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        <title>LIFENCE（ライフエンス）</title>
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        <description>生命・生存・健康をトータルに考える総合医療情報サイト。医療の世界で活躍するキーマンへのインタビュー、海外レポート、健康関連情報など。</description>
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            <title>払沢の滝（東京都西多摩郡檜原村）</title>

<description><![CDATA[&nbsp;若葉繁る払沢（ほっさわ）の滝は西多摩の山深い里、檜原村にある。滝に辿り着くまでに、幾重にも重なった若葉から春も深い香が発せられていた。もうここには初々しい春の香はいなく、木々が初夏を呼び込もうとするエネルギッシュな香だ。岩肌から流れ落ちる水の音がドサ、ドサと力強く音を立てて腹に響く。網膜が緑色に染まってしまったのだろうか？水のしぶきまでもが緑色に映えて来る。&nbsp;]]></description>

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            <pubDate>Wed, 16 May 2012 20:34:54 +0900</pubDate>
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            <title>上堰潟公園（新潟県新潟市西蒲区松野尾）</title>

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春爛漫  &nbsp; &nbsp;&nbsp;雪国の凍てつきも去り、春が巡ってきた。  &nbsp; &nbsp;水辺を取り巻く菜の花が何処までも続くかのように、一斉に咲きほこっている。  &nbsp; &nbsp;水面も温くなっているのだろう、遠くで釣り人がのんびりと糸を垂れている。  　桜も満開だ。  　角田山から吹き降りる風は新緑の香りを運んできて、黄色と淡紅色の花びらを微かに揺らす。&nbsp; &nbsp; &nbsp;春爛漫だ。]]></description>

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            <pubDate>Fri, 13 Apr 2012 08:53:11 +0900</pubDate>
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            <title>中医学とメンタルケア／中医診療日誌-２７</title>

<description><![CDATA[在宅医療と伝統医学　第５回【認知症中等度～重度の経過と東洋医学的対応】 前回に引き続いてアルツハイマー病の症例です。抑肝散加陳皮半夏(よっかんさんかちんぴはんげ)の処方により周辺症状が大きく改善していたDさん（61歳男性）ですが、中心症状は進行するばかりで、排泄の問題も深刻になってきました。この時期に「本人の意志」を考えて、東洋医学的ケアを中心にした穏やかな終末を選択した家族の姿をお伝えします。  北田志郎（きただしろう） 1991年東北大学医学部卒業。 その後，東京都立豊島病院臨床研修医（内科系・東洋医学専攻）を経て、 1993年東京都立広尾病院神経科  1995年東芝林間病院神経科 1997年精神医学研究所附属東京武蔵野病院  2000年天津市立中医薬研究院附属医院脾胃科に留学、その後、後藤学園附属クリニック医師として勤務  2003年より千葉県で地域医療を特徴としているあおぞら診療所で勤務。最近はとくに精神医学・中医学と地域医療と関連する研究に力を入れている。帰国した残留孤児達の心身の健康をサポートするボランティア活動などにも、積極的に携わる。      八味地黄丸で夜間頻尿を改善     認知症末期に嚥下障害は必発     嚥下障害に対する三つの治療選択肢     「できるだけ自然のままで」という選択  八味地黄丸で夜間頻尿を改善 　Dさんがアルツハイマー病の診断を受けて2年、私たちが訪問診療による介入を開始して半年経っていました。抑肝散加陳皮半夏の効果もあって、Dさんの情緒は安定し、ご家族はようやく落ち着きを取り戻して穏やかな毎日を過ごすことができるようになっていたようです。精神安定剤をさらに減らすことができるようになりました。 &nbsp;さらに1年ほど経つと、Dさん一家は新しく猫を飼い始めました。Dさんもとても可愛がり、心をなごませることができていたようです。  &nbsp;ところが同じ頃、Dさんは訪ねて来た妹さんのことがわからなくなっていました。認知症の主要症状の１つである見当識障害です。 &nbsp;見当識とは人間が他者と関わる日常生活に必要な基本的認識機能のことです。認知症においては時間&rarr;場所&rarr;人の順に見当識が失われていくとされています。よく知っているはずの人を認識できないのは、すでに認知症として中等度の段階に入ったことを示唆しています。家庭生活に様々な障害が出る段階です。 &nbsp;その後1年の間にDさんは箸は使えてもおかずを選ぶことができなくなりました。家族がごはんの上にのせてあげることではじめて食べることができるという具合です。まだ服を着替えることは自分でできるものの、お風呂では石鹸をつけたタオルを渡さないと身体を洗うこともできなくなりました。 &nbsp;ことのほかご家族を困らせたのは、排泄の問題です。尿意はあるようでしたが、トイレの場所がわからなくなり、間に合わずに漏らしてしまうことが出てきたのです。日中はご家族がもじもじしているご本人の様子を見て取り、タイミングよくトイレに連れていくことで対応できるようになりましたが、夜間はどうにもなりません。夫人や娘さんが気配を察して目を覚ました時には、すでに寝巻きだけでなく布団ごとビショビショになっているのです。ご家族はDさんに夜間だけオムツを着けてもらうようにしましたが、尿があまりに大量なためオムツから漏れてしまいます。それが一晩に何回も繰り返されるのです。&nbsp;    &nbsp;私はこの時点で抑肝散加陳皮半夏に加え、もう一剤漢方薬を追加することを決めました。 自分から進んでお薬を飲むわけではない方に2種類の漢方を処方することはできるだけ避けたいところですが、やむをえません。選択したのは八味地黄丸料エキスという処方です。認知症の中核症状は伝統医学的には「腎の衰え」と考えられていますが、八味地黄丸は、この腎の不足を補う基本方剤です。 &nbsp;八味地黄丸の効果が現れたのか、飲み始めてほどなく、夜間尿の回数が減ってきました。回数をゼロにすることはできませんでしたが、尿のことが気になってほとんど眠れなくなっていた夫人にとっては、多少は安心できる成果です。一方、ご家族は防水のシーツをあつらえるとともに、排尿時間を見越して夜間もトイレに誘導することができるようにもなりました。 TOP 認知症末期に嚥下障害は必発 　八味地黄丸の作用は限られたものでした。さらに1年が経過する頃には、Dさんは尿意でもじもじする反応もなく、「気がつくと失禁している」という状態となっていました。もはや自転車の乗り方も忘れ、外出することもほとんどありません。こうした活動性や自発性の低下に対し、認知症の治療薬&quot;塩酸ドネペジル&quot;を再開してみましたが、かえって興奮しやすくなっただけでなく、身体の副作用も重なったのですぐに使用を断念しています。 &nbsp;Dさんの尿にまつわるトラブルの背景には前立腺肥大もあったようです。往診開始後６年経った時点で尿閉（尿が膀胱にまでは溜まるが排尿できない状態）のため尿道カテーテルを留置しなければならなくなりました。このことに伴い尿が臭うようになり、八味地黄丸料エキスを竜胆瀉肝湯（りゅうたんしゃかんとう）エキスに変えて対応しています。 &nbsp;Dさんの認知症はもはや重度の域に達していました。身の回りのこと全てに介護が必要になってしまったのです。もうヘルパーさんが家に入ってもかつてのように落ち着かなくなることはなく、あれほどいやがっていたデイサービスも抵抗なく受け入れるようになりました。しかしどこで過ごすにしろ、ただ座ってボーッとしていることが多くなり、身体も次第に硬くなっていったのです。 &nbsp;往診開始から7年半。とうとう嚥下の障害が出始めました。口にはヨダレが溜まり、うつむけば抜歯した隙間からヨダレが垂れてきます。この連載で以前ご紹介した半夏厚朴湯を用いてヨダレは減り、誤嚥性肺炎を防ぐことができましたが、Dさんは言葉もほとんど発することがなく、食事量も落ちて少しずつやせていきました。 私は、平日勤めに出ておられるため一度もお会いできなかった娘さんにも同席してもらうため、定期往診のない土曜日にDさん宅を訪れました。認知症として終末期の状態に入ったことをご家族全員に告げるためです。 TOP 嚥下障害に対する三つの治療選択肢 　多くの方には、認知症が「死に至る病」であるという認識はあまりないと思います。通常死亡診断書の死亡原因に「認知症」と書かれることはなく、統計資料に表れることはありません。日本人の三大死亡原因は頻度の高い順にがん、心筋梗塞などの心疾患、脳卒中となっており、この３つで死因の55%ほどを占めます。第4位が肺炎でその数は増え続けており、近い将来脳卒中を抜いて死亡原因の第3位になるだろうと予測されています。この肺炎の中には、嚥下機能が低下して引き起こされる誤嚥性肺炎が少なからず含まれていると考えられています。認知症はそのタイプに関わらず、その末期状態には必ず嚥下障害をきたします。嚥下障害による肺炎を免れたとしても、それは必然的に食事量の低下を招くことになり、老衰過程が進むことになります。認知症の終末期とは自分の命を自分の力で守ることができなくなってしまった状態で、認知症は三大死亡原因を生き延びた方に訪れる慢性の致命的疾患であると言えます。そして認知症を患った方は、およそ10年の経過で臨終を迎えるとされているのです。 &nbsp;認知症終末期を迎えた方にとって、その後については三つの選択肢があります。一つは経管栄養に移行することです。現在我が国で胃ろうによる経管栄養を受けている人はおよそ40万人とされていて、そのうちの少なからぬ方の原疾患が認知症と推測されています。胃ろうを造ることで本邦においては1年以上寿命が延びることが明らかになってきましたが、欧米諸国では寿命の延長効果はもっと短いとされています。そして欧米諸国では、認知症の方に胃ろうを造設して経管栄養を導入すること自体がご本人の苦痛を長引かせるだけのものとされ、原則行われなくなっています。 &nbsp;選択肢の二つ目は、食事を召し上がれなくなってきたら無理には差し上げず、そのまま見守るというものです。絶飲食状態となれば数日後にはご臨終が訪れます。 &nbsp;三つ目の選択肢は、主に皮下からの点滴を最低限行うことで二つ目の選択肢よりはゆっくりとご臨終を迎える、というやりかたです。そして胃ろうを造ることは入院して手術することを意味していますので、造るのであれば完全に召し上がれなくなる前の、まだ体力が充分残っている間に実施する必要があります。 &nbsp;そもそもこうした生き死ににまつわる選択は、ご本人に委ねられるべきことでしょう。しかし認知症の場合、その判断をすべき時期には既にご本人はその意向を表明する能力を失っています。そしてわが国では、予め生き死にについての意向を表明しておくという土壌があまり育っていません。従って多くの場合、選択はご家族に委ねられることになります。私はこれら選択肢をご家族に提示する際、「ご家族のお気持ちというより、ご本人だったらどうして欲しいか、という観点からご勘案ください」と申し上げることにしています。 &nbsp;Dさんご一家全員と直接お話する機会を作ったのは、この選択肢についてご相談するためでした。もちろんそうした選択肢についてはそれまでも往診の折々に少しずつ夫人に説明してきたことですが、もし胃ろうを造るのであればこれがラストチャンスという時期だったのです。 TOP 「できるだけ自然のままで」という選択   &nbsp;Dさんは夫人と娘さんの間に、ちょこんと座っておられます。私が三つの選択肢について改めて説明をすると、そのあと夫人がゆっくりと話し始めました。 「胃ろうを造ることは望みません。あまりうまく言えませんが、それは『延命治療をしなくていい』ということとはちょっと違います。この人も、私も、これまで一生懸命生きてきました。そして、できるだけ自然のままで暮らしたい、というのが正直な気持ちなんです。今までもこの家に往診に来てもらって、ほとんどお薬も使わないで、漢方薬くらいでやってもらいました。そのままでいい、と思っています。その上でこの家で主人を看取って下さるなら、それ以上望むことはなにもありません」  &nbsp;すると横で聞いていた娘さんが、涙を流しながらも笑いを浮かべて、言葉を続けました。 「私もまだ独身で家にいますので、夜と休日は私も手伝うことができます。家族を看取るというのは初めてのことなので正直不安はありますが、診療所のみなさんに教えてもらいながらやっていきたいと思います。それでいいわよね、お父さん。」  &nbsp;私はお二人の話を聞きながら、7年半にわたる夫人のたたずまいを思い出していました。Dさんの認知症の進行につれ様々な介護問題が次から次へと起きたわけですが、夫人は介護の仕方で悩むことはあっても、まだ若くしてDさんを襲ったこの運命を呪ったり、変わり果てていくDさんのありさまを嘆いたりすることはありませんでした。Dさんの生と、その先にある死をあるがままに受け入れる姿勢をうかがうことができたのでした。「それはむしろ人間にとって最高の知性だと思います」と私は胸の内でつぶやいていました。 &nbsp;Ｄさんはこの間もずっとおとなしく座っておられました。声を掛けられても反応はありませんでしたが、妻と娘に挟まれ、そのお顔はこれまでになかったくらい穏やかに見えました。 &nbsp;]]></description>

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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">中医学とメンタルケア</category>
            
            
            <pubDate>Thu, 12 Apr 2012 20:09:03 +0900</pubDate>
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            <title>世界に広げたい看護の原点＝TE(テ)―ARTE(アーテ)</title>

<description><![CDATA[&nbsp; 　60年以上に渡って看護の世界と関わってきた川嶋みどりさんは、「看護とは何か」を問い続け、知識を臨床に反映する教育を推し進めてきた。看護の基本は&ldquo;手当&rdquo;にあると考え、TE―ARTEという言葉を世界の共通語にしようと願う。今また被災地・石巻（宮城県）に、新しい活動の拠点を設けた。  川嶋みどり（かわしま・みどり） 1931年ソウル生まれ。51年日本赤十字女子専門学校卒業。51年～71年 日本赤十字社中央病院 （52～55年 日赤女専、日赤女子短期大学派遣。65年東京看護セミナー設立）。71年より看護基礎教育、卒後研修、教員養成講座等講師。74～76年中野総合病院看護婦教育顧問。82年～ 健和会臨床看護学研究所所長。84年臨床看護学研究所設立。2003年～日本赤十字看護大学教授。05年～同学部長、同看護実践・教育･研究フロンティアセンター長。07年第41回フローレンス・ナイチンゲール記章受章（赤十字国際委員会）11年日赤を退職、名誉教授に。専門分野は老年看護学、看護管理学。      問いかけ続けた「看護とは何か     手の復権は人間性の回復     TE?ARTEを世界の言葉に     自然治癒力の発現を手助けするのが仕事     被災地でも手の効用を発揮  問いかけ続けた「看護とは何か 後藤 　先生は2007年にナイチンゲール記章を受章されるなど、看護の世界でつとに高名で、看護教育には早くから取り組まれておられました。 川嶋 　19歳で看護師になって最初は日赤中央病院の小児病棟勤務だったのですが、1年ち ょっと経過すると、母校から「教員になれ」と声がかかりました。経験も浅くて何もわか らない教員だったのですが、4年半の間、助手を務めています。その後「やはり自分は臨床 に向いている」と思って小児病棟勤務に戻ったのですが、65年に病院の中に「東京看護学 セミナー」を立ち上げて、再び看護教育に取り組むようになりました。このセミナーは現 在もなお、個人が自主的に会費を払って勉強するサークルとして、続いていています。 　71年に看護師を退職すると、いろいろな病院で卒後研修に関わるようになりました。そ して1984年にそれまでに培った教育のノウハウを全国にオープンにする目的で、埼玉県三 郷市に「臨床看護学研究所」という日本初の民間の研究所を創設し、所長になっています。 全国から看護師が自分で月謝を払いながら集まり、半年間に渡って週に1回、毎週火曜日 に研修を受けに来る場としました。すると、北海道から九州まで全国各地から研修生がや って来るようになったのです。  　この研修では、技術論や科学論などをきちんと学び、とても多くの本を読んでもらうよ  うに図ってきました。研修日は「魔の火曜日」と呼ばれたほどです。そして「学んだこと を臨床にフィードバックしなさい」と指導し続けました。  　70歳を過ぎた2003年に日赤から特任教授を依頼されて母校に戻りました。それまで「看  護とは」「いい看護を」という思いで活動してきたのになかなか看護の水準が上がって来な  いので、本格的な看護教育にもう一回携わって、全体のレベル上げようというつもりで取 り組みました。 TOP 手の復権は人間性の回復 後藤 　「臨床にフィードバックしよう」というのは、学問のための学問ではない研修を目 指されたということですね？研修プログラムの中には、「手当学」というものを取り入れら れているとお聞きします。 川嶋 　そうですね。看護師の仕事は手を使ったケアが重要です。脈をとり、清拭し、お腹 の具合を探り、患者さんの冷えた手を温め、肌に触れて体温や皮膚の乾湿の状態を把握し ます。人類は直立歩行になって以来、その仕事は手を使うことが基本になりました。手は 支えたり、抱いたり、なでたり、さすったり、揉んだり、握ったりととても多様な機能を 持ったツールであり、一定温度を保っているのでサーモスタットも不要です。 　手を当てることで、患者さんを副交感神経優位にして神経を落ち着かせる一方、消化液 分泌を高め食欲が増進します。副交感神経が優位になるとナチュラルキラー細胞が活性化 して免疫力が高まって健康の回復が早まるのです。 後藤 　最近の看護師は、手を使う作業が減ってきました。もっぱらモニターに目を注ぎ、 端末に入力する仕事に集中しがちですね？   川嶋 　そうです。確かに機械を使って数値で患者さんの状態を把握することは誤差を少な くできるでしょう。しかし、人間の営みは機械で割り切れるものばかりではありません。 看護師の指や手のひらは数字だけでは推し量ることのできないものを察知できるという面 もたくさんあります。 　私自身は数年前、胆石を患って10日間ほど入院したことがあるのですが、「看護は手を 触れる」という基本が忘れられていることを痛感させられる場面がいっぱいありました。 看護師たちの手と目は、ファミレスのウエイトレスのように端末ばかりに集中していたの です。私の同級生なども「今の看護師はどうかしているよ」などと口にしています。 　そもそも最近の看護学生を見ていると、手先の器用さが足りないようです。よく看護師 が注射針で自分の手を刺す「針刺し事故」が報告されますが、私が20年現場にいた時代に、 そんな事故は起こりえないことでした。「どう間違えたら刺さるのだろう？」と思うくらい です。最近は、先の尖ったものを恐がる先端恐怖症の傾向も伺えます。大きな理由として お裁縫をしなくなったことが上げられるでしょう。 　また、最近はタオルを絞れない学生も多くなってきました。若い人たちは入浴もシャワ ーで済ませることが多くなり、自分でタオルを絞る機会がなくなっているのです。でも、 臨床で患者さんの身体を拭く時は、どうしてもタオルを絞る必要があります。私は看護学 生の器用さを養うため、タオルを持って来させて雑巾を縫わせる実習を提案しました。と ころが、若い先生たちもなかなかそれを教えることができなくなっているのが現状です。 TOP TE?ARTEを世界の言葉に 後藤 　日赤でも、リンパドレナージなど手当学を教える仕組みを作られましたね？ 川嶋 　私は老年看護学の領域のトップにいましたので、まったく個人的に手当の研鑽の場 として「すぐわざ（優れた技）研究会」というものを作りました。単位は取れないのです が、学生が実習に出る前にそういう技を身につけてスキルアップを図ってもらうことを考 えたものです。リンパドレナージの指導では、後藤学園の佐藤佳代子さんに大変お世話に なりました。 後藤 　手当学の大切さを世界中に広げようというTE-ARTEという言葉も生み出されまし た。   川嶋 　「外国の看護はどうなのかな？」と思って海外の事情を調べると、世界中の看護師 に手を触れる機会が減り、人間らしいケアが後退している傾向があることがわかってきま した。人間性回復の看護は，看護師の手の復権だと考え世界に手当学の考え方を広げられ たらと考えました。しかし、日本語の「手当」は、&ldquo;子ども手当&rdquo;などの例のようにお金の ことも指します。そこで、手（TE）＋アート（ART）にEをつけたTE－ARTEという造 語にしたのです。昨年亡くなられたケニアのワンガリ・マータイさんは日本から生まれた 「もったいない」考え方を、世界の環境問題の合言葉としてMOTTAINAIを提唱しました が、このことからヒントを得ました。 &nbsp; TOP 自然治癒力の発現を手助けするのが仕事 後藤 　先生は統合医療学会へ積極的に参加されてきました。今までの医療に欠けていたも のを統合して新しい医療のあり方を追求していこうという学会ですが、TE-ARTEのような 哲学を導入していくことが必要ですね。 川嶋 　皆さんは「高度医療」や「先端医療」という言葉に酔いしれているかもしれません が、逆にそこに限界があるということで現在、統合医療が注目されているわけですね。統 合医療学会の渥美和彦先生に初めてお目にかかった時、「統合医療は&ldquo;患者中心&rdquo;、&ldquo;自然治 癒力&rdquo;、&ldquo;全人的医療&rdquo;」ということを言われましたが、私は「そういったことはナイチンゲ ールが昔から言っていた」「看護の世界そのものではないか」と思いました。 　ナイチンゲールは、「病気は回復過程である。自然の回復過程を整えるのが看護である」 と言っています。つまり自然治癒力を発現する手助けをするのが本来の看護なのです。 後藤 　ところが、そうした看護の力が後退しているわけですね？ 川嶋 　どうして後退したかというと、大きな原因は診療報酬制度にあります。つまり、注 射をし、薬を出せば治療費としての請求ができるけれど、看護を一生懸命しても報酬に結 びつかないからです。 　20年くらい前に当時の厚生省は&ldquo;効率的で質の高いケア&rdquo;と言い出しました。その中身 が間違えて受け止められ、&ldquo;効率的で&rdquo;は「速く、安く、少ない人手で」となり、&ldquo;質の高 い&rdquo;は「早く退院させちゃえ」ということになったのです。おかげでものすごく医療現場 が荒廃してしまいました。高齢社会になればなるほどがんや終末ケアの患者さんが増えて いきます。お金にならない看護の力がもっともっと見直されるべき時です。 後藤 　じつは看護の力こそ「効率的で質の高いケア」に結びつくのですね？ 川嶋 　そうなんです。例えば長期間寝たきりで、コミュニケーションがとれなくて、意識 レベルが低下していて、口から物が食べられない高齢者が、ベッドから落ちて骨折して手 術を受けるために入院したら、この人は99％肺炎になるでしょう。肺炎のためにレントゲ ンやCTを撮り、抗生剤も出さなければならなくなるし、入院も長引いてしまうことになり ます。そこでそういった人に対しては、それを予測して、3時間置きに体位を変える、痰を 出す、口の中のマウスケアを1日4回以上していればその方は肺炎を起こすことを防げる はずです。治療費も手術代だけですむし、早く退院できます。 　ところが、病院としては患者さんが肺炎を起こしてくれたほうが儲かるわけです。今の 診療報酬制度からいうと、何かを起こさないと診療報酬は発生しません。看護はいつも「何 も起こさないところ」で、いいケアの質が保たれているのです。今は診療報酬に振り回さ れていますが、もっと看護の価値が見直されるようになっていくでしょう。 TOP 被災地でも手の効用を発揮 後藤 　東日本大震災の被災地へも通って、支援活動を展開されていますね？ 川嶋 　昨年3月まで看護大学に籍を置いていたのですが、折から大震災が起こり「何かし なくてはいけない」と考えました。&ldquo;東日本これからのケア&rdquo;というプロジェクトを立ち上 げています。リタイヤした元看護部長、元教授、元看護教員たちに「被災地の高齢者のた めに立ちあがって」と声を掛けて、応じてくれた人たちと一緒に去年の7月から活動を開 始しました。直接被災者の方たちをケアするというよりも、現地で活動する看護師たちを 外からバックアップするシステムを作っているところです。 後藤 　美智子皇后にもご活動の報告される機会があったそうですね？ 川嶋  昨年の夏、御所へナイチンゲール賞の受賞者を集めたパーティにお招きいただいた  時、皇后陛下に石巻に通っていることをお話しすると、「改めて詳しく聞かせてね」とおっ  しゃって下さりました。そして、今年1月に改めてお招きいただき、お話することができ  たのです。被災地のナースたちは、お子さんを亡くしたりご主人を亡くしたりする人もい  る中、すごく頑張っていることをお伝えしました。そして私が「手当」した仮設住宅に住 む65歳の漁師さんの例についてもお聞きいただきました。 「どす黒くなってむくんで腫れ上がり指も動かなくなっている手をさすって差し上げてい たら、だんだん色が白く変わってきてむくみが少しとれて動きやすくなってきて、すると 立てかけてあったギターを軽く弾き出した。よほどギターが好きだったようです」とお伝 えすると「本当に良かったですね」とおっしゃり、涙ぐまれながら聞いておられました。 後藤 　陛下も皇后も大変お心を東北に思いやっていることがよくわかります。 震災から一年たってさまざまな問題が山積していますが、復興のためにも被災者の方々の 健康を守ることができるためにもTEー ARTE,の教えが広く持続可能な看護の力として浸 透して欲しいものです。 川嶋 　素手でできるのが看護であります。副作用もなく、痛くもなく、安心を与え、気持 ちを良くでき回復に?がるのです。看護は手とハートさえあればできます。ほかに必要な ものと言えば、お湯とタオルと石鹸くらいではないでしょうか。これらが備わっていれば TE-ARTEになります。 &nbsp; &nbsp; &nbsp;]]></description>

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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">インタビュー</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">知求人集まれ</category>
            
            
            <pubDate>Fri, 30 Mar 2012 17:55:06 +0900</pubDate>
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            <title>中医学とメンタルケア／中医診療日誌－－２６</title>

<description>【在宅医療と伝統医学】-　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
認知症は腎の衰退のプロセス</description>

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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">中医学とメンタルケア</category>
            
            
            <pubDate>Fri, 24 Feb 2012 17:46:31 +0900</pubDate>
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            <title>新滝（長野県木曽郡王滝村王滝口三合目）</title>

<description><![CDATA[ほとばしる  民謡の木曾節に「木曾の御嶽ナンジャラホーイ夏でも寒いヨイヨイヨイ」と  歌われるその御嶽にも春はしのびよっていた。落差３０メートルの新滝は  冬には凍てつき、氷柱が出来上がるがそれも春の兆しの陽の光にはかなわな  い。氷は徐々に溶け出し、水本来の姿に変化し、ほとばしる様は、神々の化身か  と想うほどに神々しく美しい。 &nbsp;]]></description>

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            <pubDate>Fri, 24 Feb 2012 13:52:51 +0900</pubDate>
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            <title>中医学とメンタルケア／中医診療日誌--２５</title>

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在宅医療と伝統医学　第３回　『症状を和らげ最期まで寄り添う』 　前回ご紹介した脳梗塞後に嚥下障害を合併したCさんのその後の経過をお伝えします。Cさんは半夏(はんげ)厚朴(こうぼく)湯(とう)という漢方処方を用いることで飲み込みの力が回復し、ついに経管栄養のチューブを抜き去ることができていましたが、やがてまた嚥下は困難に。生命の炎は少しずつ細くなっていきました。  北田志郎（きただしろう） 1991年東北大学医学部卒業。 その後，東京都立豊島病院臨床研修医（内科系・東洋医学専攻）を経て、 1993年東京都立広尾病院神経科 1995年東芝林間病院神経科 1997年精神医学研究所附属東京武蔵野病院 2000年天津市立中医薬研究院附属医院脾胃科に留学、その後、後藤学園附属クリニック医師として勤務 2003年より千葉県で地域医療を特徴としているあおぞら診療所で勤務。最近はとくに精神医学・中医学と地域医療と関連する研究に力を入れている。帰国した残留孤児達の心身の健康をサポートするボランティア活動などにも、積極的に携わる。      経管栄養を断念、中心静脈栄養へ     どうしても主人に家に帰ってきて欲しい     「苦肉の措置」のもと再び在宅へ     漢方薬と鍼灸併用の「健脾去痰     終末の時が近づき表情は穏やかに  &nbsp; 経管栄養を断念、中心静脈栄養へ  　Cさんはチューブを抜いてから半年の間、口からしっかり食事を摂ることができました。この間、嚥下障害から来る誤嚥性肺炎を一度も起こしていませんでした。 しかし半年後の2月、感染性胃腸炎に罹ったCさんは激しく嘔吐し、ほどなく高熱と呼吸困難をきたしました。吐物による誤嚥性肺炎を起こしたと推測され、直ちに地域の基幹病院に救急入院となったのです。そのまま気管内挿管を受け人工呼吸管理となり、生死の境をさまよいましたが、幸い肺炎は治癒し、人工呼吸器からも離脱することができました。 　しかしCさんはもはや自力で痰を吐き出すことができなくなってしまい3月には気管切開術を受けることとなりました。経口摂取は一切禁止となり、経鼻チューブによる経管栄養が再開されましたが、腸閉塞に罹ったり、嘔吐からさらに誤嚥をきたしたりというトラブルが相次ぎます。そこで、6月に経管栄養を断念し、中心静脈栄養という点滴による栄養補給に切り替えられました。8月に慢性期主体の病院に転院すると肺炎治療を繰り返したためか、痰から抗生剤の効きにくい耐性菌が検出されたのです。 　私たちスタッフはこうした状況を家族や病院のソーシャルワーカーを通じて随時知ることができていたのですが、事態は明らかにジリ貧状態と言わねばなりませんでした。しかし夫人がが、「どうしてもCさんを退院させたい」と希望されたことから、10月のある日転院先の病院で「退院前共同指導」が行われました。これは在宅ケアを担う医療・福祉従事者が退院前に病院に伺い、病院スタッフとのミーティングを通じて病状と生活能力を把握し、スムーズな在宅移行を実現するために開催されるものです。 TOP どうしても主人に家に帰ってきて欲しい出し  　私たち往診チームは、ミーティングの前に夫人と一緒にCさんの病室を訪れました。Cさんはベッドに力なく横たわっていました。顔はパンパンにむくんでいて、目もどんよりと曇っています。しかし私が近寄り声をかけると、動く方の左手に握手をすると驚くほど強い力で握り返してきました。Cさんは私だとわかったようです。 病室を出るとすぐに夫人が小声ながらしっかりした口調で話しかけてこられました。 　「私はどうしても主人に家に帰ってきて欲しいんです。家に帰ればまた元気になるんじゃないかと思うんです。先生また往診をお願いします」とお願いをされました。 　確かに、病院から自宅に帰ることで元気になる方は少なくありません。なかには「余命いくばくもない」とされていたがん末期の状態の方が、退院後その予測を大幅に超えて長生きされ、しかも元気さをギリギリまで保たれることが珍しくないのです。その方の生命力が十全に発揮される「場」が自宅であったのだと言い換えることもできます。かといって、そういった方々が死そのものを免れることができるかというと、これはまた全く別の話です。夫人が求めている「元気」が入院前の状態に戻ることを指しているのなら、あまりにも期待が大きすぎるのです。 　私は大変厳しいと状態を思い「退院となればできる限りのことはさせていただきますが、ご自宅で看取ることも覚悟していただかなければなりません」と言わざるを得ませんでした。 すると夫人は「いや、それも困ります」と言うのです。 　「先生、今度も漢方でなんとかなりませんか？前の時だってもうだめだと思っていたのに、あんなに元気になって、自分で食べられるようになったじゃありませんか」 　「評価してくださるのは嬉しいのですが、漢方薬は魔法の薬ではありません。この前はCさんの体力と気力がまだ十分残っていて、他にもいろいろなテコ入れができたからうまくいったのです。今度はとても安請け合いできる状況ではありません」私はそのようなことを言ったと思います。 　その一方で、もし夫人が自宅での看取り覚悟で連れて帰られるなら、今度は「訪問鍼灸」も導入しよう。なんとかして漢方薬を服用する方法がないものか、などという思いが巡っていました。 TOP 「苦肉の措置」のもと再び在宅へ 　夫人とのミーティングでは多くの不確定要素を残しながらも「退院に向けた準備をする」という方向性への確認をしました。 　しかしほどなくして、Cさんはまた高熱を発してしまったために中心静脈のカテーテルを抜去することになってしまいました。高熱はほどなく解熱したとのことでしたが（これは「カテーテル熱」と呼ばれる感染症が起こっていたためと推測されます）この結果中心静脈栄養の継続も困難となってしまったのです。 　Cさんは再度急性期病院に戻り、改めて経管栄養を受けることになりました。ただし、チューブの先端部位はこれまでの胃ではなく、十二指腸も越えて空腸に達するようにしたのです。胃を亜全摘していたCさんが、注入した栄養物が逆流して誤嚥してしまう傾向を強めていたための苦肉の措置だった分けです。 　Cさんはこれらの困難を乗り越えて、ついに12月になって自宅に帰ってこられたのです。しかしチューブの交換は以前のように在宅ではおこなえず、月に1度病院に行きレントゲン透視下で実施しなければなりませんでした。それでもCさんと家族は、自宅に帰ることを選んだのでした。 &nbsp; TOP 漢方薬と鍼灸併用の「健脾去痰」  　スケジュールの都合上、私がCさんの自宅に伺ったのは、退院から10日目のことでした。その時すでにCさんは誤嚥性肺炎を一度起こしていました。 　Cさんが身体を動かすたびに、切開された気管に挿入してあるカニューレから痰が噴出してきます。私は病院から指定されてきたチューブへの水分量を減らし、入院前に用いてきた半夏厚朴湯エキスを再開しましたが、前回ほど明らかな変化を見ることができませんでした。注入物がCさんの胃腸の処理能力を越え、「痰飲（脾という消化器の衰えによる水分の滞り）」と化していると考えられました。そこで水分の停滞を改善する機能を持つ茯苓飲(ふくりょういん)を合わせることとしました。「茯苓飲合半夏厚朴湯エキス」として一剤で処方できることも、在宅ケアにおいては大きな利点と言えます。一方で訪問鍼灸も開始し、主に水分代謝を高めるための「健脾去(けんぴきょ)痰(たん)」の治療を行ってもらうこととしました。 　効果はてきめんでした。痰の量は次第に減り始め、Cさん自身が自力で唾を飲み込む感触を得たようでした。以降抗生剤の使用も減り、月1回の病院でのチューブ交換も順調にこなして、冬を越すことができたのです。 　しかし体調の安定とは裏腹に、Cさんの表情は徐々に険しくなっていきました。そして5月のある時、私をじっと見つめながら指差し、そしてその指を上へと持っていったのです。 　「Cさん、それは天国ってことですか？私に天国に送って欲しいと？」Cさんは大きく、何度もうなずきます。 ベッドの傍らで立ち会っていた夫人が目に涙をいっぱいためて「お父さんごめんなさい、私のわがままで、でも私はお父さんがどんな姿になっても、お父さんに生きていて欲しいのよ」 　Cさんはその言葉には応えようとせず、ひたすら上を指差し続けていました。 TOP 終末の時が近づき表情は穏やかに 　当院の訪問看護師は、それまで主にCさんの身体のリハビリテーションを行ってきましたが、このエピソードがあってから、彼女たちはリハビリを少し早めに切り上げ、細心の注意を払いつつCさんにアイスクリームやゼリーを召し上がっていただく介助を行うことにしたのです。漢方薬を継続使用しても、もうこのころにはCさんの嚥下の力はほとんど残っていませんでした。看護師が「ごほうび」の後に気管カニューレの側管を吸引すると、胃に入っているはずのアイスクリームがそのまま吸い上げられてきてしまうこともしばしばだったと言います。それでも次の冬を迎えるころには、Cさんが上を指差すことはなくなっていました。  　私はこの間、ずっと茯苓飲合半夏厚朴湯エキスを使い、状況に応じて2種類目の方剤を加えていきました。繰り返す気道感染には、気管の炎症を和らげ痰を切りやすくする清(せい)肺(はい)湯(とう)や苓甘姜(りょうかんきょう)味(み)辛(しん)夏(げ)仁(にん)湯(とう)を加えることで、抗生剤を使う局面を減らすことができました。貧血が強くなり一度輸血を要した時も、胃腸を丈夫にして貧血症状を改善する機能を持つ加味帰脾湯を加えて、貧血を抑えることができています。 　しかし、栄養が過不足なく補われ、疾患を未然に防いでも、その次の春にはCさんの生命の炎は尽きようとしていました。このころには、夫人にも、娘さんにも、そのことが自然にお分かりになったようでした。そしてCさんご自身が、誰よりそのことがよくお分かりだったのだと思います。にらみ付けるようなお顔も、弾けるような笑顔も見ることができなくなりましたが、そのかわりこれまでになく穏やかに微笑まれるのでした。 　7月2日には在宅酸素療法を導入、そして翌3日には経管栄養と漢方処方も止めて皮下への点滴に切り替えました。表情は一貫して穏やかで、これ以上の緩和治療は必要ないと判断されました。 　入れ替わり立ち替わり親戚や友人が面会にこられ、Cさんと目で語り合ったといいます。7月10日、1日500mlの点滴でもむくみが出るようになり、この日で点滴も終了としました。 私はこのことをCさんに告げると、しっかりと目と目が合いその目は「それでいい」とおっしゃったようでした。 　7月14日、ご家族ご親族に囲まれ、Cさんは自宅で息を引き取られました。私たちが訪問診療をはじめてから、約3年半の時間が経過していました。 TOP &nbsp;   &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp;]]></description>

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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">中医学とメンタルケア</category>
            
            
            <pubDate>Thu, 10 Nov 2011 23:28:21 +0900</pubDate>
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            <title>東日本大震災における災害支援ナースの活動を報告</title>

<description>-23年度災害看護担当者会議より抜粋-</description>

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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">お知らせ</category>
            
            
            <pubDate>Wed, 17 Aug 2011 23:06:39 +0900</pubDate>
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            <title>東北震災医療支援（気仙沼）に向かった看護師はその時なにを考えたか。</title>

<description>津波に襲われた気仙沼の惨状</description>

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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">お知らせ</category>
            
            
            <pubDate>Sat, 02 Jul 2011 17:22:35 +0900</pubDate>
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            <title>日本鍼灸に関する東京宣言2011</title>

<description>―21 世紀における日本及び世界のより良い医療に貢献するために―</description>

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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">「考える」シリーズ</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">医療の新しい問題を考える</category>
            
            
            <pubDate>Fri, 24 Jun 2011 11:11:30 +0900</pubDate>
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            <title>鍼灸レポート</title>

<description><![CDATA[第33回現代医療鍼灸臨床研究会開催がん緩和ケアの医療資源として鍼灸の役割を追求していこうという流れが起きている。実際に鍼灸を利用している先駆者たちの報告。&nbsp;&nbsp;がん緩和ケアにおける鍼灸の役割を追求より早期からの治療開始でより有効化学療法のしびれや末期の呼吸苦にも有用難治の神経障害性疼痛にも期待できる効果がん緩和ケアにおける鍼灸の役割を追求　東京大学鉄門記念講堂で「癌患者の愁訴と鍼灸治療」をテーマに現代医療鍼灸臨床研究会が開催されました。今回は基礎講座、シンポジウム、教育公園の三部で構成されており、満場の参加者の中、鍼灸ががんの緩和ケアの上で果たしうる役割について、非常に熱心に議論が交わされています。&nbsp;TOPより早期からの治療開始でより有効　基礎講座で、埼玉医科大学医科大学東洋医学センター講師の山口智先生は、鍼灸治療が「現代医学的な知識と技術を習得することで、貴重な伝統医学でがん治療の一端を担いうる」と語りました。同センターで84名のがん患者（約半数が末期）を対象に鍼灸治療を実施したところ、64．5％が有効であるとの結果を得られたとのことです。とりわけ早期の患者ほどその有効率が高い傾向にあり、がんに対する鍼灸治療は、より早期から開始して継続することが重要との見方が示されています。そして今後は鍼灸の有用性や有効性を科学的に明らかにしていく一方で、診療所や病院などの連携を拡充していくことが期待されると話しました。TOP化学療法のしびれや末期の呼吸苦にも有用　シンポジウムでは、筑波技術大学保健科学部の津嘉山洋先生が、文献調査とアンケートから鍼灸における臨床データを分析した結果を報告しました。鍼灸の適用となる症状として、疼痛、吐気・嘔吐、食欲不振、化学療法の副作用、浮腫・麻痺や知覚障害、排便などが挙げられたと報告しています。　埼玉医科大学医科大学東洋医学センターの小内愛氏が、同センターでの経験から、鍼灸治療ががん患者に対する西洋医学的な治療による副作用や合併症の症状緩和に有用であることが示されたと報告しました。特にがん患者特有の多彩な愁訴を軽減し、ＱＯＬの向上にも寄与する可能性が示されています。　前国立がんセンター緩和ケア科鍼灸師の鈴木春子先生は、がん患者に対する治療の経験を話しました。鍼灸はモルヒネが効きにくい痛みに有用であり、また多くの終末期患者が悩まされる呼吸苦に対しても役立つ可能性があるとしています。センターに17年間勤務した鈴木先生はこの度退職し、東日本大震災の被災者の救援ボランティア活動に参加しておられ、「緩和ケアの新しい境地を開拓していきたい」と述べました。　明治国際医療大学臨床鍼灸教室の福田文彦先生は、がん化学療法に伴う末梢神経障害に対する鍼灸の有用性を報告しました。乳がんなどに頻用されるパクリタキセルがもたらすしびれの副作用に対して、より早期の段階で鍼治療を導入することで症状の悪化を予防する可能性を示しています。TOP難治の神経障害性疼痛にも期待できる効果　東京医科大学茨城医療センター緩和医療科部長の下山直人氏は、「癌患者の対応と治療」をテーマに教育講演を行いました。がん患者は、「身体的痛み」、「精神的な痛み」、「社会的な痛み」、「スピリチュアルペイン」の４つの痛みに苦しむといわれ、現代西洋医学だけでは痛みの治療が困難であると話しています。医用麻薬（オピオイド）は、身体的な痛みの中でも神経障害性疼痛といわれる痛みや筋肉痛には無力であり、また一方で難治性便秘などの副作用をもたらします。これらの場面において、鍼灸が果たすことのできる役割は小さくないだろうとの期待が示されました。（4月29日）　次回第34回現代鍼灸医療臨床研究会は、11月3日（木・祝）に「診療各科における肩こりの病態と鍼灸治療」をテーマに開催されます。TOP埼玉医科大学医科大学東洋医学センター講師山口智先生（右）を座長に活発に鍼灸とがん緩和ケアの実際と未来が各シンポジストと共に語られた。&nbsp;&nbsp;]]></description>

            <link>http://mag.gto.ac.jp/cat8/cat13/post-222.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">コ・メディカルを考える</category>
            
            
            <pubDate>Thu, 26 May 2011 14:39:44 +0900</pubDate>
        </item>
        
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            <title>エイズが減らない日本の現状を考える</title>

<description><![CDATA[第24回日本エイズ学会学術集会レポート――ＨＩＶ／エイズは「慢性病化」の時代――昨年11月24～26日東京・品川の高輪プリンスホテルで第24回日本エイズ学会学術集会が開催された。今回のテーマは「垣根を越えよう」。1996年に新しい抗ＨＩＶ薬を用いたＨＡＡＲＴ療法（多剤併用療法）ができ、さらに2007年インテグラーゼ阻害薬という薬剤が登場したことで、患者の長期生存が期待できるようになった。ＨＩＶ／エイズは数十年単位で療養していく「慢性疾患」となってきたのだ。その中で大きくなっている心、人と人、国境、民族、性別などの「垣根」を乗り越えてみんなが協力しあって病気と闘おうという方向性が示された。（編集部／林義人）&nbsp;抗インテグラーゼ阻害薬で治療新時代生き生き働く医療者に支えられたHIV／エイズも病診連携の時代ＨＩＶ増殖のプロセス抗インテグラーゼ阻害薬で治療新時代　厚生労働省の「エイズ動向委員会」は、2011年12月7日、日本の新たなエイズ患者は453人で、過去最多であると発表した。前年より22人増え、症状が出ていないＨＩＶ感染者も合わせると、過去2番目に多い1503人で、ともに増加傾向が続いている。　第24回日本エイズ学会学術集会では、日本のＨＩＶ感染症・エイズ患者が世界の先進諸国の中でも突出して多いことが示された。2002～2008年の7年間に、年間のＨＩＶ感染者報告数は連続して史上最高数を更新してきた。2009年1年間の日本のＨＩＶ感染者数は1021人、エイズ患者は431人で、この合計数は2000年のほぼ2倍になる。感染ルートでは、異性間性接触によるものが2割程度、同性間性接触によるものが７割程度、それ以外のものが１割程度とされる。日本のＨＩＶ感染者とＡＩＤＳ患者の数は約１万6000人となっている。　1981年アメリカ・ロサンゼルスで免疫系が失われた人に生じる特殊な肺炎にかかった男性同性愛患者が見つかり、これが世界で初めてのエイズ臨床例となった。83年には病原のウイルスであるＨＩＶが分離されている。　ＨＩＶは、ＣＤ４というたんぱくを持つ「免疫の司令塔」といわれるヘルパーＴ細胞に取りついてこの中で増える。やがて細胞を壊すとともに、ここから新しいウイルス粒子を作り出すようになるとエイズが発症する。患者は免疫不全に追い込まれ、カポジ肉腫という特殊ながんや日和見感染症など、エイズに特異的に現れる合併症を発症する。当初は治療法が全くなく、HIVに感染してエイズを発症すると2カ月くらいで死亡していった。　1987年にようやく最初の治療薬AZTが開発される。逆転写酵素の働きを抑える作用を持った「逆転写酵素阻害薬」と呼ばれる薬剤だ。ある程度の効果を示すものの、HIVはまもなく薬剤耐性を備えてしまうし、副作用も強かった。　その後、「プロテアーゼ阻害薬」という薬ができて、1997年にこれを取り入れたHAART（多剤併用療法）という抗ＨＩＶ療法が標準的な治療法として行われるようになる。この療法によって長期生存が期待できるようになり、カポジ肉腫という特殊ながんや日和見感染症などエイズの指標とされる合併症が減少していく。ところが、患者は長期生存することによって悪性腫瘍や心血管疾患などの慢性疾患を合併するようになった。またHAARTの長期毒性も問題になっている。　こうしたなかで2007年世界で初めての「インテグラーゼ阻害薬」がFDA（アメリカ食品医薬品局）に認可されて、抗HIV療法は新しい時代を迎えた。この薬剤は、これまでの薬剤に比べて副作用の少なさや服用のしやすさ、他剤の相互作用の少なさなどが認められているといい、HIV／エイズ治療の「次の一手」として大きな関心を持たれている。もちろんインテグラーゼ阻害薬といえども、治療を受けるうちに耐性ウイルスの問題が出てくる。HIV／エイズは、継続的な治療の進歩と治療環境の改善などめまぐるしく変転を続けている。TOP生き生き働く医療者に支えられた　第24回日本エイズ学会学術集会では、HIV／エイズの治療法として抗インテグラーゼ阻害薬に関する話題が集中していた。その１つとして、「インテグラーゼ阻害薬がＨＩＶ治療に与えたインパクト」というセミナーが持たれている。この中で、HIV陽性者であり、現在インテグラーゼ阻害薬の治療を受けている特定非営利活動法人日本慢性疾患セルフマネジメント協会の武田飛呂城さんが、自らの闘病体験を通して治療への意見を語った。　1978年生まれの武田さんは生まれつきの血友病で非加熱血液製剤の治療を受ける中でＨＩＶに感染、16歳の時に両親からその事実を知らされたという。当初はあまり有力な抗ＨＩＶ薬もなく、多くの患者仲間が亡くなっていった。武田さんもついに効果を期待できる薬がなくなり、医師から「このままでは1年後の生存を保障できない」と告げられたこともある。　そこへ新しい作用機序を持つ薬が登場し、これが命綱となった。ただ、副作用で硬結と呼ばれる症状が出現し、その痛みに苦しむことになる。そんな中で2007年にインテグラーゼ阻害薬が登場し、この薬に変更すると、副作用が軽減し、仕事を続けることができるようになった。ＨＩＶとともに生きる武田さんたち療養者にとって、服薬の継続は生涯欠かせないことだ。武田さんはＨＩＶ陽性者としての医療者への「お願い」をこう語った。　「薬を飲ませようとする&quot;介入&quot;ではなく、患者が薬を飲みたいと思えるような&quot;支援&quot;を。患者の日常生活満足度が高まれば、服薬遵守立は必ず向上します。患者の満足度の高い病院は、医療者にとってもまた生き生きと働くことができる快適な職場です。私はそうした医療者たちに、『次の新薬は今この開発段階だからね』というふうに、日々進歩しているＨＩＶ医療の情報をいつも共有させてもらっています」TOPHIV／エイズも病診連携の時代　エイズ学会では「HIV陽性者を巡る地域支援の連続性」というテーマのセミナーが設けられていた。大勢の患者や支援者も参加し、HIV診療と精神科医療や地域精神保健活動とのネットワークづくりについて議論が行われている。　HAARTによって長期のコントロールが可能になるとともにHIV／エイズは外来での診療が多くなった。全国には約370か所のエイズ治療拠点病院が存在するが、一部の施設へ患者・感染者が集中している。東京都では、都立駒込病院、国立国際医療センター、東京医科大学附属病院、東京女子医科大学附属病院などの施設に集中している。そのためそれらの施設外来患者にはどこもほとんど手一杯の状態となっていて、1人に充てる診療時間はわずか数分程度しかない。患者・感染者には抑うつ傾向やうつ病、薬物依存、統合失調症、発達障害など、多様な精神保健の課題も大きい。　こうしたＨＩＶ患者を受け入れるため、拠点病院と連携してＨＩＶ感染症の診療を行うサテライトクリニック（衛星クリニック）というものが作られるようになった。そして、国立国際医療センター、東京医科大学附属病院、東京女子医科大学附属病院が集まる新宿区には、４つのＨＩＶサテライトクリニックが登場している。ＨＩＶのスクリーニング検査や時間外診療を受け持つなど、拠点病院との病診連携が形作られつつある。2003年１０月、日本初のＨＩＶサテライトクリニックとなったのは、新宿東口クリニックだった。同クリニックの山口晃院長は、同院の受診状況やサテライトクリニックの役割について紹介している。　「2003年のＨＩＶ診療開始当初HIV患者は年間13人にすぎなかったが、09年には292人に及んでいます。2006年に同院を受診した患者からその受診理由を聞くと、&quot;主治医の転院&quot;や&quot;土曜受診&quot;、&quot;診療の自由度&quot;などが挙げられました」　山中院長の医学生時代、がんの病名告知が進んでおらず、自分の運命を予期できないまま闘病しなければならない例を多く見た。その経験から「真にHIV／エイズの患者さんと向き合える場にしたい」というのが、ＨＩＶサテライトクリニックを作った原点だという。HIV／エイズが慢性病化し、コモンディジーズ（普通の病気）になってくるとともに、地域ぐるみで、HIV／エイズに向き合う時代を迎えている。TOPＨＩＶ増殖のプロセス　HIVはレトロウイルスといって、自分の遺伝情報をDNAの&quot;陰画（ネガ）&quot;であるRNAという形で持っている。人間の細胞（宿主細胞）の中に入ると、HIVは次のように増えていく。①&nbsp;&nbsp;&nbsp; 殻を脱ぎ捨ててRNAと逆転写酵素というものを放出し、逆転写酵素によってそのRNAをDNAに書き　　　換える逆転写という作業が行われる。②&nbsp;&nbsp;&nbsp; HIVから生まれたDNAはインテグラーゼという酵素を使って人間のDNAに寄生に成功し、本当の感　　　染が成立する。③&nbsp;&nbsp;&nbsp; 人間の細胞が分裂するごとに、その中のDNAに組み込まれたHIVのDNAもコピーが作られる。④&nbsp;&nbsp;&nbsp; ウイルスDNAは寄生した細胞に新しいウイルス粒子を放出し、この粒子がプロテアーゼという酵素　　　によってウイルスとして成熟していく。TOP]]></description>

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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">医療の新しい問題を考える</category>
            
            
            <pubDate>Thu, 26 May 2011 14:05:05 +0900</pubDate>
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            <title>震災ボランティアに参加して</title>

<description>後藤学園リハビリテーション学科OB小野寺健三さん大船渡市でのリハビリテーションボランテアの活動報告。
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            <link>http://mag.gto.ac.jp/cat29/post-220.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">お知らせ</category>
            
            
            <pubDate>Thu, 26 May 2011 10:22:51 +0900</pubDate>
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            <title>蘇生（再掲)</title>

<description>大災害をうけて　樹海は重傷なのだ　だが、　樹海は　大きな大きな　生命力を秘めている　仲間たちは　立ち上がっていた　力をあわせ　汗を流していった　愛があるからだ　夢があるからだ　歳月は流れてゆく　風害の傷跡も　やがて、消え失せて　美しき理想の　大森林として　再びよみがえり　永遠なるものを　深きものを</description>

            <link>http://mag.gto.ac.jp/cat16/cat23/post-219.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">ビジュアルで見る自然</category>
            
            
            <pubDate>Mon, 02 May 2011 15:24:16 +0900</pubDate>
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            <title>蘇生（再掲)</title>

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            <link>http://mag.gto.ac.jp/cat16/cat23/post-176.html</link>
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            <pubDate>Sun, 01 May 2011 15:05:28 +0900</pubDate>
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