医を想う 先人達との交わりの中でー2

第2回 池見酉次郎先生のこと

post_238-s.jpg永田勝太郎

財)国際全人医療研究所 理事長。WHO(世界保健機関)心身医学・精神薬理学 教授。浜松医科大学付属病院心療内科科長、日本薬科大学統合医療教育センター教授・センター長を経て現職。受賞:「ヒポクラテス賞」「アルバート・シュバイツアー・グランド・ゴールドメダル」 「ビクトール・フランクル大賞」など

 心身症の診断と治療(診断と治療社)、痛み治療の人間学(朝日新聞出版)など多数

 

post_241-1.jpg池見酉次郎先生の略歴

池見酉次郎(1915〜1999)

 九州大学医学部名誉教授、日本心身医学会名誉理事長、国際心身医学会理事長、自律訓練法国際委員会名誉委員長、日本交流分析学会名誉理事長などを歴任。著書に「続心療内科」、「セルフコントロールの医学」などがある。ハンス・セリエ賞。

 

 福岡県糟屋郡粕屋町生まれ。旧制福岡中学、九州帝国大学医学部卒業。戦後、アメリカにおける心身医学の存在を知る。1952年にアメリカミネソタ州に留学し初めて心身医学を学ぶ。帰国後、日野原重明、三浦岱栄らと共に1960年日本心身医学会を設立し、初代理事長になる。翌1961年、九州大学に国内最初に設立された精神身体医学研究施設(現在の九大心療内科、九州大学大学院医学研究院心身医学に当たる)教授に就任し、内科疾患を中心に、心と体の相関関係に注目した診療方法を体系化、実用化し日本の心身医学、心療内科の基礎を築く。  晩年に至って、癌の自然退縮の研究や、全人的医療における心身医学の果たす役割の研究などを行う。

池見先生との出会い

  前回に書いたように、私は学生時代に池見酉次郎先生の名前を知りました。先生の名著「心療内科」「続・心療内科」(ともに中公新書)を貪るように読み、その感想を手紙にして送ると、さっそく先生からの返事が来ました。    「九大に見学にいらっしゃい」と書いてあります。会って下さると言うのです。  しかし、当時の私は貧乏学生であり、博多まで出かける旅費の工面がつきませんでした。この間、池見先生と何回かの手紙のやり取りをさせていただき。卒業して、国家試験が終わると池見先生のいる博多に向かいました。ところが私にはさまざまな事情があり、すでに千葉大での研修が決まっていました。このことはすでに池見先生にお知らせしてありましたが、本当に会って下さるか不安でした。    医局会で医員達を前にして池見先生は、「永田君はこの度、ストレートに九大には来られませんが、研修後、必ず心療内科をやる人です」と紹介して下さった。その言葉を胸に秘めながら、その3年後、千葉大と千葉労災病院での研修を終え、私は小倉へと向かいました。当時、先生は定年をむかえられ、九大から北九州市立小倉病院の院長として勤務されていました。それから丸5年の間、先生のもとでの心療内科研修が始まりました。  今、当時を振り返って思うことは、先生の下で心療内科、一般内科、糖尿病内科、がんセンター内科の医師として働きながら、心療内科と漢方の関わりや自律神経学の導入、血行動態学などなどいろいろ学ばせていただいたことは私にとって大変密度の濃い時間だったと思います。  そして、5年後、先生が自ら敷いた院長定年制度により、病院を退職したのを機に、私も退職し、東京でのやり甲斐を求めたのです。

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池見酉次郎先生の言葉

 私が先生のもとから巣立って、早くも3分の1世紀以上が経ち、先生もすでに鬼籍に入られました。  今、先生から頂いたさまざまな言葉を反芻してみると、その言葉の重要さがさらに身に染みてくるのが分かる歳になったようです。そして先生から学んだ「医言」をさらに若き医学徒に伝えてゆきたい、遺訓としてできるだけ先生の「生の言葉」で記してみたいと思うようになりました。

【身心一如から全人的医療モデルへ】

「モデルのないところに科学は育たない」 「心身一如」という表現と「身心一如」という表現がありますが、先生は、好んで後者を使ました。「身心一如」は、池見先生の基本的な心身医学モデルとなっています。  晩年、先生は心身医学を全人的医療へと転換しなくてはならないと考えられ、身心一如(池見モデル)から身体・心理・社会モデル(Day SBモデル)へと転換されました。  ニューヨーク大学のデイ(Day SB)により創設された身体・心理・社会(biopsychosocial)な全人的健康モデル(health model)は、ロチェスター大学のエンゲル(Engel GL)により、全人的な医療モデル(medical model)へと転換されましたが、池見先生はそれでは不十分と考え、身体・心理・社会・倫理(biopsychosocial-ethical)モデルを提唱した。ここで言う倫理(ethical)はサイコエコロジカル(psychoecological)なニュアンスを持ち、地球市民としてのグローバルな生命倫理を意味するのではなく、地球環境の中で生かされて生きているといった個別的な生命倫理を意味するが、理解しづらく、残念ながら一般には普及しませんでした。  晩年、池見先生は私たちとの議論の末、身体・心理・社会・実存モデルbiopsychosocial-existential model)と表現を変えましたが、それはロゴセラピー(実存分析)の創出者フランクルとの出会い(1993年)により、より積極的に人間の実存性を認めるようになったからでしょう。  心身症の発症機転として、アメリカの精神分析家シフネウス(Sifneous PE)は失体感症を指摘しましたが、池見先生は、失感情症とさらに晩年、失意味症を加えられました。また、交流分析にも、Sの概念(self)を提唱されましたが、こうした先生の実存性への気づきはフランクルとの出会いがきっかけでもあった。

【治療の場ー治療の本質】

  AT(自律訓練法)やTA(交流分析)、瞑想、絶食、カウンセリングなど、心身医学的治療法には非薬物療法が多々あります。 ある時、私は絶食療法に失敗しました。カンファレンスで私は失敗を池見先生に包み隠さず報告すると、それを黙って聴いていた先生は、後で私を個人的に呼び「永田君、あの患者の件だが・・・、君は絶食さえすればよくなると思ったのかい。それはとんでもない間違いだよ。・・・、いいかい、治療の根本は、絶食という『場』を用いて治療者が、そこにどうアプローチするかが問題なんだ。ATや交流分析、瞑想、絶食、カウンセリングなど、心身医学的治療法はすべてその「場」を提供することにある。その場で、治療者がどのようにアプローチするかが大事なんだ。それを理解しない治療者が多すぎる」と激しく叱責された。>  治療の中心はあくまでも治療者と患者の「場」の中にあり、治療者と患者がともに気づきを得てその気づきを共有することにある(intrapersonal communicationへの気づきを促すような人間関係の構築) 。  そのためには、Doctor as a medicine(医師という治療薬、Balint M(英国のプライマリケアに初めて全人的医療を導入した先駆者)の薬理作用(治療的自我)を知り、さらに副作用を知ることが何にも増して大事であることを教えてくださった。  「医師という治療薬の効果を最大にし、副作用を最小にするためには、誰が誰にどんな関係で治療するのかが問題だ」とよく言われた。さらに、「医療の基本は何をするかではなく、まず、患者のそばに居ることだ」(信頼関係・相互主体的関係) と言い、「doingよりbeing」(何かをするよりそばにいる、寄り添うこと)であると指摘されました。

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【治療馬鹿に陥ってはならない】

 心療内科の治療の現場は、患者と医師(治療者)が1対1で対峙することが多い。そこに、人間関係が生じます。すなわち、転移関係、逆転移関係です。精神分析ではそうした関係を積極的に利用して治療に導入しますが、それがかえって治療者への落とし穴になることがあります。治療者が治療にのめり込み過ぎて、治療者が自ら治療を困難にしてしまうことです。また、患者のなかには意識的に、また無意識的にそうした治療関係を望む人もいます。 治療者はプロフェッショナルでなくてはならず、患者との相互主体的な関係(互いに人間として尊敬できるような関係)を創りつつも、そこに間(ま)を置くことが大切です。冷静に治療関係を観ることができなくてはならないからです。治療にのめり込み過ぎ、自己を見失っては、患者も治療者も混乱に陥ります。こうした混乱に陥った治療者を先生は、「治療馬鹿」になっていると言われました。

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ハンス・セリエ賞授賞式 ポール・ロッシュ博士と
私は時に、治療馬鹿に陥りました。患者の陽性転移につきあってしまい、逆転移を創ってしまう。入れ込んでしまう。こうなると、治療結果はは良くなりません。  私は積極的に自らの失敗例をカンファランスで報告しました。池見先生から叱られることを覚悟の上で。しかし、失敗が治療者を成長させます。治療馬鹿になっ ている時には自分が見えません。それを先生から指摘されると冷静になり、自分の弱点がよくわかります。何度、反省したことか。これこそが医療における教育 分析であり、今、感謝の念に堪えません。

 

【失敗例を大切にしなさい】

  「成功例はそれでよい。肝心なのは失敗例だ。なぜ失敗したのかを十分考察するところに新しい展開が図れる。失敗例を恐れず、大切にしなさい。」  私は学生時代から、自分のライフワークは「痛み」と決めていました。慢性疼痛研究会(後に、日本慢性疼痛学会)、痛みと漢方シンポジウム(後に疼痛漢方研究会)、難治性疼痛ワークショップ(後にこころと身体の痛みの研究会、さらに日本疼痛心身医学会)などを、主に失敗例を討論する会として発足させたのは、池見先生の教えがあったからこそです。  また、各地にバリントグループを創りましたが、そこでの症例検討も失敗例が中心でした。バリント方式のグループワークの神髄はこのことにあります。

【症例報告を大切に】

  近年、医学界ではエビデンスがもてはやされる傾向にあります。二重盲験試験など、大規模な臨床試験が行われます。しかし、個々の患者にとって大切なのは、そうした科学の成果をいかに自己に活かすかということです。 武見太郎前日本医師会会長は、晩年、個別性の医療ということを盛んに強調されました。癌に侵された武見先生が最期に力を注いだ漢方方剤の保健収載は、個別性の医療の具現化のためです。武見先生は、普遍性の医療(EBM)と個別性の医療(NBM)の並立を考えていました。  ちなみに、池見先生と武見先生は互いに尊敬しあっていました。それは、共通した医療哲学を有していたからにほかならないと思います。  「大規模試験も大切だが、症例報告はいくつになってもやりなさい。ニュートンが万有引力の法則を発見したのは、1000個のリンゴのうち、何個落ちたかで発見したのではない。たった1個のリンゴの落ちるのに気づき、そこから、偉大な法則を見つけている。一つの症例を丁寧に見て、それを十分考察することが大切だ。臨床医学とはそういう学問だ。いくつになっても症例報告を忘れてはいけない」  先生は最期まで臨床を大切にされました。個々の患者を丁寧に診ることを忘れませんでした。私たちもその姿勢を貫いてゆきたいと思います。

【セルフとは】

  「セルフコントロールとセルフケアは異なる」 セルフとは「おのれ」であり、実存性を踏まえた人間の個としての全存在を指し、「コントロール」は人間個々の自律性の発動(自己責任による自己決定)を意味します。  「おのれこそ、おのれの寄る辺(よるべ)、おのれを()きて(たれ)に寄るベぞ。よく整えしおのれにこそまこと得難き寄るベをぞ得ん。」(法句経16番、友松円諦訳、法句経講義、岩波書店)

 この言葉は、先生のもっともお好きな言葉でした。ここに、セルフコントロールの根源があります。 「永田君、このおのれを支えるものが意味、すなわち、実存なんだよ。実存的転換なしに癌の自然退縮などあり得ないよ。」 おのれ(セルフ)の背後に実存があり、「今、ここで生きている」人間の全存在があることを教えてくれた言葉です。  実は、この言葉が先生の座右の銘であることを後になって知って私は内心驚きました。私は高校時代から下宿生活をしていましたが、高校2年生の頃、アイデンティティ・クライシスに陥り、悶々と苦しんでいた時、友人の母親が私に友松円諦先生の書かれた「法句経講義」を貸してくれました。それは古い活字のぼろぼろの本でした。それを私は貪るように読みふけり、特にこの16番は心に残り暗唱していました。先生と私の共通点を見出し、ひそかに嬉しく感じたのをよく覚えています。

(次回、ビクトール・フランク博士)

 

 


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