介護サービス利用者のための ガイダンス - 9

要介護度は適切な段階での認定を

いよいよスタートする介護保険。
さまざまの問題を抱えながらの実施を同時進行で取り上げていきます。
介護保険は、みなさん一人ひとりのものです。
あきらめないで、使い勝手のよい制度にすることを一緒に考えていきたいものです。

中村聡樹 (医療介護ジャーナリスト)

数値からは見えない本当の悩み

大阪の千里ニュータウン内に2001年末できた特別養護老人ホーム「アリス千里」介護保険制度は、2000年4月の施行から丸2年がたとうとしています。この間、保険制度の問題点に関して多くの批判が噴出しましたが、振り返って見ると、本質の部分に言及した意見は少なかったように思います。
利 用者の日頃感じている制度の矛盾点について、その解決方法を考えるような議論は行われていません。たとえば、介護保険を利用するために必要な要介護度認定 の仕組みに関して、問題を指摘する人は多くいます。しかし、そのほとんどが、認定の基準の曖昧さを指摘するもので、要介護度認定がもたらしている現実に目 を向けたものではありません。
在宅ケアを支える診療所ネットワークの世話人でもある医師の太田秀樹さんは、「はじめに要介護度の決定があって、それにしたがってケアプランが作成されているのだから、サービスに過不足が生じるのはあたり前です」と、語っています。

つまり、介護サービスの利用を求めている高齢者は、要介護度という判定数値には現れない部分に本当の悩みをかかえているというのです。要介護度は、認定を受けた人の身体的な障害を判定しているに過ぎません。実際に介護サービスを利用する段階では、その人がどのような環境で介護を受けているのか、家族のサポートはどのくらい期待できるのか、あるいは、本人に痴呆などの問題が発生していないかなど、さまざまな条件を加味して考える必要があります。
しかし、現状では、はじめに要介護度ありきがまかり通って、介護度によって棲み分けされたサービスの提供が実施されています。介護保険が、在宅での介護を支援するべきものであるはずが、結果的に施設への入所へと誘導する仕組みになってしまっているというのが、この2年間でより顕著になった状況といえるでしょう。
介護保険の本質的な問題点を議論するのであれば、要介護度の認定制度そのものがどの段階で必要なのかを、真っ先に考える必要性があると思います。
海外の事例をひもとくと、オーストラリアなどでは、まず介護の手をさしのべる必要があるのか否かを最初に判断しています。はじめから、難しい基準で、いくつもの質問を投げかけるような調査は行いません。ホームドクターの診断をもとに、介護の必要性を判断する専門家が数人でチームを作って、議論を行い、判断を下します。
介護が必要となったら、その段階でどの程度の介護が必要なのかを認定し、個々のレベルに見合った介護サービスの提供が受けられるようになります。この方法ならば、要介護度に振り回されるようなサービスの提供は起こらないのです。日本の介護保険は、プロセスの段階で、どこかボタンを掛け違えてしまったような気がして仕方ありません。

真のニーズを抽出するには

利用者にも、介護保険制度の仕組みが複雑であることからいくつかの弊害が生まれています。
京都府で、介護用品の相談を受けている浜田きよ子さんは、「介護保険のことを知らない人が、依然として多数いらっしゃると思います。制度そのものの存在は知っていても手続きが面倒で、利用のチャンスを失っているようですね。介護用品を介護保険で購入できることを聞いて驚かれるケースも少なくないんですよ」と、実情を語っています。
介護保険では、介護用ベッド、ポータブルトイレ、浴室用の洗い椅子など特定福祉用具の購入が認められています。10万円するベッドを購入した場合、自己負担が1割の1万円ですむのですから、利用しない手はないのです。しかし、介護保険の手続きは、先ほどから説明している要介護度認定を受けなければならないなど、何かと面倒な印象が強く、実際の利用を避ける人がかなりの数に上っているのです。
せっかく介護に関する様々な問題を、保険でカバーできる制度が生まれたのに、手続きの複雑さが原因で利用が進んでいないとすれば、非常に残念なことだと思います。介護という深刻な問題に直面しながら、なぜか、介護保険から逃れようとする。これでは、介護保険そのものが厄介者のような印象すら受けかねません。
「介護保険が始まって2年という月日は過ぎましたが、結果的には、はじめのころと何も変わっていない。依然として、制度の啓蒙活動に力を入れなければ問題解決が図られない。堂々巡りを繰り返しているような気分になります」と浜田さん。
さらに、介護を受ける本人ではなく、まわりの家族の判断が優先的にまかり通るような状況も生まれています。

アリス千里の内部。高齢化が進む千里ニュータウンでは、入所待ちの高齢者がかなりいた埼玉県のあるケアマネジャーの話によると、週に3回の入浴サービスの利用を望む高齢者がいても、家族が1回で十分と判断すると、その考え方が優先されてし まう。逆に、入浴を望まない高齢者がいれば、やはりその通りにケアプランは作成されてしまうといった状況が生まれているそうです。
こうしたケースが起こる最大の問題点は、ケアマネジャーの力不足が原因なのですが、要介護度がサービス提供の基準となり、1人ひとりの介護の必要性を冷静に見極める目を誰も持っていないことが悲劇を生んでいると考えられます。
家 族の側にすれば、できるだけ介護にかかる出費を節約したいという考え方があっても仕方がありません。高齢者のなかにも、他人の世話になるくらいなら風呂に 入りたくないと考える方もいるでしょう。しかし、在宅での暮らしを考えた場合、適度な入浴は疾病予防のためにも必要です。
ところが、その判断をしっかりとできる人が現場にはいません。結果的に、要介護度によって適当と判断される入浴回数に落ち着いてしまう。真のニーズを抽出することができないままに、この2年間が過ぎ去ってしまったように思えるのです。

老人ホームにも介護保険のゆがんだ現象

アリス千里の内部。施設介護の重要性は高まるのだが・・・昨年の末に、大阪の千里ニュータウン内に初めての特別養護老人ホーム「アリス千里」がオープンしました。
ニュータウンのオープンから40年。「新しい街」は、すでに高齢化の進んだオールドタウンへと変貌を遂げています。オープンの段階で、入所待ちの高齢者がかなりいる状況で、施設介護のニーズがいかに高いかを物語っています。
オープン前に、施設を見学することができました。スタッフ研修の真っ最中で、福祉の専門学校などを卒業したばかりの若い人たちが、にぎやかに実習を行っていました。こうした、若者の姿を目のあたりにすると、高齢者介護の将来にも希望がわいてきます。
しかし、施設介護の重要度が高まることは、在宅での介護が継続性のないものである現実を浮き彫りにしているようにも感じられます。

「在宅介護の充実によって、高齢者が最期まで住み慣れた環境で暮らすことができる」という介護保険の理想は、すでに過去のものになってしまったのでしょうか。
特別養護老人ホームや老人保健施設の入所者の状況を調べてみると、またひとつ、介護保険のゆがんだ現象にぶつかりました。
オープンと同時に順番待ちの列ができる。施設の数がまだまだ足りないことの証ですが、それ以上に、入所者の選別が適正に行われていない問題点も内在しています。
施設の運営者の多くは、「本当に施設での介護が必要な人の入所を優先したい」という思いを語ってくれますが、実際には、そのとおりにはなっていません。
入所の必要な人は、要介護度が高ければ高いほど切迫した状況に追い込まれています。しかし、介護保険制度から施設に支払われる費用を考えると、要介護度が高い人ほど高額になります。つまり、要介護度の高い利用者ばかりを集めれば、施設の収入は増えるわけです。経営が安定するといった方がわかりやすいかもしれません。

アリス千里の内部。本当に施設での介護が必要な人に入所を優先すべきなのだが・・・

ところが、施設入所のニーズが高い人ばかりを入所させると、経営重視の施設だとレッテルを貼られてしまう。こうなると、施設の評判を左右しかねない わけで、結果的には、入所者の要介護度の分散を図ることになります。要介護度が低い高齢者にも公平な機会を与えることが必要になってきました。
もちろん、要介護度が低くても身よりのない人や痴呆症の場合など、施設での暮らしが必要な人もいます。話が複雑になってしまいましたが、要介護度という基準に縛られなければならないという弊害が、施設の運営にものしかかっているように思います。
はじめに要介護度認定ありきの介護保険制度が、いかに介護の現場に閉塞感をもたらしているのか。ここまで述べてきた状況から、その一端をかいま見ることができたのではないでしょうか。
現行の介護保険制度が、高齢者の自立支援とはほど遠い状況に追い込まれているような気がします。使い勝手の悪い商品をいつまでも我慢して使う必要はありません。介護保険をいかに使いやすくするかは、やはり利用者の意識改革からスタートするのではないでしょうか。
「制度の欠陥を行政の責任にしておくだけでは何も変わりません。制度を利用する市民が声を出さなければ」と、太田さんは指摘しています。
2年前、介護保険制度が始まるときに、「とにかく使ってみましょう」と書きました。そして、同じことを、再びお話しなければなりません。
「介護保険を使ってください。そして、疑問点、不便なところをケアマネジャーに話してください」
彼等の対応は、確実に進歩しているはずです。現場から考える。これしか、問題解決の方法はないというのが、今の結論です。 


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