スピリチュアルケアって何?

スピリチュアルケアって何?

重大な病に罹ったとき、あるいは自らの死期を悟ったとき、人は身体的な苦痛や精神的な苦痛を超えた苦痛を覚える。
その経験のない苦痛を緩和するのがスピリチュアルケアである。
具体的には、それはいかなるケアなのか、ネットで探った。

吉村克己(ルポライター)

キリスト教社会に根ざす

スピリチュアルとは、一般的には「霊的な」「精神的な」という意味と解釈される、現在では心理学や宗教から音楽、ヒーリング、心霊現象関連まで幅広く使われている。しかし、ここで言うスピリチュアルは不可思議な現象ではなく、人の心を指す。

重病を抱えた人、自らの死期を目前にした人たちは身体的な苦痛や心の苦痛を超えた苦痛に苛まれる。それはそれまでに経験のない痛みである。そうした痛みに対応し、緩和するのがスピリチュアルケアである。

その定義は何か。臨床パストラル教育研究センターのサイトを見ると、わかりやすくまとめられている。同センターはカトリック系の病院や施設が中心となり、一九九八年に設立された組織であり、スピリチュアルケアの日本における普及と、それに携わる人の養成を目的としている。

同センターのサイトでは、スピリチュアルケアについてこう述べている。「霊的(スピリチュアル)苦痛とは、霊(魂、心)が求める欲求(ニーズ)が満たされない時に痛みが発生しその痛みが『叫び』によって表現されます。その叫びに応対する(ケアする)のが霊的ケア(スピリチュアルケア)です」

そして、霊的ニーズには「哲学的ニーズ」と「宗教的ニーズ」があると分類している。

前者は生死や仕事、楽しみ、孤独など人生の意義や意味。後者は神や死後の世界、祈り、希望、罪悪感などであると書かれている。

キリスト教社会においては、もともと「パストラルケア」という呼び方で、霊的ケア、宗教的ケアに対応してきた歴史があり、欧米などの大半の医療施設ではパストラルケア専門のスタッフを抱えている。

がんをはじめ重大な病に罹ったとき、パストラルケアの専門家が患者だけでなく家族のケアを行ってサポートするため、がん告知なども可能なのだ。

手薄い心のケア

キリスト教になじみの薄い日本では宗教的ニーズと言われてもピンと来ないが、医療施設などで心をケアする必要性は強く感じるだろう。

日本ではこれまで身体的な治療行為に重点が置かれ、心のケアにはほとんど目を向けられなかった。ましてスピリチュアルケア実践の人材はほとんど不在だ。

臨床パストラル教育研究センターではスピリチュアルケアに従事する人材を養成するために、臨床パストラルケア・ワーカー資格認定や臨床パストラル・カウンセラー資格認定の制度を作り、研修も行っている。研修会の参加実績を見ると、やはりキリスト教系の病院が多く、もっと一般の医療者にも参加が広がるよう求めたい。

同センター所長であり、設立のきっかけを作ったワルデマール・キッペス師は自身のブログでこう述べている。

「現在、スピリチュアルケアワーカーは国に認定されていない。例外は別として医療スタッフの構成メンバーでもない。従って、スピリチュアルケアはボランティアとして出発するしかないのがほとんどの状態であるが、と同時にチャンスのときでもある。まず日常において周囲の心と魂の叫びに耳を傾け、それに応えようとすれば、スピリチュアルケアへの理解、重要性、必要性に強い影響力を与え、広がりにつながるだろう」

スピリチュアルケアを医療の一環として認めた場合、診療報酬の点数をどうするのか。病院へスタッフの配置を義務化するのかなど、今後議論となるだろうが、患者や家族の心と魂の叫びに耳を傾けるような医療・病院の在り方が、いま求められていることだけは確かだ。

それは医療改革にもつながる。医療費抑制だけにとらわれない根本的な改革議論が望まれる。

宗教アレルギーの日本

日本の仏教界においてもスピリチュアルケアへの関心は高い。

仏教では終末期の看取りや苦痛緩和の支援活動を「ビハーラ」と呼び、各地の病院でビハーラ運動を展開し、患者の支援を行っている。

真言宗の高野山大学では2006年にスピリチュアルケア学科を開設した。(2010年度から密教学科と統合予定)

この高野山大学が事務局となって、2007年9月には日本スピリチュアルケア学会が設立された。

聖路加国際病院理事長・名誉院長の日野原重明氏を理事長に、医療関係者、キリスト教、仏教関係者が集まった。

医療と宗教界が同じ場で議論することは評価されるべきだが、スピリチュアルケアにおいて、あまり宗教色が強まると患者にとっては抵抗感が生じるかもしれない。

スピリチュアルケアという言葉と概念が普及したのは世界保健機関(WHO)が終末期医療の緩和ケアにおいて、「スピリチュアルな側面を認識し、重視すべきである」と提唱されたことに始まる。

この経緯やスピリチュアルケアの基本的なことについては、スピリチュアルケア研究会(http://www. geocities.jp/spiritual_care/)の「スピリチュアリティとスピリチュアルケア」というコーナーにある「スリチュアルケアの重要性に関する一考察」(石田潔氏)に詳しく書かれている。

石田氏は函館市社会福祉協議会・地域福祉部地域福祉課主事だが、この論文の中で、「スピリチュアルな痛みの側面は、極めて哲学や宗教色の濃いカテゴリーである」と述べ、日本においてはマスコミ報道などによる宗教のネガティブなイメージから、強い宗教アレルギーが生まれ、スピリチュアルな次元を意識する精神的土壌が成熟していないと分析する。

そのため、「スピリチュアリティ(霊性・霊的なこと)という概念は受け入れられ難い状況にあるのではないか」と結論している。

世界的にはスピリチュアルケアという言葉で統一されているが、日本においてはまずその入口として「霊的ケア」とか「魂のケア」という名称で普及を図るべきなのかもしれない。

痛みに接近する

患者の苦痛を緩和し、QOL(生活の質)の向上を目指す緩和医療においても、スピリチュアルケアは本来、重要な考え方だ。

日本緩和医療学会でも、さまざまな場でスピリチュアルケアに関する議論が行われている。

例えば、2008年7月に開催された第13回日本緩和医療学会学術大会の発表データをサイトから閲覧できるが、その大会でスピリチュアルペインに関するシンポジウムが行われた。

発表データのひとつに、終末期ガン患者のスピリチュアルペインを緩和するために、「短期回想法」を開発したことが聖マリア学院大学看護学部の安藤満代教授によって報告されている。

これは、自分の過去を回想し、簡単な自分史を作成、それを見ながら患者がセラピストと話し合うもので、一定の効果があったという。

人が最期を迎えるとき、自分の一生を振り返って、「よく生きた」と思えるかどうかは、まさにスピリチュアルケアに関わってくる。

人生においてどのような成果があったかではなく、自分の生き方を肯定的に受け入れることができたときに、人は平穏を得るのではないだろうか。最期の時を迎えるホスピスにおいてこそ、こうした平穏の境地に至るサポートがほしい。

広島ホスピスケアをすすめる会のサイトに掲載されている会報には「霊的な痛みとハープによる祈りとして音楽」という投稿があり、こんな言葉が載っている。

「痛みから遠ざかったり、痛みを消し去ってしまおうと闘いを挑むのではなく、むしろ、痛みに接近し、まさに“魂の発信する叫び(メッセージ)”に周波数を合わせ、聴き受け止めようとする姿勢・あり方、非常に忍耐のいることですが、ここに、スピリチュアルペインのケアのポイントが凝縮されているように思います」

この言葉こそスピリチュアルケアの本質を言い当てている。痛みを消すのではなく、痛みに接近するには、全人格を持ってぶつかるしかない。

スピリチュアルケアは医療や福祉分野だけの話ではなく、私たちが社会の問題としてとらえない限り、普及は難しいだろう。

 

 

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