といのち』より


私は思春期の子どもたちが妊娠をして、出産するか中絶してしまうかの選択の場に立ち会わなければならないことが少なくありません。人工中絶は暗い、陰惨な 破滅を感じさせます。その中で手術を受けた母親の身体のことを心配しなければなりません。その都度、「二度とこうしたことが起こらないように」と考えてき ました。そのために、できる限り望まれない妊娠、出産を予防したいと思い、私なりにいろいろな方法を考えてみたのです。
その一つは性教育です。思春期の子どもたちに性と生命についてしっかり知っておいて欲しいと考えてきました。けれども、なかなかうまくはいきません。「教 える」ということの難しさを感じているのが現状です。ただ、思春期の人たちに訴えたいのは、機会があれば自分がこの世に生まれた時のことを考えてもらいた いということです。その時、お父さんやお母さんはあなたをどんなに深く愛していたかを考えてもらいたいと思います。そして、たとえ表現方法は変わったとし ても、その愛は今も少しも変わっていないことを知って欲しいということです。

私たちは人間と他の動物の違いは、社会生物学の考え方では「文化を持っている」かどうかということです。すなわち人間の特徴は、①真似る、②学ぶ、③教える、④考えていることを実体化する(=記号化して物にすることができる)の四つです。九官鳥やオウムなどの動物はおしゃべりはしますが、これは真似るだけなのです。
私は、思春期という時期は、これら人間としての特徴を考えて、これを育てていく時期にしてもらいたいと思います。下等動物になるほど、ほとんど本能で動きます。私たちは人間である以上、いろいろな「より良い状態」で、生活していく方法を考えていく準備をしていってもらいたいと思います。自分の感情をコントロールできることや、他人の感情を認識できることも、下等動物ではない証なのです。

「いかに努力したか」が問われる大人たち

「『あなたはお金を稼げたかもしれないけど、あなたのとても大事な心と体が、少しずつ壊れていっているのがわからないの』と言いました。まずかったでしょうか」
「回答としては、本当にいい、と私は思います」
他の先生たちも同感だった。
「それで、恵美ちゃんは納得したんでしょうか」
「心と体が壊れていくことの意味がわからなかったようです。
『そんなん嘘や、体なんともないもん、コンドームしてもらってるから、他の性病も大丈夫やもん』と言いました」

『思春期の性といのち』より

社会的な大問題が起こる度に、思春期の子どもたちの問題がクローズアップされます。例えば、「教育が悪い」とか、「IQや偏差値でしか判断しない社会が悪い」とか、「生活の利便性や合理性ばかり追求する世の中が悪い」などと、もっともらしい意見が唱えられます。「おびただしい情報の中から、それを取捨選択する目が養われていない」とまでいわれます。このようにティーンエージャー、すなわち思春期の子どもたちがまな板の上にあげられるわけです。

思春期は非常に精神的、肉体的に不安定な時期であると申しましたが、不安定であるほど周りからの影響を受けやすいのです。幼児期には親という絶対のものが存在しますが、思春期にはこの信頼に足ると思っていたものが自分の中で少しずつ変化してきます。ですから、世の中の大波を直接に近い状態で受けることになるわけです。
例えば性教育も結局各家庭でどれだけ努力してみるかということなのではないかと思いますが、その努力はほとんどなされません。そして、そうした努力を怠っていることに対して、大人たちは他人に責任を転嫁するのがとても上手です。 
性教育に限らず思春期の子どもたちの問題は、育児や教育の中から出てくるものです。何かというと、「学校が悪い」、「いや、家庭が悪い」といった論議になりがちですが、両方悪いのです。そして、それらを作り上げ、動かしているのは大人たちなのです。

親も子どもとともに育っていく

あなた、何してるの。もう赤ちゃんができるというのに」
「もう嫌や、もう嫌や、こんな痛いの、もう嫌や」
彼女はしきりに首を振っている。三人で抱き上げて分娩台に乗せる。
「台から落っこちると、大怪我するわよ」
台の上で体を捻じる、のけ反る。とにかく大騒ぎ。本当に台から落ちそうだ。サイレンのような叫び声。一段と盛り上がったときに、ベビーが跳び出した。
二九〇〇グラムの女の子であった。
他の新米ママと同じように、ベビーを抱っ子させた。少女から八重歯の見える笑顔がこぼれた。
「先生、ごめんね。ありがとう。私、女の赤ちゃんが欲しかってん」

『思春期の性といのち』より


私は毎日分娩室で新しい生命が誕生する素晴らしい光景を目にします。新しい両親は誰も本当に優しい嬉しそうな表情を浮かべながら、両手で抱きながら 赤ん坊の素晴らしい弾力と暖かさを感じ、お地蔵さまのような顔を飽きずに眺めています。それから数年間の両親の真摯な育児努力には、ほとんど例外がありま せん。子どもにとって何がいちばんいい方法なのか、どの親も必死に模索します。それなのに、いつかは歯車がズレているのを感じることになるわけです。

結局、子どもが少しずつ大きくなっていく様に、親のほうも最初から立派な親などいないのです。私はよく育児は「育自」と書くのだと話します。生まれて一カ月の赤ちゃんを持つ親は、やはり「一カ月の親」でしかないのです。

動物とは違って、人間の場合は、他の生物から襲われることはありません。その代わり、いろいろな偽情報や環境自体の問題が子どもを襲います。親たちはそれらと闘い、子どもを守ろうとしながら育てていくのです。こうして子どもとともに親は育ち、やがて子どもは思春期を迎えるわけです。ところが、そこで今まで大切に守り育ててきた宝物が、少し変化して予想とは違う方向へ枝葉を伸ばし始めているということがあるかもしれません。 
大人になってくると、人は社会に向けての顔と、家庭の顔の両方を持つようになります。ある人は子どもを教える立場としての先生の顔を持っていることもあるでしょうし、またある人は私の様に治療や出産を担当するといったこともあるでしょうが、家庭に帰れば親になります。この時、親としてどんな顔を持てばいいのか戸惑うことが少なくありません。
そこで、育児=育自ということです。子育てには、「これが正しい」ということなどないと思います。教科書もありません。あえて断言します。いっぱい間違いをやればいいのだと思います。子育ての失敗はいくらでも取り返しがつきます。子どもはそれだけ柔軟だからです。
もちろん手抜きを勧めているわけではありません。自分のできる限りのことをしてみるということが大切です。育てる側が絶対間違いなく子供を愛しているという確信を持っているということと、子どもにはっきりそれが伝わっていることが大切なのです。

育児は「じっと信じて待つ」こと

「先生は子どもたちに生命の大切さを教えるのに何が一番いい方法だ、と思っておられますか」
「とても難しいようで本当は簡単なのかもしれません。先生御自身が思っていらっしゃる、生命の大切さをお話になれば、それで充分なのではないか、と思います」
「本当に、それで充分でしょうか。私たちがそのことを喋ったとしても、子どもたちはエエ格好言うて、と思ってしまうのではないか、と思うのです。私たちが喋っていることを建て前であって本音ではない、と考えられるのではないか、と不安なのですが……」
「とても、よくわかるような気がします。真面目なお話をすればするほど茶化されてしまうとか、ダサイと思われてしまうことがあるんでしょうね。けれども私は、やっぱり古いと言われようが、ダサイと言われようが、自分が本当にそう考えているなら、それを強調すべきだ、と思いますが」

『思春期の性といのち』より


私たち大人は、自分の子ども時代のことについて、何歳くらいからあとのことを覚えているでしょうか。なかには生まれてすぐのことも覚えているという人もいるかもしれませんが、一般には中学生の頃のことはよく覚えているというのが普通だと思います。
そこで、子どもと話をする時は、自分のその時代を思い出してもらいたいのです。時代が変わっても、環境が変化しても、同年代の子どもが考えたり思ったりす ることはそんなに差があるはずはありません。自分の思春期を思い出しながら、思春期の子どもたちと話し合うのは結構楽しいことだと思います。ましてや自分 の子どもが相手であればなおさらです。回答を出す必要はありませんが、少なくとも自分の思春期にあった楽しい思い出や苦い思い出について、一つや二つは話 すことができるはずです。
子どもたちが思春期に入る頃には、親たちも社会活動が忙しくなり、ゆっくりとコミュニケーションを保つ時間が少なくなります。私は努力して大人がその時間を作るべきだと思います。
その時、忘れてはならないのは、例えば相手が一四歳の子どもであれば、自分は「一四歳の親」であるということです。親はいま子どもたちが経験しようとしていることを、昔してきた先輩であってよいと思います。 
正解はないといいましたが、正解に近い子育ての環境ならあげることができます。それは、

1、両親ができる限り仲良くすること、そしてお互いに相手を尊敬していること、そしてそのことが子どもたちにわかること。 
2、「これが最も大切だ」と思うことを繰り返し子どもに伝えること。
3、「これは間違っている」と思うことは、はっきり叱ること。激怒しても感情的になってもよいが、必ずあとでフォローすること。
4、子どもを絶対に愛していることを本人に分からせること。

古いことはけっして恥ずかしいことではありません。古くとも正しいと感じたことは子どもにはっきり言うべきです。そして、育児はじっと信じて待つことです。 
例えば、親が「絶対これが大切だ」と思って子どもに伝えても、その考え方が変わってくることがあるでしょう。そうした時も新しく「大切だ」と思ったことを伝えればいいのだと思います。人間は変化してこそ人間であり、子どもは恐らく硬直した「主義」や「方便」を期待したり、聖人君子の親を望んでいるのではないはずです。
子どもから求められているのは、世界中でいちばん安心して帰って来られる場所だと思います。「思春期は難しい」と言われますが、何も難しいことではありません。難しくしているものは社会でも子供でもなく、親の心の中にこそあるのではないでしょうか。
私は子どもたちみんなに「生きていることは素晴らしい」と思えるような将来を進んで行ってもらいたいと願っています。


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